翻訳|acid rain
酸性度の強い雨。一般に酸性雨といわれるが、降雪の場合も含まれるので、酸性降水というほうがより正確である。
[横田弘幸]
蒸留水はph(ペーハー)(水素イオン濃度)7.0で中性だが、地球の大気には二酸化炭素CO2が含まれているため、大気中を降り落ちてくる雨は、一般には5.6程度の酸性を示す。これよりもph値が小さく、酸性の度合いが強いものを酸性雨とよんでいる。これは大気汚染物質の硫黄(いおう)酸化物SOxや窒素酸化物NOxが、大気中で硫酸や硝酸に変わり、それが雨粒に取り込まれてできるとされる。また、雨だけでなく、霧や雪に含まれるもの(まとめて湿性沈着wet depositionという)や、乾いた粒子状、ガス状の形で地上に落ちてくることもある(乾性沈着dry deposition)。原因となる大気汚染物質は、ガソリンや重油、石炭などの化石燃料を使う工場や自動車から排出される。しかし、それによってできる酸性雨は、この発生源から数千キロメートルも離れた所で降ることもある。このためヨーロッパでは、イギリスやドイツの工業地帯からはるかに遠く離れた北欧で酸性雨が降る(南ないし南西の気流のときにこの影響が大きい)という事態となり、国境を越えた広域的な取り組みが必要である。
[横田弘幸]
酸性雨は、19世紀なかばイギリスなどで工業化が急激に進むにつれてその被害が出始めたが、これを最初に指摘したのはイギリスの化学者スミスRobert A. Smith(1817―1884)で1872年のことであった。この年、彼は『マンチェスターのスモッグ』という論文のなかで、雨が酸性を帯びていることを指摘している。しかし実際のデータに基づき酸性雨を解明したのは、スウェーデンの土壌学者スバンテ・オーデンSvante Odenで1967年のことであった。彼は酸性雨の分布を広範囲にわたり調べたのち、それが遠方から運ばれてくる亜硫酸ガスと窒素酸化物に起因することをつきとめた。オーデンはこの論文で、酸性雨が水質、土壌、森林、建造物に今後大きな被害を与え、「人類にとって化学戦になろう」と警告している。オーデンはこの業績により今日では「酸性雨解明の父」とよばれている。
[根本順吉]
地上に降り注ぐことで、さまざまな被害を引き起こす。まず、湖沼、河川の水が酸性化し、湖底などから有害な金属が溶出して、魚類などの生息環境を破壊する。また、土壌が酸性化し、森林が衰退する。あるいは樹木に直接、降りかかることで樹木が枯れる。こうした自然への影響にとどまらず、大理石などの石像が酸性雨で溶けてしまうという文化財への被害も心配されている。
主として北欧などのヨーロッパ各地およびアメリカ北東部、カナダ東部、中国などが、酸性雨によって広域にわたり汚染されている。具体例をあげるとノルウェーにおいてはpHの値が0.5~1.0減少した(これは酸性度が7~10倍になることを意味する)ことにより、1500余りの湖水で魚類がいなくなってしまった。オンタリオ湖の東方にあるアメリカのアディロンダック公園は、汚染源から数百キロメートルも離れているが、酸性雨によって、その公園の澄みきった湖からはカエルがいなくなり、以前は豊富にいたマス類、スズキ類、カワカマスなどの魚は姿を消した。
また、ドナウ川の水源近くのドイツのシュワルツワルト(黒い森)では、pHが10年間で5~6から3.2に低下し、一時的にはレモン汁なみの2.8を記録したことがあり、このため常緑の針葉樹の成長が止まり、幹の中心部に空洞ができて、病める針葉樹を切り倒す無残な光景が至る所でみられるという。
スウェーデンでは約8万5000か所ある湖沼のうち1万5000か所が酸性化し、そのうちの4500か所で魚が死滅するなど、各地で生態系に大きな打撃を与えている。また、石や青銅でつくられた文化財の腐食が進むなどの被害も報告されている。
急速な工業化を続ける中国国内でも酸性雨は「空中鬼」と恐れられ、重慶(じゅうけい/チョンチン)などの工業都市では建物に使われている鉄の腐食が激しく、各地の森林にも被害が出ている。酸性雨はヨーロッパなどでは国境を越えた問題であるため、この防除には一国だけの規制では不十分であり、国際的な協力を必要とする重大な問題である。
[横田弘幸]
日本で酸性雨が観測されたのは昭和30年代に、三重県四日市市でpH2の雨を記録したのが最初である。その後1974年(昭和49)7月に群馬県、埼玉県、栃木県など関東内陸で酸性雨が降り、数万人の人が目の刺激や皮膚の痛みを訴える被害が出た。さらに1981年6月26日には群馬県前橋市で、降り出してからの1ミリメートルの雨にpH2.88という関東地方の観測値としては最高の酸性雨を記録した。このときは埼玉県本庄(ほんじょう)市でpH3.01、熊谷(くまがや)市でpH3.28、神奈川県川崎市でpH3.10などの観測値を示した。
1981年6月の酸性雨のときの気圧配置を調べてみると、本州南岸沿いに梅雨前線が停滞しており、雲底の高さは東京で200メートル、前橋で300メートル、雲の厚さは約2キロメートルであったが、この雲層の中に京浜・京葉地帯の煙突群からの排ガスが入り込み、水と反応して硝酸、硫酸となり、濃縮されながら北方に運ばれたものと推定されている。
