日本大百科全書(ニッポニカ) 「ういろう」の意味・わかりやすい解説
ういろう
蒸し菓子の一種。ういろう餅(もち)ともいい、小田原、名古屋、京都、山口など各地の名物。粳米(うるちまい)に少量の水を加えてかき回し、これに氷砂糖を細かく砕いて混ぜ、ばらばらにほぐす。これをぬれぶきんを敷いた蒸籠(せいろう)の中に、約2センチメートルの厚さになるまでふるい込んで蒸す。蒸し上げれば白ういろうができる。室町時代には黒糖を用い、黒糖ういろうが本来のういろう餅であった。現在は抹茶(まっちゃ)ういろう、漉し餡(こしあん)を混ぜた小豆(あずき)ういろうのほか、コーヒーういろうなどもあり、棹物(さおもの)にこしらえる。また口取りに用いられる柿(かき)入りういろうは、干し柿を薄切りにして、一並べずつ粉と交互に3、4層ふるい合わせて蒸したもので、珍味とされている。
ういろう餅は外郎薬(ういろうぐすり)の口直しに始まる。1368年、中国、元(げん)の順宗が明(みん)に滅ぼされたとき、元の大医院礼部員外郎職にあった陳宗敬は、寧波(ねいは)から博多(はかた)に亡命し、外郎延祐(ういろうのぶすけ)と名のって保健薬「霊宝丹」を商った。薬効は後小松(ごこまつ)天皇(在位1392~1412)に聞こえ、足利義満(あしかがよしみつ)の招請で宗敬の子、宗奇が上洛(じょうらく)して薬を献上したが、その口直しに添えたのが、黒糖と米粉でつくった菓子のういろうであった。『和漢三才図会(ずえ)』には「羊羹(ようかん)の属」とある。
頭痛もちの帝は、霊宝丹を冠(かんむり)に挟んで常用されたが、薬が冠から透けて馥郁(ふくいく)の香りを漂わせたところから、霊宝丹は透頂香外郎(とうちんこうういろう)と名づけられた。外郎氏は義満の勧めで大和(やまと)源氏の宇野姓を名のったが、5代目の右京亮(うきょうのすけ)定治のとき小田原に下り、後北条氏の客分となった。以来薬菓両販で今日に至っているが、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の『東海道中膝栗毛(ひざくりげ)』に、「ういろうを餅かとうまくだまされて こは薬じゃとにがいかほする」とあるように、この滑稽本(こっけいぼん)の著された1809年(文化6)には、菓子のういろう餅は諸国に製法が伝えられていた。なお、1718年(享保3)2世市川団十郎が演じて歌舞伎(かぶき)十八番の一つとなった「外郎売り」は、薬販のほうである。
[沢 史生]