改訂新版 世界大百科事典 「マーベル」の意味・わかりやすい解説
マーベル
Andrew Marvell
生没年:1621-78
イギリスの詩人。ヨークシャーの国教会派牧師の家に生まれ,ケンブリッジ大学に学ぶ。若いころの一時期カトリック教徒になったともいわれ,政治的心情も王党派寄りであったが,やがてピューリタン(清教徒)革命の進展につれてピューリタン陣営に参加するようになり,革命と共和政の挫折後も,主義を変えなかった。抒情詩人としての詩才は,1650-52年を中心とする数年間に開花したようである。そのとき彼は,クロムウェルと意見を異にして故郷のヨークシャーに隠棲した元議会派軍総司令官トマス・フェアファクス卿の娘の家庭教師として,アップルトン邸と呼ばれる屋敷に滞在し,その美しい庭園や周囲の自然を,深い思いをこめて歌った。《庭》《アップルトン屋敷を歌う》《子鹿の死を悲しむニンフ》など,無限の陰影を含む抒情詩は,清教主義と国教会主義,政治的参加と隠棲,自然と人工等々の対立的要素の中間で,複雑で微妙な心情的バランスを保つ手段であったといえる。また英詩史上もっとも完ぺきな機知の詩の一つに数えられる《内気な恋人》では,ダンに始まる〈形而上詩〉の知的なイメージ操作と,古典文学的な平衡感覚がみごとなバランスを保って,詩的感性の成熟の極点を示している。20世紀になってT.S.エリオットらの絶賛を集めたゆえんであろう。しかしマーベルはやがてクロムウェル陣営に身を投じ,そのラテン語の学識で,政府のラテン語秘書官であった盲目のミルトンを助けた。王政復古(1660)後,ミルトンを迫害から救うのに力があったとも伝えられる。共和政末期から故郷ヨークシャーのハル市選出の議員となり,王政復古後は野党的立場を守りながら議会で健闘した。かつての優美な抒情詩人は,舌鋒鋭い政治風刺詩人に変身し,政敵たちに恐れられたが,後世の人々からは〈愛国者〉とたたえられる業績を残した。〈形而上詩〉の伝統の最後を飾りつつ,そこからもはみ出す詩才であった。
執筆者:川崎 寿彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報