改訂新版 世界大百科事典 「スリランカ美術」の意味・わかりやすい解説
スリランカ美術 (スリランカびじゅつ)
スリランカの美術は前3世紀の仏教伝来とともに始まり,インド美術の伝統を受け継ぎつつ独自の展開を遂げ,東南アジアの美術に影響を及ぼした。全時代を通じて仏教美術が優勢であり,中世以降南インドからの移住民によりヒンドゥー教美術も行われた。造形活動の中心地は前4世紀から1000年以上首都であったアヌラーダプラ,それに続いて12世紀を中心に繁栄したポロンナルワであり,遺構もそれらの周辺に多い。
建築
建築は仏教やヒンドゥー教の宗教建築のほかに,王宮などの世俗建築もある。大多数を占める仏教建築は,現代に至るまで仏教が信仰の主流であることから,繰り返し修復をうけているものも少なくない。仏教建築で最も顕著なのはストゥーパであり,スリランカではこれをダーガバdāgabaと呼ぶ。本質的にはインドの覆鉢塔の形式を継承し,その初期の形式を後世まで保持している点に特色があり,しかも大規模なものが数多い。塔門がなく,基壇の四方にワーハルカダvāhalkadaという突出部をつくるのは南インドの形式にならったと思われる。一方,スリランカ独自の展開も見られ,欄楯(らんじゆん)の代りに列柱をめぐらし,低い円形基壇はおおむね三重であり,覆鉢の上の箱形の平頭(びようず)は巨大化し,傘蓋は層をなした円錐形となる。アヌラーダプラには煉瓦造の巨塔が多く,北部のアバヤギリ塔(前1世紀に創建,基壇の直径108m),南東に位置するジェータバナ塔(4世紀,113m),ルワンウェーリ塔(前1世紀,19世紀末期修復,70m)が重要である。トゥーパーラーマ塔はアショーカ王より送られたブッダの右鎖骨を納める,前3世紀創建の由緒ある塔であるが,19世紀中期に大改修をうけている。アヌラーダプラ東方13kmのミヒンタレー山は仏教初伝の地とされ,前3世紀創建のカンタカ・チェーティヤ塔はワーハルカダにすぐれた浮彫をのこしている。ポロンナルワのワタダーゲー(12世紀)は煉瓦造の腰壁から上が崩壊しているが,内部にストゥーパを安置する円形の塔院である。仏堂の代表例であるポロンナルワのランカーティラカ寺(12世紀)は,平面が長方形でボールト天井の煉瓦建築である。アヌラーダプラのローハパーサーダ僧院は,前1世紀の創建時は9層であったとの記録があり,現在も初層の石柱1600本がのこる。そのほかポロンナルワには南インドのチョーラ様式のヒンドゥー教寺院(11世紀)があり,王宮址としてはシーギリヤ(5世紀)やポロンナルワ(12世紀)のそれが重要である。ポルトガルやオランダの支配期(16~18世紀)には仏教も衰退したが,ビルマ(現,ミャンマー)やタイから僧を招き,ダンブラ窟院(17~18世紀)などが復興された。
彫刻その他
彫刻はインドと同様ストゥーパの装飾として始まり,アヌラーダプラなどの古塔のワーハルカダの浮彫が早期の例である。仏像は3世紀以前にはさかのぼりえず,初期のものはインドのアーンドラ美術の影響が顕著であり,ことに体に密着した衣に陽刻線による襞をほぼ等間隔に密集させる手法は後世まで続いた。またアヌラーダプラ南西部のイスルムニヤの人物や動物の磨崖浮彫には,インドのパッラバ様式(7~9世紀)が濃厚である。なお11世紀ごろまでの様式展開は不明な点が多く,年代を明確に決めがたい。ポロンナルワには12世紀の巨大な磨崖像がいくつかあり,特に涅槃像,伝アーナンダ立像,伝パラクラマバーフ1世像が有名である。特異な発展を遂げたものに守護石と月石がある。前者は建物の入口に立てられた石板で竜王(蛇神)を刻み,後者は入口や階段の下に置かれた半月形の踏石で動植物文様を浮彫する。スリランカの仏教は小乗上座系であるため,仏陀像が主流を占めるが,観音などの大乗の菩薩像や密教系尊像もある。また石彫を中心にブロンズ,テラコッタ,スタッコ彫刻も行われた。
壁画はシーギリヤの散華する女性群像(5世紀末期)が最も有名であり,ポロンナルワのティバンカ・ピリマゲ寺(13世紀)には仏教説話図があり,ダンブラ窟院にも豊富にのこっている。
執筆者:肥塚 隆
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報