ルイ14世時代のフランスの造園家。Le Nôtreとも書く。ル・ノートル家は代々王室の庭師で,アンドレは絵画から建築まで含めた広い観点に立った総合芸術の立場から造園を行った。とりわけニスロンJ.F.NiceronやデザルグG.Desarguesの透視図法理論に影響され,独自の幾何学的庭園を考え出した点で名高い。フランスにおける最初のバロック建築とみなされるボー・ル・ビコントVaux-le-Vicomteの城館(1656-61)は,ル・ボーによる建物とともに,ル・ノートルの庭園が配せられている。軸線,左右対称性に加えて庭園全体の透視図法的効果,円や正方形あるいは円錐や角柱状に整えられた庭園構築物,植栽などが,この庭園を特徴づけている。この成功に引き続き彼はベルサイユ宮殿の庭園を手がけることになり,大運河,噴水といったバロック的演出効果をともなった大庭園をつくり上げる。王室造園家として他にも,フォンテンブロー,マントノン,サン・クルーなどの庭園設計に携わった。彼は,自然を一定の幾何学的,視覚的秩序の中に引き込み,庭園が完結した宇宙としての調和を有することに力点を置いた。
執筆者:三宅 理一
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フランスの造園家。チュイルリー宮の首席造園家の子として生まれる。1637年に父の地位を引き継ぎ、さらに56年には王宮庭園監査官に登用された。初期の傑作ボー・ル・ビコント宮の庭園(1655ころ~61)には古典時代の庭園に固有の幾何学的形式が導入されており、のちに手がけたベルサイユ宮の庭園の手本となった。そのほかムードン、マルリ、サン・ジェルマン・アン・レー、フォンテンブロー、シャンティイといった重要な王室離宮の造園に従事したが、これらの庭園では池泉、花壇、四阿(あずまや)、樹木などが、よく調整された全体のなかでそれぞれの役割を適確に果たしており、巨大な舞台装置を連想させる。彼によって提示された庭園に関する新しい芸術観は、ヨーロッパ諸国の王侯によって積極的に取り入れられたので、その後の庭園芸術に及ぼした影響はきわめて大きい。
[濱谷勝也]
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[フランス式庭園の成立]
イタリアの庭園はヨーロッパ各国に大きな刺激を与え,そのボキャブラリーがアルプスの北方へと輸出されたが,やがてそのなかからフランスに新しい様式への動きがあらわれ始める。まず宮廷造園家の家系に生まれたモレClaude Mollet(1563ころ‐1650ころ)が,16世紀後半に刺繡(ししゆう)文様を生垣に写しとったような刺繡花壇を開発し,さらに17世紀にいたってA.ル・ノートルが,イタリアと違って主として平地に営まれた幾何学的構成をもつ庭園に強い軸線を導入して,ブルボン朝の栄華にふさわしい壮大な様式を完成させた。これが〈フランス式(整形)庭園〉と一般に呼ばれるもので,彼はボスケbosquet(叢林)で庭園の主部を限りとり,そこに刺繡花壇,大噴泉などを整然と配して無限へと延びる見通し線を造りだした。…
※「ルノートル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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