ドイツ東部、ザクセン州の工業都市。1953~90年はカール・マルクス・シュタットKarl-Marx-Stadtと称し、「ザクセンのマンチェスター」とよばれる織物の町であった。エルツ山脈から流下するケムニッツ川の幅広い谷の標高309メートルにあり、人口25万9200(2000)。14世紀に皇帝建設都市として、交易、手工業が発達し、工業の多いザクセン地方のなかでも第一の都市であった。1800年以降、蒸気力とジャカード織機に支えられて綿織物工業が急速に発展し、また古い鉱業基盤のうえに、機械、機関車、自動車、鋳物、電気工業が発達した。1964年に工業大学が創立された。
織物工業の起源は、土着のリンネルを原料とした、農家の主婦による中世の織物であった。やがてマケドニアの木綿や、さらには羊毛、絹などの輸入により、織物工業が続いてきた。
[佐々木博]
ドイツ東部,ザクセン州の都市。1953年から90年まではカール・マルクス・シュタットKarl-Marx-Stadtと称していた。人口26万3222(1999)。東ドイツ時代は同国最大の工業都市のひとつで,同国工業生産の3%を占めた。鉄道・高速道路の結節点である。1165年に自治権を得て以来,16世紀にはザクセン選帝侯領最大の麻織物の町として栄えた。16世紀半ば近代鉱物学・冶金学の祖G.アグリコラが市長をつとめた。一時衰退したが18世紀末以降発展し工業都市となる。早くから労働運動が盛んで,ワイマール共和制期には共産党が強かった。第2次大戦で戦禍をうけたが復興し,とくに工作機械・車両製造が盛ん。工科大学がある。
執筆者:下村 由一
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