改訂新版 世界大百科事典 「しゃっくり」の意味・わかりやすい解説
しゃっくり
hiccup
横隔膜の痙攣(けいれん)によって生じる異常呼吸の一つで,吃逆(きつぎやく)ともいう。横隔膜が突発的に収縮して,急速に息を吸い込み,その途中で声門が閉じるために,特有な音を発する。横隔膜の運動に関係する神経反射で起こるために意志でコントロールすることは難しい。その神経反射は迷走神経第6~12胸髄の交感神経,および横隔神経の知覚枝が求心路であり,これを延髄の呼吸中枢が受け,横隔神経運動枝が遠心路となっている。したがって,この経路のどの部位に異常刺激を受けても,しゃっくりが起こる。その原因は心因性のものも含めてきわめて多く,ほとんどは一時的なもので治療を必要としないが,まれに胸腔内や腹腔内の異常や,脳炎などの中枢神経の異常によって生じるものがあり,頻繁に起こりしかも長期に続くものでは,その原因に応じた治療が必要となる。
一般にみられる軽いしゃっくりは,自然に消失する。しゃっくりを止めるために,息こらえ,氷水の飲用,おどかし,鼻をこよりでくすぐってくしゃみを誘発させるといった民間療法が行われるが,これらの方法は安全だが確実ではない。しかし,これらは,より大きな刺激を与えてしゃっくりの原因刺激に対抗させようとするものであり,一応は試みたほうがよい。治療として眼球圧迫,頸部横膜神経圧迫や,咽頭部刺激(鼻腔から挿入したゴム管などで,口蓋垂の高さの咽頭部を上下にこする)などが行われるが,これらは医師が行うべきものである。重症のものでは鎮静剤,自律神経作動薬が投与され,ときに横隔神経ブロックや横隔神経捻除術などの処置が行われることもある。
執筆者:工藤 翔二
文化史
ヒッポクラテスはしゃっくりが病気の徴候である場合のあることを知っていて(《栄養論》),症例報告の中でも観察している(《流行病について》)。ケルススもしゃっくりが繰り返し長く持続するのを肝炎の特徴としてあげているが,他方くしゃみをすればしゃっくりが止まると述べて生理的なしゃっくりも認めている(《医学について》)。プラトンの《饗宴(シュンポシオン)》では医師エリュクシマコスがしゃっくりを止める方法として,息を殺していること,水でうがいすること,くしゃみをすることをあげ,アリストファネスはそのすべてを試みている。しゃっくりに対するくしゃみの効用は広く信じられていて,S.ジョンソンの《英語辞典》にもくしゃみがしゃっくりに効くという民間療法が記してある。
しゃっくりを止めるまじないは日本にも多数あり,鼻をつまんで水または米飯を飲みこむ,箸を頭上に逆さに立てる,10から1まで逆に一息に数える,不意に驚かすなどのほか,水を満たした茶碗に箸を十文字に渡し,各区画から順に水を飲むともある。また手掌に〈柿〉の字を書いてこれを飲むまねをすると効くというまじないは,柿のへたを煎じて飲めという江戸末期の育児書《撫育草(そだてぐさ)》の記述と同系である。この書には,トウガラシの粉をうどん粉に丸く包んで飲むというやや刺激的な方法もある。また,《正法眼蔵随聞記》には,病気は気の持ちようだから仏道にいそしめば病も起こらないという例として,しゃっくりをしている人につらいことをいえば,言い訳をしようと本気になるのにまぎれて止まると述べられている。日常多くみるのは驚愕,憤怒などの激しい情動や急ぎの食事などの際に起こる一過性の生理的なしゃっくりだから,横隔膜を強く刺激するくしゃみや特殊な嚥下には効果があると思われるし,その他のまじないも効いたとされることがあることになる。盗み食いやつまみ食いをするとしゃっくりが出るという俗信は,急いだ食物摂取と関連のある戒めである。中国では巨闕(こけつ),中脘(ちゆうかん),翳風(えいふう),章門(しようもん),足三里その他の〈つぼ〉に鍼(はり)または灸を用いると止まるとされる。
→くしゃみ
執筆者:池澤 康郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報