日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハートリー」の意味・わかりやすい解説
ハートリー(David Hartley)
はーとりー
David Hartley
(1705―1757)
イギリスの医者、心理学者。ヨークシャーのアームリー生まれ。ケンブリッジのジーザス・カレッジで聖職者になるために神学などを学んで1729年学位を得た。その後医学に進み、ニューアーク、バスで開業した。1749年主著『人間観察』Observation on Man, His Frame, His Duty, and His Expectationsを出版、このなかでロックの「観念連合」の理論を独自に詳しく展開し、いわゆる連想心理学を創設した。彼の仕事はJ・ミルに高く評価され、後の生物学や心理学に影響を与えた。
[内田 謙]
ハートリー(Sir Charles Augustus Hartley)
はーとりー
Sir Charles Augustus Hartley
(1825―1915)
イギリスの水工・土木技術者。元来は鉄道関係の技術者であったが、クリミア戦争(1853~1856)に技術将校として従軍して以来、水理土木技術分野に移り、港湾建設、治水工事を数多く手がけ、世界の諸河川・港湾の治水改善に関する功績が大きい。クリミア戦争終結年から始めたドナウ川の航行改善のための技術指導や、1875年のアメリカのミシシッピ川下流域デルタ地帯の埋没防止対策研究、さらに1884年から1906年にかけて行ったスエズ運河の拡大に関する技術指導が、世界的に有名である。
[村松貞次郎・藤原恵洋]
ハートリー(Douglas Rayner Hartree)
はーとりー
Douglas Rayner Hartree
(1897―1958)
イギリスの物理学者。ケンブリッジに生まれる。1926年ケンブリッジ大学で学位を取得、1929~1937年マンチェスター大学に勤務。第二次世界大戦中は弾道学、大気物理学、水力学の応用研究を行った。1946年から終生ケンブリッジ大学数理物理学教授。数個の電子をもった原子の構造を決定するための近似計算法(「ハートリー近似」「自己無撞着の方法(じこむどうちゃくのほうほう)」とよばれる)の開発があり、約25個のさまざまなイオン状態における原子の波動関数を解いた。また初期の計算機の開発とその導入に尽力した。主著に『原子構造の計算』(1957)がある。
[高山 進]
ハートリー(Leslie Poles Hartley)
はーとりー
Leslie Poles Hartley
(1895―1972)
イギリスの小説家。ノーサンプトンに生まれる。オックスフォード大学卒業。ヘンリー・ジェームズ風の処女作『シモネッタ・パーキンズ』(1925)、また、中産階級の兄妹の成長を描いて両大戦間のイギリスの社会生活を鮮やかに浮かび上がらせた三部作『小えびと磯(いそ)ぎんちゃく』(1944)、『第六天国』(1946)、『ユースタスとヒルダ』(1947)など、伝統的・技巧的な小説に秀でていた。しかし、1960年の『顔の正義』は、社会的関心の強い優れた逆ユートピア小説である。
[鈴木建三]