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1600年ころオペラの成立に伴って生まれた歌唱様式で,話し言葉を朗誦的・音楽的に強調した伴奏付独唱。レシタティーフともいい,叙唱と訳される。初期のレチタティーボはモノディとほぼ同一視されるが,ベネチア楽派に至って劇の展開や対話と,感情的表現部分を音楽的に区別するようになり,感情の高まりの部分にアリオーソariosoと呼ばれる短い旋律的音型が挿入され,それがアリアに展開したのに対し,劇の展開や対話はレチタティーボとして独立した。これはその役割上,言葉のリズムや抑揚を重んじたもので,通奏低音の和声的基礎に支えられて形式的に自由に朗唱する。おもに次の2種がある。(1)レチタティーボ・セッコrecitativo secco(乾いた叙唱) アリアの分離に伴って話し言葉の性格が推し進められた速いテンポのもの。通奏低音のみの伴奏で音楽的要素に乏しい。(2)レチタティーボ・アコンパニャートrecitativo accompagnato(伴奏付叙唱) 管弦楽の伴奏をもつもので,そのためにリズム的自由さが減じ,叙述性よりも劇的な性格が強い。アリアに先行するレチタティーボに用いられている。
執筆者:井形 ちづる
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
「叙唱」と訳される。オペラ、オラトリオ、歌曲などで、ことばの自然なリズムやアクセントを生かし、語るように歌われる部分。それだけが独立した楽曲をつくることはなく、かならずアリアなどに結び付く。一定の形式はない。作曲家が音程、リズム、テンポなどを記譜した場合でも、歌手はこれを守る必要はなく、かなり自由に歌ってもよい。通奏低音の伴奏によるレチタティーボ・セッコrecitativo seccoと管弦楽伴奏によるレチタティーボ・アッコンパニャートrecitativo accompagnatoに分類できる。アリアとの関係ではレチタティーボで物語などの状況を説明、アリアで感情を表現するという役割分担がある。
グレゴリオ聖歌の詩編の朗唱もレチタティーボの一例であるが、レチタティーボが重要な技法となるのは17世紀初頭のオペラからである。そこでは初め台詞(せりふ)はすべて朗唱風に作曲されたが、やがてその一部がアリアになってゆくにしたがい、レチタティーボは前述した形式へと向かう。19世紀後半ワーグナーがレチタティーボとアリアの区別を排し、無限旋律を楽劇の中心に置いたことにより、レチタティーボは姿を消していった。
[石多正男]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
… オペラの特色はステージを伴って歌と管弦楽によって演じられる音楽的なドラマという点にある。歌の中には,独唱によるアリアやレチタティーボのほか,種々の形態の重唱や合唱が含まれる。管弦楽は歌を支えるほか,序曲(前奏曲)や間奏曲を受け持ち,ときには独自のシンフォニックな流れでドラマの展開を後づける。…
…フィレンツェでは1580年代末からメディチ家に仕える貴族(バルディ伯とコルシ伯)をパトロンとして,詩人,音楽家,理論家たちが〈カメラータcamerata〉と称するアカデミーを結成し,古代ギリシア悲劇の朗唱法の復活を目ざして研究をつづけていたが,ペーリは90年代半ばからこのカメラータの一員となり,詩人リヌッチーニOttavio Rinuccini(1562‐1621)の協力を得て,音楽的物語《ダフネDafne》(1598初演)と《エウリディーチェEuridice》(1600年メディチ家の婚礼の余興として初演)を完成する。この2作品は,カメラータの会員たちの理論的研究の成果である〈舞台様式stile rappresentativo〉を実践したもので,今日,レチタティーボを用いた近代的なオペラの誕生を意味する作品と見なされている。なおペーリのオペラ創作の仕事は,数年後クラウディオ・モンテベルディに継承される。…
※「レチタティーボ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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