おもちゃ絵(読み)おもちゃえ

改訂新版 世界大百科事典 「おもちゃ絵」の意味・わかりやすい解説

おもちゃ絵 (おもちゃえ)

一枚摺りの子ども用錦絵をいう。庶民の子どもたちの玩具であり,絵本であり,教科書であった。いつごろから作られたかは不明だが,斎藤月岑武江年表寛政年間記事に〈児輩の玩ぶ切組灯籠絵は上方下りの物なり〉とあるところから,寛政(1789-1801)のころには〈切組み〉と呼ばれるおもちゃ絵があったことがわかる。天保改革以来,一枚絵,ことに子どもものは当局に大目に見られたこともあって,おもちゃ絵はさかんに作られた。明治に入ると,文部省が教材用錦絵製作にのりだし,また,ようやく大人ものの錦絵があきられ始めて,絵師彫師,摺師が子どもものに生計の道を求めたことなどから,第2の黄金時代をむかえる。明治中ごろより衰退期に入り,大正の関東大震災(1923)で壊滅,その流れは児童雑誌の付録にうけつがれた。おもちゃ絵の内容は種々さまざまだが,あえて大別すると,(1)そのまま,あるいは少し手を加えて,遊具として使うもの(絵双六,かるた絵など),(2)切って遊ぶもの(姉様絵,写絵,簡単な立版古など),(3)ながめて楽しむもの(ものづくし,判じ絵など),(4)知識や教養を得るためのもの(ものづくし,単語図解,教訓絵など)に分けることができよう。おもちゃ絵を手がけた絵師は北斎広重,国芳,2代広重(重宣),英泉,芳虎,国盛など多彩だが,国芳門下西村芳藤(1828-87)が最も知られている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「おもちゃ絵」の意味・わかりやすい解説

おもちゃ絵
おもちゃえ

子供の手遊び向きの図柄に描かれた浮世絵版画(絵草紙)の一種。玩具(がんぐ)絵。江戸時代の安政(あんせい)(1854~60)前後から明治中期にかけて流行し、当時の子供たちに親しまれた。玩具が浮世絵師によって描かれるようになったのは明和(めいわ)(1764~72)初期からで、文化・文政期(1804~30)になると、浮世絵師と刷師(すりし)とが協力して毎年正月に「春興刷(しゅんきょうずり)」という錦絵(にしきえ)を発表。画題に犬張り子、奈良人形、羽子板、春駒(はるこま)、鞠(まり)など、春の遊びに用いられる玩具類を扱った。以後おもちゃ絵が流行し、子供の好きそうな題材が選ばれた。羽子板絵、武者絵、あるいは動植物を人物化した戯画風のもの、さらに子供の健康を守る疱瘡除(ほうそうよ)けの赤絵や、社会科的な教訓絵、細工絵などがある。これらを切り抜いて小箱に貼(は)ったり、組立て絵、立てばんこ(切り組み絵)式に細工したりした。また絵がそのまま玩具となる十六武蔵(むさし)、福笑い、双六(すごろく)、判じ絵、凧(たこ)絵、辻占(つじうら)絵、影絵なども含まれる。作者には、歌川国芳(くによし)と門下の芳藤(よしふじ)、芳幾(よしいく)たち、大坂では貞信(さだのぶ)、小信(このぶ)があり、ことに芳藤の作品に優れたものが多い。図柄には、大名行列、祭礼、相撲(すもう)、姉様、童話物、いろはかるた、五十三次、狐(きつね)の嫁入り、化け物尽くし、猫芝居、変わり絵、西郷戦争などがあり、絵本などの児童雑誌が出現する前の日本的な童画集とみることもできる。しかし児童出版物などに押され、版木の消滅したものからしだいに姿を消した。

[斎藤良輔]


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世界大百科事典(旧版)内のおもちゃ絵の言及

【絵本】より

…民間には浮世絵が流布し,そのうちに18世紀末から子ども用一枚絵が出回るようになった。下って歌川国芳(くによし)とその門下によって,切って折れば物語絵本となる連続こま絵などの一枚絵が盛んに描かれ,〈手遊び絵〉(今日ではおもちゃ絵ともいう)と呼ばれた。赤本の系統は,庶民の草双紙となり,各ページに絵を入れて文字を散らし書きに刷りこんだ絵本が一般的になった。…

※「おもちゃ絵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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