塩飽諸島(読み)しわくしょとう

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

塩飽諸島(しわくしょとう)
しわくしょとう

瀬戸内海中央部、岡山県と香川県との間の備讃(びさん)瀬戸にある島嶼(とうしょ)群。「しあく」ともいう。香川県に属す。28の島々からなるといわれるが、中心になるのは塩飽七島とよばれる、本島(ほんじま)、牛(うし)島、広島、手島(以上丸亀市)、櫃石(ひついし)島、与(よ)島(以上坂出(さかいで)市)、高見(たかみ)島(多度津(たどつ)町)である。「塩飽」という地名は、満潮時に島々の間に潮が沸き立つさまからきたといわれる。
 古来優れた船乗りが多く、中世には塩飽水軍は守護大名の水運を担当し、かつ勘合貿易にも参加した。また豊臣(とよとみ)秀吉の九州や朝鮮への出兵にも随行するなど功績が大きく、秀吉により塩飽1250石の自治権を650人の船方(人名(にんみょう)と称する)へ与える朱印状が出された。これは江戸時代にも引き継がれ明治維新まで続いた。人名から選ばれた4人の年寄が島々を統治し、本島に勤番所が置かれた。塩飽には千石船も多く、西廻(にしまわり)航路で活躍したが、幕末以降は衰え、舟子としての出稼ぎが多くなった。1860年(万延1)に太平洋を横断した咸臨丸(かんりんまる)の舟子の多くは塩飽出身者であった。なお、人名以外の島民は間人(もうと)とよばれて差別され、1868年(慶応4)には人名と間人が衝突する小坂(こさか)騒動が起きた。
 過疎化が進んでいるが、櫃石島、岩黒(いわぐろ)島などは本州四国連絡橋の児島(こじま)―坂出ルートにあたり、また本島は観光開発が進んでいる。本島の港町笠島(かさしま)地区は、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。[坂口良昭]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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