日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヒンドゥー教美術」の意味・わかりやすい解説
ヒンドゥー教美術
ひんどぅーきょうびじゅつ
7、8世紀を頂点に、インド全域に広まって現代まで続いているヒンドゥー教に伴う美術表現。仏教、イスラム教とともにインド美術史のなかで大きな比重を占めている。
本格的なヒンドゥー教美術の出現は、インドで仏教美術が衰退期に入るグプタ朝(4~6世紀)後半からで、以後13世紀ごろまでの数百年間がその発展期である。イスラム軍の侵攻により、北インドでは13世紀以降みるべき遺構はないが、南インドでは近代に至るまで美術活動が続けられ、インド以外でもパキスタン、アフガニスタン、カンボジア(アンコール・ワットがもっとも著名)などに遺構がみられる。
仏教の真髄は究極には行動を抑制し、冥想(めいそう)によって内に沈潜し、仏の心に近づこうとするところにあり、インドの仏像にはこうした精神を表現したものが多いが、ヒンドゥー教の神像は静止の状態もあるがむしろ行動的で、外に向かって神格を発揮する姿態を表現したものが大部分である。ヒンドゥー教の神像にみられる多面多臂(たひ)の表現も、神々の力、すなわち自然力の外に向かっての働きを具体的・現実的な形によって示すためである。また、ヒンドゥー教では自然力を創造、保存、破壊の三つとみなし、それぞれにブラフマー、ビシュヌ、シバの3神をあてるが、さらにこの3神は自己の力を最大に発揮させるために、さまざまな異なる姿になって活躍する。この3神の変身がさらに数多くの神々を生むため、造型的にもヒンドゥー教の彫像は多様にして複雑な様相を示すようになった。
遺品からみた初期ヒンドゥー教の神像は、古代インドの仏教美術のなかで、ヤクシャ、ヤクシー、ナーガ(大蛇)などが仏陀(ぶっだ)の守護神として現れる。いずれも土着の民間信仰に起源をもつが、アーリア的なベーダの宗教(バラモン教)によるものにインドラ、スーリヤ(太陽)などがある。そこで、自然のあらゆる事象を神格化するヒンドゥー教は、肉体の力の発現を神の力につながる自然のエネルギーとみなし、そのため肉体をことさら豊満に表現する。ヒンドゥー教美術にみられる男女一対の像をミトゥナ像とよぶが、これは男女の肉体的結合、つまり性的な喜びを単に感覚的なものとみなさず、実体的な神と一体になる宗教的歓喜を体現するものと考えるものであり、エロティシズムにあふれているが、肉体性と精神性が表裏一体をなすものとしてともに肯定される宗教上の特質をよく表している。このインド彫刻の華ともいうべきミトゥナ像が豊富にみられるのは、北インドのカジュラーホの石造寺院群とコナーラクのスーリヤ寺院とである。
神像と並んでヒンドゥー教美術を代表するのは寺院建築である。本尊を祀(まつ)る神殿のある本殿の上部に、シカラと称する高塔があり、北型のものでは高さ50メートルを超えるものがあるが、南型の寺院では高いシカラをつくらず、多くはピラミッド形の屋根をもつ本殿がつくられる。石窟(せっくつ)寺院では、ヒンドゥー教最古のウダヤギリのほか、ラーシュトラクータ朝(8~10世紀)のエローラ、エレファンタなどのものが知られている。いずれも神像や、神話を題材にした浮彫りでところ狭しと飾られているが、これは、仏教寺院が宗教活動の場であるのに対し、ヒンドゥー教では神々の住居という性格があるためである。
[永井信一]