ロシア生まれの動物学者。ハリコフ(ハルキウ)大学卒業。ドイツのギーセン、ゲッティンゲン大学に留学。1865年学位を取得、ノボロシア大学(現、オデーサ大学)講師を経て、1868~1870年ペテルブルグ大学教授、その後ノボロシア大学教授。1882年辞職してイタリアのシチリア島で海洋生物を研究したが、その際、白血球の食菌現象を発見、これは白血球が細菌を取り込み消化する生体防御機能であると説明、免疫学の原点を画した。1886年パスツールの狂犬病予防ワクチン療法の普及のためオデッサ細菌研究所長に就任。1888年パリのパスツール研究所に移り、自然免疫の理論などを研究。ルーとの共同による梅毒病原のサルへの接種は梅毒動物実験の最初の報告として有名。1889~1916年パリのパスツール研究所長。1908年ドイツのエールリヒとともに、免疫に関する研究業績によりノーベル医学生理学賞を受賞。
[藤野恒三郎]
ロシア生れの動物学者,医学者。ロシア名はIl'ya Il'ich Mechnikov。ハリコフ県に生まれ,ハリコフ大学で動物学を学ぶ。4年制の課程を2年で卒業が認められると,ギーセン,ミュンヘンに遊学し,帰国後,1867年にオデッサ大学動物学講師,73年には教授となった。ここで,発生学,比較解剖学の研究に従事したが,82年学内紛争にまきこまれて辞職,翌年,イタリアのメッシナに赴き,海産動物について食菌現象の研究を行い,細胞の食作用を発見した。後に一時オデッサに帰り,細菌学研究所長となったが,88年,フランスのパスツール研究所に招かれ,所員となって,ここで終生研究を続けた。彼は食作用の研究をさらに進め,炎症を食細胞の消化にもとづく生体防御の機構と考え,《炎症の比較病理学》(1892),《感染における免疫》(1900)を著した。1908年,これら免疫に関する研究によって,P.エールリヒとともにノーベル生理学・医学賞を受けた。晩年には,ブルガリアに長寿者が多く,これがヨーグルトの飲用によるものと説き,長寿法としてヨーグルト飲用を勧めたことは有名。
執筆者:川口 啓明
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(石山洋)
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1845~1916
ロシアの動物学・細菌学者。オデッサの大学で動物学,細菌学を教授,のちパリのパストゥール研究所で発生学,比較解剖学などを研究し,1908年免疫に関する研究でノーベル賞を受けた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…炎症の〈炎〉は,肺炎,中耳炎,虫垂炎などと日常使われている言葉で,身体の一部分の器官の名前の後に付けて,その部分に起こった熱や痛みを伴う病気を示している。炎症とは,このように〈炎〉の付く病気や,また〈炎〉の付かない病気でも日常よくみる“はれもの”とか“できもの”のように熱,痛み,はれを伴う病気の総称であり,腫瘍とか循環障害とか奇形などとは異なった疾患群を示す医学用語である。
[炎症の研究史]
炎症の概念はギリシア医学の昔からプレグマphlegma(蜂巣炎,たとえば“できもの”が皮下組織に幅広く広がった状態)の言葉として使われており,この言葉は“燃える”という概念を示していた。…
…長生つまり肉体の永存をいう。いつまでも若く永遠に生きたいという人間の根源的な願望は,中国では神仙道教の教義に結実した。古代的不老不死の観念を,(1)若さを保ったまま永生を得る,(2)いったん死んでからよみがえる,という二つの型に分けるとすれば,処女のような肌をした藐姑射(はこや)の仙人や白日昇天(ある日突然身体が軽くなって昇仙する)などは前者であり,尸解(しかい)(みせかけの死のあと棺中に剣や杖を残して仙人の仲間入りをする)などは後者に属する。…
※「メチニコフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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