イギリスの物理化学者、分子生物学者。オックスフォードに生まれる。ケンブリッジ大学で化学を学び、卒業後、第二次世界大戦中は空軍に入り、レーダーの研究やオペレーション・リサーチに参加。戦後、大学に戻り、W・L・ブラッグのもとでM・ペルツとともに改良を加えたX線解析を用いて結晶タンパク質の構造解析という前人未到の分野を開拓した。1958年にタンパク質ミオグロビンの結晶の概略的な三次元モデルを提出、2年後に完全な分子構造を明らかにした。この研究により1962年ペルツとともにノーベル化学賞を授与された。ペルツとともに創設したケンブリッジ大学医学研究会議所属分子生物学研究所の副所長を1975~1982年まで務め、ハイデルベルクにあるヨーロッパ分子生物学研究所総裁などを歴任した。
[宇佐美正一郎・宇佐美 論]
イギリスの生化学者.1939年ケンブリッジ大学卒業.第二次世界大戦中は航空省でレーダー研究に携わったのち,空軍でオペレーションズリサーチに従事した.J.D. BernalとL.C. Pauling(ポーリング)の影響を受けて生物学に関心をもち,1946年からケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所のM.F. Perutz(ペルツ)の分子生物学の研究グループに参加し,1949年Ph.D.を取得.球状タンパク質ミオグロビンのX線構造解析に従事し,1958年低分解能電子密度図を得て,タンパク質の三次構造をはじめて明らかにした.その後,分解能を高めて二次構造,一次構造をも決定して,生体高分子の立体構造決定の道をひらいた.これらの仕事に対して,1962年Perutzとともにノーベル化学賞を受賞.同年新設の医学研究会議(MRC)分子生物学研究所副所長に就任.ヨーロッパ分子生物学研究所(EMBO)の設立にも携わり,1974年初代所長に着任した.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
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