キルヒャー(英語表記)Athanasius Kircher

デジタル大辞泉 「キルヒャー」の意味・読み・例文・類語

キルヒャー(Athanasius Kircher)

[1601~1680]ドイツイエズス会士・自然科学者。古代エジプト象形文字・幻灯・光の屈折・電磁石・火山など、広い分野で業績をあげた。著「エジプト語復原」「明暗大技術」「地下の世界」など。

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精選版 日本国語大辞典 「キルヒャー」の意味・読み・例文・類語

キルヒャー

  1. ( Athanasius Kircher アタナシウス━ ) ドイツのイエズス会士、科学者。磁力、火山に関する研究を行ない、幻灯の発明者ともいわれる。(一六〇一‐八〇

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改訂新版 世界大百科事典 「キルヒャー」の意味・わかりやすい解説

キルヒャー
Athanasius Kircher
生没年:1602-80

ドイツの万能学者,イエズス会士。17世紀の科学と神学の両面にわたって多くの業績を残し,自然科学による宇宙観とカトリック神学との完全な調和融合をめざした。またカバラ占星術に強い関心を示し,一般には魔術家ともみなされているが,彼は神秘哲学オカルティズムの理知的部分を評価しただけで,いわゆる魔術や錬金術まやかしと一蹴している。23歳でハイリゲンシュタットのイエズス会神学校に招かれ,数学,ヘブライ語,シリア語を講じたが,すでにプロテスタント勢力が伸張したドイツ国内では安全を得られず,そのために神聖ローマ皇帝フェルディナント2世から要請のあったケプラーの後任数学講師の口などをあきらめ,フランスやイタリアを転々としながら1638年以降にようやくローマに落ち着き,数学を講ずるかたわら精力的な著作活動を開始した。《磁石論》(1641)を手はじめに,《宇宙の音楽》(1650),《地下世界》(1665-78),《支那図説》(1667)など,音楽論,考古学,言語学,博物学にわたる幅広い論述を,ほぼ3年に1テーマの割合でこなしたといわれる。その間に古代楽器エオリアン・ハープを復元したほか,有名な幻灯機拡声器などを発明,画家プッサンには遠近法を教授した。死後ローマに〈キルヒャー博物館〉が設置され,彼の残したおびただしい資料と文献は保管されることになったが,これはイギリスの〈アシュモリアン博物館〉と並ぶ世界最初期の公共資料施設である。

 キルヒャーの最も壮大な試みの一つはエジプト聖刻文字(ヒエログリフ)の解読であった。28年にエジプトのオベリスクを写生した画集を通じて聖刻文字を知った彼は,36年にコプト語を手がかりに解読に着手,その成果を《エジプトのオイディプス》(1652-54)として公表した。しかし解読法がカバラの神秘的な言語分析法に拠りすぎていたため今日では誤読とされているが,着想の方向としては正しかった。さらにキルヒャーは聖刻文字を,ノアの洪水後最初に神意を記した際に用いられた文字とみなし,これを解読することは神意を直接知ることにつながると考え,中国の漢字もまたエジプト人が東洋へ伝えた聖刻文字にほかならないと主張した。この先駆的な古代文化研究は,後代のサンスクリットとオリエント諸語との比較研究をも導き,世界の文明の起源問題を解明する端緒となった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キルヒャー」の意味・わかりやすい解説

キルヒャー
Kircher, Athanasius

[生]1601/1602.5.2. ガイザ
[没]1680.11.27. ローマ
ドイツの百科全書的学者。父は神学者。イエズス会のギムナジウムを卒業後,各地の大学で神学,人文学,自然学,数学のほとんどすべての学問を修める。イエズス会士 (1618) 。ウュルツブルク大学の哲学,数学,ヘブライ語,シリア語の教授 (29) 。三十年戦争の戦禍を逃れてアビニョンに移り (31) ,J.ヘベリウス,P.ガッサンディらと交流。教皇の招きでローマに行き (34) ,一時期ローマ学院の数学教授をつとめたが,後半生は著作 (総数 44) ,研究に没頭。特に磁気,光学,地質学の研究に秀でていたが,最大の意義は,その教育,広範囲の文通,著作活動を通して知識の普及に貢献したことである。主著『光と闇の偉術』 Ars magna lucis et umbrae (44) ,『地下の世界』 Mundus Subterraneus (64) 。

