1974年9月1日に施行された、企業活動による大気や水の汚染で生じた健康被害を補償するための法律。水俣病、新潟水俣病の認定審査は新潟、熊本、鹿児島の3県と新潟市が行う。申請者は診断書などを提出し、魚介類の摂取状況の聞き取りや公的検診を受け、有識者による審査会の答申を経て知事や市長が処分を決定する。認定患者には原因企業チッソ、旧昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)との補償協定に基づき、一時金や医療費などが支払われる。チッソとの補償協定では一時金は1800万~1600万円。旧昭和電工とは1500万~1千万円。
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三重県四日市市などで発生した大気汚染の影響による呼吸器疾病や水俣病,イタイイタイ病などのいわゆる公害病の患者に対する医療その他の補償などの救済制度を定めた法律。正称は〈公害健康被害の補償等に関する法律〉。
大気汚染の激しい地域の呼吸器疾病患者への医療費の補助などの救済は,自治体により行われていたが,公害対策基本法(1967公布)21条をうけて,1969年,本法の前身である〈公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法〉(以下旧法という)が制定された。これは,患者への医療費,医療手当等の支給を定めたもので,費用の半分を公費,半分を産業界の任意の寄付によってまかなうものであった。しかし,その後,大気汚染,水質汚濁による健康被害について原因者の無過失責任が法制化され,また,四日市喘息事件に対する民事訴訟判決が出されたことなどの影響をうけ,訴訟の続発をおそれた産業界,救済の徹底を求める被害者双方の要望により,73年に〈公害健康被害補償法〉(正称)が制定され,翌年9月から施行されたが,88年に改正された。
大気汚染の激しい地域で,他地域よりも呼吸器疾病の多発する地域が指定地域となるものとされていた(第一種地域)。この地域に一定期間以上居住または通勤した人で指定疾病に罹患した人は,申請すれば大気汚染の影響による疾病患者と認定された。そして認定患者は療養の給付(無償の治療)をうけられ,また疾病による障害度に応じて障害補償費等の支払をうけ,さらに疾病によって死亡したときは遺族に補償費が支払われる。これらの費用は大気汚染原因物質排出者が,過去および現在の排出量に応じて毎年支払う汚染負荷量賦課金でまかなわれている。
また,水俣病,イタイイタイ病など,原因物質と疾病との間に,(1)その物質によってその疾病が引き起こされることが一般的に明らかであり,かつ,(2)その物質によらなければその疾病にかかることはない,という関係がなりたつ疾病の患者もほぼ同様の制度で救済されることになっている(この場合の水質汚濁地域,大気汚染地域は第二種地域という)。この場合は指定地域の居住期間と無関係に認定され,救済費用は全額直接の加害者が支払う特定賦課金でまかなわれる。
旧法は,被害者が裁判で加害者の賠償責任を明らかにできなくとも,行政措置で暫定的に救済を図る目的をもっていた。本法は,これに加え,民事損害賠償の考え方もふまえて,前述の障害補償費,遺族補償費等も支払おうとするものである。もっとも,地域指定や疾病の認定については,多くの部分で旧法を引き継いでいたので,実際の性格はかなりあいまいである。とくに,大気汚染は,二酸化硫黄のみを指標として判定され(したがって汚染負荷量賦課金もこれによって算定する),症状の訴え率が高い地域が患者多発地域とされる。一方,慢性気管支炎,気管支喘息,肺気腫等の4病が指定疾病とされ,指定地域居住者でこの病気の診断をうけた人は,古くから住んでいなくとも一律に公害病と認定される。このためもあって,1974年9月の1万4355人の認定患者は約10年で12万5406人に増え,汚染負荷量賦課金も35億円から702億円へと増額した一方,指定地域内の二酸化硫黄排出量は4分の1にまで減少するという状況が生じ,汚染防除投資が賦課金支出減少の結果をもたらさないため産業界の不満を高めた。なお,水俣病等については,本法による認定患者に対し,原因者が本法とは無関係に賠償を支払うことが,患者団体と原因者の補償協定によって決まっている。そこで本法の認定制度のみが利用されているが,〈疑わしきは救済する〉という本法の理念とのギャップを指摘する声もあった。
→公害病
執筆者:浅野 直人
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… 1960年代後半以降,後述のように公害反対の世論や運動が行われた結果,公害裁判が被害者の勝利に終わり,また革新自治体が大都市圏を中心に誕生して,厳格な公害防止対策をとるようになった。これに加えて,国際的な環境問題への関心の深まりもあって,70年,いわゆる公害国会において,公害対策関係15法(〈公害健康被害補償法〉のみ1973年)が成立し,71年には環境庁が発足した。 このように一時期進展を見たものの,石油ショック以降,不況が慢性化するとともに,環境政策の後退が始まった。…
…また,公害賠償についての紛争処理を容易にするために,裁判によらない紛争処理を定めた公害紛争処理法による紛争処理制度が1969年に制定されている。また,1973年には,1969年に制定された旧制度を強化した,大気汚染による健康被害を中心として,行政制度としての救済制度を定めるため,公害健康被害補償法が制定された。 このような公害賠償制度の整備にもかかわらず,公害賠償を請求する訴訟は長期化の傾向があり,最近では裁判所が積極的に話合い解決を推奨する傾向があり,水俣病事件や各地での大気汚染健康被害賠償訴訟について,相次いで〈和解〉が成立し,損害賠償理論にこだわることなく賠償の支払いが進められている。…
…日本独特の用語で,外国ではhealth effects of environmental pollutantsなどの言葉が用いられるが,特定の言葉はない。
[〈公害健康被害補償法〉の制定]
1959年に石油コンビナートが操業を始めた四日市で,その直後から健康被害の苦情が多発しはじめ,64年度の厚生省によるばい(煤)煙影響調査の結果,四日市の喘息(ぜんそく)様の呼吸器疾患の多発は大気汚染によるものであるという発表がなされ,これを受けて四日市市が公害病としての独自の医療扶助制度を開始したことが一つの契機となって,公害病という用語が社会的に広がり,定着してきたものである。ひきつづき1960年代の後半には,四大公害裁判といわれる四日市公害,熊本および新潟水俣病,富山イタイイタイ病の裁判が始められ,71年新潟水俣病,72年四日市およびイタイイタイ病,73年熊本水俣病と,すべて健康被害を受けた原告側の勝訴の結果となり,ここに公害病の概念の原型が社会的通念として広がってきた。…
※「公害健康被害補償法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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