集団的加熱取材ともいう。語源となった英語のスクラムは、ラグビーのスクラムからきたもの。ライバル関係にある大勢のメディアの取材者が取材源=ボールを囲んで、奪い合うありさまをたとえた言葉。会期中の議会前に記者が待ち受け、重要取材源の人物が出てくると、いっせいに取り囲み、即席の記者会見ができあがる様子などをさした。日本では、1995年(平成7)のオウム地下鉄サリン事件、97年の神戸市須磨(すま)・連続児童殺傷事件、翌年の和歌山・毒入りカレー事件のころから、事件現場に殺到する大規模な取材者集団による、被疑者とその周辺関係者や近隣住民など、相手かまわずの取材行動をさす用語として使われだし、これら被取材者のプライバシーの侵害、現場地域の住民の生活妨害など、多様な被害をもたらすメディアの行為をさす用語として、定着した。
[桂 敬一]
1985年(昭和60)、悪徳商法の豊田商事・会長永野一男が刺殺されたとき、メディア各社が現場に殺到、画一的な報道競争にのめり込んだが、ニューヨーク・タイムズはその光景を「パック・ジャーナリズム」と痛烈に評した。「パック」とは、当時日本の団体旅行客が大挙して欧米に出かけたパック・ツアーからとった表現である。この年は、「ロス疑惑事件」の三浦和義容疑者逮捕、日航ジャンボ墜落事故と生き残り少女追っかけなどでも「パック・ジャーナリズム」状況が連続的に出現、実態的にはすでにメディア・スクラムが生じていた。このような狂躁(きょうそう)状態は必然的に誤報、プライバシー侵害、名誉毀損(きそん)などを招き、犯罪報道が犯罪をつくるとするメディア批判が高まった。草原の野牛が突如いっせいに走り出すスタンピード現象は自制が利かない。このようなメディアの傾向を自ら戒めるためにメディア・スクラムという用語が使われだしたが、2000年代に入ると、個人情報保護法案・人権擁護法案・青少年有害社会環境対策基本法案の、いわゆる「メディア規制3点セット」が出現、報道と人権の問題をめぐって、メディアは市民と政府の両方から挟撃を受ける事態となった。
[桂 敬一]
報道界は報道表現の自由を守るうえで、乱雑なメディア・スクラムの発生を自主的に防止する必要を感じた。2001年、日本新聞協会が「集団的加熱取材に関する見解」をとりまとめ、放送・出版(雑誌)の関係団体にも呼びかけ、翌年には重要事件が起こったとき、現場の都道府県にある各取材機関の責任者が協議、ある種の代表取材またはプール取材の体制を整え、取材結果を全社が共有することになった。これは、営利誘拐事件発生時の報道協定の経験を生かしたものである。だが、この体制は発足してすぐ、同年に小泉首相北朝鮮訪問・拉致被害者帰国が実現すると、新たな試練にさらされた。取材者の少数化・単一化が、政府の厳しい報道規制や巧妙なメディア操作を許してしまう危険を随伴したからである。人権擁護と調和すべき取材・報道の自由は、新しい課題に遭遇している。
[桂 敬一]
『鶴岡憲一著『メディアスクラム――集団的過熱取材と報道の自由』(2004・花伝社、共栄書房発売)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
(浜田純一 東京大学教授 / 2007年)
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