日本での酸性雨の状況は、環境省(旧環境庁)が調査を続けているが、1993年(平成5)から1997年までの第三次調査によると、期間中の酸性雨のphは、全国平均で4.8から4.9を記録した。この数値は第一次調査以来、ほとんど変化はなく、生態系への明確な影響も明らかになっていない。しかし、すでに大きな被害の出ている欧米とほぼ同程度の酸性度で、今後も被害が出ないとの保証はなく、観測や土壌、植生などへの影響調査の継続が求められている。
[横田弘幸]
国境を越えた環境破壊であるため、国際的な取り組みが不可欠で、ヨーロッパを中心に1979年「長距離越境大気汚染条約」が締結された。その後のヘルシンキ議定書(1985)でSOx排出量を1993年までに1980年排出量と比較して最低30%削減が、さらにソフィア議定書(1988)でNOx排出量を1987年時点の水準に凍結することが定められるなど、加盟各国で酸性雨対策が進められている。
また、日本の酸性雨の一因として中国大陸からの大気汚染物質の影響も指摘されており、日本国内の対策だけではなく、大陸での公害防止への援助も大きな意味をもっている。同時に日本はアジア近隣諸国とともに酸性雨の実態を把握するため「東アジア酸性雨モニタリングネットワーク構想」を進めている。
[横田弘幸]
『石弘之著『酸性雨』(岩波新書)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
pH5.6以下を示す雨や雪などの総称であり,湿性大気汚染ともいう。大気中には人工的に放出された汚染物質や,火山,土壌,成層圏など天然源からの汚染物質が含まれている。降雨や降雪はこれらを除去する重要な自然浄化作用である反面,近年の工業化によって降雨にさまざまな有害物質が含まれるようになった。酸性雨もその現れの一つで,ふつうの雨はpH5.6前後であるが,硫黄酸化物,窒素酸化物,塩酸,酸性のエーロゾルなどが雲の中で雲粒に吸収されたり雨滴に捕捉(ほそく)されると,pH2~4のきわめて酸性の強い雨が降る。被害形態は多様で,霧雨では目,のど,皮膚の刺激がある。金属や建造物を腐食させる作用も強く,アクロポリスなどギリシア,イタリアの文化財崩壊が始まっている。酸性雨によって土壌が酸性化されると,植物と土壌中微生物の相互作用が阻害されて植物の生育にも影響が及び,また集水域の河川や湖沼の酸性化により,魚や水生生物が死亡することも起こる。このような被害の範囲は世界的に広がっていて,とくにヨーロッパ北部や五大湖沿岸北部では大きな国際問題となっている。
→大気汚染
執筆者:塚谷 恒雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
自然の雨は,大気中の二酸化炭素が溶け込むために微酸性を示すが,その下限は pH 5.6であるので,pH 5.6以下を示す雨を酸性雨という.1960年代以降,これよりもはるかに強い酸性の降雨が世界的に観測されて問題となっている.ヨーロッパではオランダ付近からスカンジナビア半島南部,北米ではアメリカ北東部からカナダなど広い地域にわたり pH 3~5の酸性雨が観測されている.こうした酸性雨が,湖沼,河川の pH の低下や土壌の変質などを引き起こし,自然環境や生態系に影響を与え,プランクトンや魚介類の死滅,森林の破壊,さらに文化的建造物などに大きな被害を与えている.日本でも各地で pH 3~4の酸性雨がしばしば観測され,人体への影響や農作物への被害が報告されている.酸性雨の原因は,工場や自動車による化石燃料の燃焼に伴い排出される硫黄酸化物や窒素酸化物などの大気汚染物質が,上空大気中で化学反応により硫酸イオンや硝酸イオンに変化して,雨や雪に湿性沈着,あるいはガスやエーロゾルに乾性沈着して降下するためと考えられている.酸性雨は,大気汚染物質が大気循環とともに移動(越境汚染物質)するために国境を越えた対策が必要とされ,被害の大きなヨーロッパでは,1985年に硫黄酸化物の排出量削減に関して,ヘルシンキ議定書が,1998年に窒素酸化物の排出量削減に関して,ソフィア議定書が締結されている.日本でも,環境省が1998年に,東アジア地域の酸性雨対策として,東アジア酸性雨モニタリングネットワーク構想を立ち上げている.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
(杉本裕明 朝日新聞記者 / 2007年)
(饒村曜 和歌山気象台長 / 宮澤清治 NHK放送用語委員会専門委員 / 2007年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
… 3H2SO3―→2H2SO4+S+H2O大気中に放出された二酸化硫黄は浮遊粒子表面をおおった水に溶けて亜硫酸となり,これが光化学反応によって硫酸に変化するのが,著しい大気汚染をもたらす〈硫酸ミスト〉発生の原因とされる。また雨に溶けて亜硫酸となるのが酸性雨の原因でもある。亜硫酸塩は一般に無色で(たとえばNa2SO3・7H2O),水溶液は還元性を示し,また湿った空気中ではたやすく酸化されて硫酸塩となる。…
※「酸性雨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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