フリードリヒ・ヴィルヘルム

山川 世界史小辞典 改訂新版 の解説

フリードリヒ・ヴィルヘルム(大選帝侯)(フリードリヒ・ヴィルヘルム(だいせんていこう))
Friedrich Wilhelm (der Große Kurfürst)

1620~88(在位1640~88)

ブランデンブルク選帝侯。巧妙な外交政略によりホーエンツォレルン家領土を拡大,プロイセンに対するポーランド宗主権を排除して後年プロイセン王国中核を築いた。対内的にはグーツヘルシャフト容認とひきかえに貴族勢力を一元的官僚行政のもとに組み込み,税制,軍制の整備拡充によって絶対主義の基を開いた。

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旺文社世界史事典 三訂版 の解説

フリードリヒ=ヴィルヘルム(大選帝侯)
Friedrich Wilhelm (der Große Kurfürst)

1620〜88
ブランデンブルク選帝侯(在位1640〜88)
三十年戦争後,国土拡張に努力したほか,海運を創始し,財政改革常備軍設置,集権的な官僚行政機構の整備など,のちのプロイセン王国の基礎を築く。宗教に寛容で,ルター派とカルヴァン派の和解につとめた。

フリードリヒ=ヴィルヘルム(4世)
Friedrich Wilhelm Ⅳ

1795〜1861
プロイセン王(在位1840〜61)
保守的で自由主義に反対し,三月革命一時譲歩したが,1849年フランクフルト国民議会の帝冠を拒否した。1850年オルミュッツの条約により,オーストリアを除くドイツ連邦組織化失敗

フリードリヒ=ヴィルヘルム(1世)
Friedrich Wilhelm Ⅰ

1688〜1740
プロイセン王(在位1713〜40)
官僚制を整備し,国費大半軍事費にあてて軍備の強化をはかり,プロイセン王国興隆の基礎を築き,絶対主義化に努力した。軍人王とあだ名される。

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367日誕生日大事典 の解説

フリードリヒ・ヴィルヘルム

生年月日:1620年2月16日
ブランデンブルク選帝侯(在位1640〜88)
1688年没

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