改訂新版 世界大百科事典 「ヌペ族」の意味・わかりやすい解説
ヌペ族 (ヌペぞく)
Nupe
西アフリカ,ナイジェリア中央部,ニジェール川とカドゥナ川の合流地域に住み,その言語,ヌペ語は,系統的にはその南西部のヨルバ族や南東部のイボ族などの言語とともに,ニジェール・コンゴ語派のクワ語群に属する。ヤムイモ,モロコシ,トウモロコシ,キャッサバなど森林性とサバンナ性の両方の栽培植物をもつ農耕民であるが,鉄鍛冶の技術にもたけ,また商業民として広い交易圏をもち続けている。ヨルバ族,バリ族,イガラ族などの諸民族と同様に,ヌペ族の社会は16世紀以来聖なる王をもつ王国を形成し,17~18世紀にはサハラ砂漠を越える交易の一部,とくに南の森林部と北のボルヌー,ハウサなどとの広域交易ルートを結ぶ要衝にあって,経済的発展を遂げた。また周囲の小国との戦争を通じて,奴隷交易の一翼をも担っていた。
ヌペの王はエツEtsuと呼ばれるが,その起源は1530年ころとされている。彼らの口頭伝承によれば,それ以前のヌペは統一されておらず,弱少で,南方のイガラの王国に従属し,その朝貢国になっていた。イガラの王子があるときヌペの土地を旅して,ヌペの首長の一人の娘と恋仲になった。王子はイガラの国に戻って,のちにイガラの王(アツタ)になったが,その娘は懐妊し男子を生んだ。この子はツォエデと名付けられたが,30歳のときに朝貢奴隷の一人としてイガラへ送られ,そこで父と運命的邂逅をする。父のもとで君主としての道を学んだツォエデは,父の死後,ヌペの土地に帰り,群小の首長たちを倒してヌペの国を統一し,初代のエツとなり,ビダに首都をおいた。その後300年余り,ヌペの王国は強大な国家として周囲のヨルバ,イガラ,カカンダ,エベなどと戦い,いくつかの小国を併合した。18世紀後半,15代目のエツ,ジビリはイスラムに改宗した。19世紀に入り,ナイジェリア北部で,フルベ(フラニ)族のイスラム導師ウスマン・ダン・フォディオの唱導によって,イスラムのジハード(聖戦)が展開するが,ヌペの王国もこのジハードで征服され,西半分がソコトの,東半分がグワンドゥのフルベ・イスラム帝国の支配下に入った。ときのエツ,マジャはフルベとの友好関係につとめ,名目的な王位を守った。19世紀末,ヌペとフルベは,ギニア湾沿岸から入りこんできたイギリス植民地勢力の手先,ニジェール会社の軍隊と戦って敗れ,その後はイギリスのかいらいのエツが任命されるようになった。
ヌペの王はカカティと呼ばれるトランペットや鉄の鎖,シンチュウの鐘など王位を象徴する神器をもち,呪術的な力をもつ聖王であるが,その王国組織や宗教的信仰など,多くの面でヨルバ族との共通性をもっている。またイフェの地に起こった青銅器文化,鉄器文化を受け継いで,独自のヌペ芸術をつくりあげた。
執筆者:日野 舜也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報