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百科事典マイペディア 「キルヒャー」の意味・わかりやすい解説

キルヒャー

ドイツのイエズス会士。数学,光学,音楽学,考古学,東洋学に及ぶ膨大な著作を残した万能人。エオリアン・ハープ,水力オルガン,幻灯機,拡声器,カメラ・オブスクラなどの復元・発明,さらにエジプト文字(ヒエログリフ)解読の先駆者,漢字のエジプト起源説の提唱者などとしても知られる。主著《磁石論》《普遍的音楽技法》《地下世界》《シナ図説》《エジプトのオイディプス》。ライプニッツと並ぶバロック的天才と評しうる。

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世界大百科事典(旧版)内のキルヒャーの言及

【アニメーション映画】より


【歴史】

[映画に先立つ映画]
 〈動画〉への衝動は,1万年以上前のアルタミラの洞窟壁画にすでに見られ,また絵を投影することによって動きのイリュージョンを味わいたいという欲求はインドやジャワの〈影絵〉にあった。1644年,ドイツのイエズス会の神父A.キルヒャーが〈幻灯機〉を発明,セットされた2枚のガラス絵を左右に手早くスライドさせ,大食いの人物がブタに変わるといった〈動き〉のある映像が写し出された。日本では,江戸時代にオランダ人がもたらした幻灯機を使った〈おらんだエキマン鏡〉なる見世物に触発された小石川の染物上絵職人亀屋熊吉が,友人の医者高橋玄洋の助けで,その仕掛けの原理を利用した自前の器械を完成,池田都楽と名のって,1803年(享和3)に江戸で〈写絵〉と称する種板式幻灯を寄席で上演した。…

【映画】より

…すなわち,(1)網膜の残像現像(正確には〈仮現運動〉と呼ばれる心理現象)を利用した科学玩具の発明,(2)光学器械による投影技術(幻灯)の発展,(3)写真の発明と写真技術の発達である。
[映写機と映画カメラの先駆]
 1646年,スイス生れのイエズス会の神父であり数学者であり神秘主義者であり発明狂であったアタナシウス・キルヒャーが,映画を上映する映写機の先駆である幻灯機を発明。著書《光と影の大いなる術》の中でその原理を説明しみずから制作している(日本語の〈幻灯〉は英語のmagic lanternの訳で,明治初期に文部省の手島精一の命名になるものである)。…

【幻灯】より

…光学を応用して映像を大写しにする幻灯は,17世紀に南ヨーロッパで発明されたらしく,文献上ではキルヒャーの《光と影の大いなる術》(1646)に紹介された著者考案になる〈ラテルナ・マギカ(魔法灯)〉が最初である。しかし現在の幻灯と違い,当時のそれは光源とレンズの外に種板を置き,正立像を写しだすものであった。…

【人工言語】より

…当時発足したローヤル・ソサエティも,この提案を支援した。またキルヒャーは暗号術とルルスの〈要約術〉を基礎として,異言語の交流を可能にする〈新複式記述法〉を提案した(1663)。ライプニッツも数学における数字をモデルに,〈組合せに応じて新たな真理が自動的に表現されうる〉記号論理学的な人工言語の創造を夢見た。…

【廃墟】より

…この時代には,キリスト教の強大化にともなってヨーロッパではわずかに継承されていたにすぎない古典古代文明の積極的な再発見と復興がめざされ,エジプトの巨大な遺跡やギリシア・ローマ時代の建築物をその記念物と見るようになった。考古学的にはイエズス会士A.キルヒャーが〈バベルの塔〉の遺構探索を行い,ウィトルウィウスの《建築十書》が復権するなどの動向と軌を一にして,古代建築の見本として地中海沿岸の廃墟も注目されるようになった。ギリシア建築の伝統などがとだえていた中世では,人々は,これら古代の巨大遺跡は神話的な巨人族の建てたもの,あるいは,ノアの洪水以前にあった建物の残骸と信じていた。…

※「キルヒャー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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