改訂新版 世界大百科事典 「くしゃみ」の意味・わかりやすい解説
くしゃみ
sneezing
〈くさめ〉ともいい,ともに漢字では〈嚔〉の字をあてる。神経の活動により生体の反応としてあらわれる反射現象の一つ。不随意におこるもので,咳のように意識してすることはできない。鼻粘膜にごく軽い刺激が加えられると激しい吸気運動がおこる。肺内に入った多量の空気は,続く呼気運動により鼻腔に向かうが,このとき鼻咽腔閉塞がおこっているので空気呼出はここで一時遮断されることになる。これにより肺内空気圧は著しく上昇する。気圧がある程度以上になると鼻咽腔閉塞がとれ発作性の強い呼気がでてくる。これがくしゃみで,この強い気流によって,鼻に異物があるときは,これを吹きとばすのである。太陽を見るとくしゃみのでる人がいる。刺激を中枢へ伝える神経がどこかで鼻からの神経と合流するためであろう,といわれている。鼻アレルギーの際の頻発するくしゃみはよく知られている。
執筆者:寺尾 彬
くしゃみの文化史
古代ローマでは,くしゃみは病気を治すためにしばしば利用された。ケルススの《医術について》には,くしゃみがしゃっくりを止めるのに役立つこと,高熱をくり返して昏睡を伴う肺炎や〈犬の痙攣(けいれん)〉と称する熱性痙攣や鼻の潰瘍にはくしゃみが有効であるとして,くしゃみを催させる薬の処方も記されている。シロシュロソウ,シャボンソウ,またはこれらに胡椒(こしよう)や海狸香(かいりこう)などを混じたものが催嚔(さいてい)剤とされている。
日本では,くしゃみをすることをもと〈はなひる〉と言った。《万葉集》に〈眉根(まよね)搔き鼻ひ紐解け待つらむか何時(いつ)しか見むと思へるわれを〉(2408)や〈うち鼻ひ鼻をそひつる劔刀身に副ふ妹し思ひけらしも〉(2637)などと見える。はなひるときに風邪をひいて死なぬようにと唱える呪文が〈くさめ〉だったようで(《徒然草》47段),〈休息万命(くそくまんみよう)〉の略という。〈休息万命急々如律令〉(《拾介抄》)とか〈千秋万歳急々如律令〉(《袖中抄》)などの呪文もあった。一説には,くさめは〈くそはめ〉で,〈糞食らえ〉と言えば風邪をひかぬからともいう。くしゃみの際のまじないは西欧にもあり,ペスト流行時に聖グレゴリウス(教皇グレゴリウス1世)がくしゃみの呪文をつくったという。ユダヤ伝承では,イサクの子ヤコブは,当時くしゃみの後すぐに人が死ぬので遺言状をつくるなどの時間が欲しいと神に祈ってかなえられ,その子ヨセフは父の病を知る手がかりを得た。そのまじないが〈Hayim tobim〉(〈生命があるように〉の意)であり,今もくしゃみした人に唱えるという。古代ギリシアには,鼻の長い男がくしゃみをしても,あまり遠くで音が聞こえず,〈Zeu sōsōn〉(〈ゼウスよ,救いたまえ〉の意)というまじないを言うことがなかったという笑話がある。古代ローマでは〈Absit omen!〉(〈凶兆よ去れ〉の意)と唱えたし,アメリカ原住民にも類似したまじないがあったと伝える(ソールズベリーのヨハネス《内輪のたわごと》)。
中国では,《詩経》に〈嚔有人説〉とあり,くしゃみが出ればだれかがうわさをしていると考えられた。〈一つ褒められ,二つ憎まれ,三つ惚れられ,四つ風邪をひく〉のたぐいの俗信は,英語では〈一つならキス,二つなら願いごと,三つは手紙で四つならもっと良いこと,五つは白銀(しろがね)で六つは黄金(こがね),七つくしゃみすりゃ人に言えない秘密がかなう〉となる。くしゃみをする曜日については,〈月曜日にくしゃみをすれば危いことが起こる,火曜日にすれば見知らぬ人にキスしてしまう,水曜にすれば手紙が着いて,木曜ならもっと良いことがある。金曜にすれば悲しいことが起こるが,土曜なら翌日恋人に会える,日曜にしたら無事を祈れ,さもなきゃ悪魔にその週ずっとつかまえられる〉という。
執筆者:池澤 康郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報