ラーマーナンダ(英語表記)Rāmānanda

改訂新版 世界大百科事典 「ラーマーナンダ」の意味・わかりやすい解説

ラーマーナンダ
Rāmānanda
生没年:1400-70

インド宗教家シュリーバイシュナバ派ラーマーヌジャ派系統に属し,1434年ころにワーラーナシーに来てラーマ崇拝,すなわちクリシュナ,ラーダーに対してではなく,ラーマシーターに対する純粋な信仰を広めた。シュリーバイシュナバ派が下層階級同情をもちつつもカースト制度を是認していたのに反対し,その差別を撤廃した。彼はビシュヌ権化であるラーマの信仰に,ラーマーヌジャにより強調された神に対する信愛バクティ)による解脱の説を結びつけ,このラーマに対する信愛があれば,だれでも教団に入ることを許した。また,サンスクリットではなく民衆の用いている俗語方言により教えを説いたので,人々はそれをたやすく理解できた。彼の直系は〈激情を鎮めた人々〉とか〈執着を離れた人々〉とか呼ばれ,彼の弟子のうちライダース,セーナー,カビールらは独立した宗教運動の創始者となった。
ビシュヌ派
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラーマーナンダ」の意味・わかりやすい解説

ラーマーナンダ
らーまーなんだ
Rāmānanda

14世紀末~15世紀前半のインドの宗教家。北インドのイラーハーバードの出身であるが、南インドのラーマーヌジャ派に属していた。共食の問題でこの派を離れ、北インドのバーラーナシーを中心に、ラーマ神を崇拝するバクティ(信愛)を説いた。北インドにおけるバクティ運動の出発点は彼であったとされる。カーストによる差別を無視し、種々のカースト出身者を弟子にした。自らラーマーナンダ派の開祖となったが、弟子のなかから、カビール派などの重要な派を生んだ。

[宮元啓一 2018年5月21日]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ラーマーナンダ」の解説

ラーマーナンダ
Rāmānanda

1400頃~70頃

インドの宗教思想家。南インドの出身で,1430年頃ヴァーラーナシーにきて,南インドのヴィシュヌ派の信仰をもたらし,ヴィシュヌの権化としてのラーマと妃シーターに対する絶対的帰依バクティを鼓舞した。地方の俗語をもって,カーストを問わず広範囲の人々に布教したので,その影響は大きかった。トゥルシーダースカビールもその流れに属する。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラーマーナンダ」の意味・わかりやすい解説

ラーマーナンダ
Rāmānanda

[生]1400頃
[没]1470頃
インドの宗教家。ヒンドゥー教徒で,もとラーマーヌジャ派に属していた修行者。神に対する信愛による解脱への道を強調し,カーストを否認し,教団内では俗語を使用し,道徳的に堕落をかもし出す危険のあるクリシュナとその愛人ラーダーへの崇拝の代りに,清純健全なるラーマとシーターへの崇拝をすすめた。彼の信徒は一つの宗派を形成し,現在も存続している。

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百科事典マイペディア 「ラーマーナンダ」の意味・わかりやすい解説

ラーマーナンダ

ヒンドゥー教ビシュヌ派の一派シュリーバイシュナバ派に属する宗教家。神に対する信愛(バクティ)による解脱(げだつ)への道を強調,カーストの区別を否定したことで知られる。

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