ピム(読み)ぴむ(英語表記)John Pym

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピム」の意味・わかりやすい解説

ピム
ぴむ
John Pym
(1583―1643)

イギリスの政治家。初期スチュアート朝およびピューリタン革命期におけるもっとも有力な国王反対派。コーンウォールに生まれ、孤児となってピューリタンの家族に引き取られる。オックスフォード大学、テンプル法学院で教育を受け、最初は西部で農業経営に従事しつつ地方政治に携わった。1621年、庶民院下院議員に選出され、1620年代を通じて有力な政府反対派として活動し、「権利請願」の採択などに尽力した。その後チャールズ1世の親政のもとでは関心を「新世界」に向け、植民会社の経営に携わったが、1640年、短期議会招集とともにふたたび表舞台に現れ、長期議会の運営に辣腕(らつわん)を振るった。内戦の開始後は議会による行政の確立に努めたが、その結果をみずに1643年12月8日世を去った。(書籍版 1988年)
小泉 徹]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ピム」の意味・わかりやすい解説

ピム
Pym, John

[生]1583. サマセット,ブリモア
[没]1643.12.8. ロンドン
イギリス,清教徒革命初期の指導者。オックスフォード大学と法学院に学び,1621年以来下院議員。バッキンガム公弾劾 (1626) ,「権利請願」 (28) の提出などに活躍。チャールズ1世の親政期 (29~40) には,北アメリカでプロビデンス会社の植民事業に参画。 40年短期議会での演説で反政府派の中心人物と目され,長期議会ではストラッフォード伯弾劾,大権裁判所と恣意的課税廃止などの改革を実現。翌年末「大抗議文」の発表により五議員事件の一人となった。内乱準備においても議会側の中心となり,その勃発後は財政改革スコットランドとの同盟を実現させたが,癌で死亡。

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