パチタン文化(読み)ぱちたんぶんか

日本大百科全書(ニッポニカ) 「パチタン文化」の意味・わかりやすい解説

パチタン文化
ぱちたんぶんか

インドネシアジャワ島における旧石器文化。1935年にドイツのケーニヒスワルトとトウィーディは、同島南東岸パチタンPatjitan付近のバクソカ川の川床や3~4メートルの段丘上で、打器、握斧(あくふ)、祖型握槌(あくつい)、握槌、剥片(はくへん)石器、石核など多量の石器を発見した。いずれも表面採集であったため、年代決定は困難であったが、握槌の存在から、これらの石器をもつ文化は、シェル文化に並行すると考えた。のちにモウィウスは多量の打器類に注目し、この文化はアジアに分布する打器文化に属するものと考え、併存する握槌は他の文化の影響によるものではなく、独自に成立したとした。そして、この文化の担い手はおそらくジャワ原人であろうと考えた。

片岡 肇]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パチタン文化」の意味・わかりやすい解説

パチタン文化
パチタンぶんか
Patjitan culture

インドネシア,ジャワ島の旧石器文化で,中期更新世に属する。 G.ケーニヒスワルトらが 1935年中部ジャワのバクソカ川沿いのパチタンで発見した石器によって命名。大きな粗製チョッパーなどの片面加工のものが大部分を占め,両面加工の握斧も少量含まれる。インドから東アジアに分布するチョッパー,チョッピング・トゥール文化の一環とされる。

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