コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

アギナルド Aguinaldo, Emilio

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アギナルド
Aguinaldo, Emilio

[生]1869.3.23. カビテ近郊
[没]1964.2.6. マニラ
フィリピン革命の最高指導者。1896年8月カビテ州ビエホの町長となったが,その頃には革命秘密結社カティプナンの地区幹部でもあり,対スペイン独立闘争に参加。スペイン軍を破り,1898年1月にはビアクナバト条約によりスペインと和平が成立したが,和平交渉の結果,自身は国外へ永久追放となり,1898年アメリカ=スペイン戦争勃発とともに帰国。アメリカ合衆国と共闘してスペイン軍を破ったが,のちアメリカの占領政策と対決。ついに 1899年1月フィリピン共和国樹立を宣言,マロロス憲法を発布し,初代大統領となってアメリカ軍と戦ったが,1901年3月捕えられ以後隠遁生活を送った。1935年にフィリピン共和国政府の初代大統領選挙に立候補したが落選し,政界から退いたが,1941年フィリピンを占領した日本軍に動員され,戦後逮捕,投獄された。独立後特赦により釈放。1950年名誉回復の印として国会議員に任命された。(→フィリピン史

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉の解説

アギナルド(Emilio Aguinaldo)

[1869~1964]フィリピン独立運動の指導者。スペイン支配に抵抗し、1899年、共和国大統領となる。植民地化をめざす米国と対立して失敗。1901年、政界から引退。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

百科事典マイペディアの解説

アギナルド

フィリピン独立運動初期の指導者。秘密結社カティプーナンに属し,1896年以来スペイン,米国に対し独立を宣して反乱,2度にわたり革命政府大統領に選ばれたが失敗,1901年後は引退。
→関連項目黒竜会頭山満フィリピンポンセ

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

アギナルド【Emilio Aguinaldo】

1869‐1964
フィリピン革命の指導者。ルソン島カビテ州の出身で,生家は長年町長をつとめた名家であった。彼も1895年に町長に選ばれたが,同時に秘密結社カティプーナンに入会して,スペイン支配の打倒をめざした。96年8月,フィリピン革命が勃発すると,カビテ州の革命軍を率いてめざましい活躍を示し,カティプーナン総裁ボニファシオとの間に指導権争いを生じた。97年5月,ボニファシオを粛清して革命の指導権を握ったが,彼の指導は日和見的で,97年12月にはスペインと和を講じて闘争を放棄し,ホンコンへ亡命した。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

アギナルド【Emilio Aguinaldo】

1869~1964) フィリピン独立運動の指導者。スペイン支配に対する革命を指導。1899年フィリピン共和国を樹立し、大統領となる。のち、アメリカの植民地となってからは抗米闘争を指導したが、1901年降伏。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アギナルド
あぎなるど
Emilio Aguinaldo
(1869―1964)

フィリピン革命の指導者。カビテ州カビテビエホ(現カウィット)の名家の出。1895年同町の町長に選出されるやスペイン植民者の目を欺いて秘密結社カティプーナンに入会。1896年8月革命が勃発(ぼっぱつ)するとカビテ州の革命軍を率いて名声をあげ、革命全体の指導権を要求するに至った。そのためカティプーナン総裁ボニファシオとの間に内訌(ないこう)を生じたが、これに勝って、1897年3月革命政府大統領となった。しかし、彼の指導は日和見(ひよりみ)的で、1897年12月にはスペインと講和して香港(ホンコン)へ亡命。1898年4月アメリカ・スペイン戦争が始まると帰国してふたたび革命の指導権を掌握、1899年1月には第一次フィリピン共和国(マロロス共和国)を樹立して大統領に就任した。だが、同年2月から始まったアメリカとの戦争で、1901年3月逮捕され降伏した。以後は郷里で隠遁(いんとん)生活を送っていたが、1935年フィリピン・コモンウェルス(連邦)初の大統領選挙に担ぎ出されケソンに敗れた。[池端雪浦]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内のアギナルドの言及

【フィリピン】より

…革命を主導したのは,秘密結社カティプーナンであった。しかし,革命開始後まもなくして,革命軍内部には,地域主義と階級の違いを主要因とする,深刻な指導権争いが生じ,革命のリーダーシップはカティプーナン総裁ボニファシオの手からカビテ州プリンシパリーア階層の先頭に立つアギナルドの手に移った。アギナルド指導部は97年12月スペインと和約を結んで,革命終息をはかり,彼らは香港へ亡命した。…

【フィリピン・アメリカ戦争】より

…近代的装備に勝るアメリカ軍は破竹の勢いで革命軍の防衛線を突破し,全島に侵略の歩を進めた。99年3月末首都マロロスが陥落し,11月には革命政府大統領アギナルドが北部ルソン山岳地帯に追い込まれて,全軍的指揮能力を失った。だがアメリカにとっての苦戦はむしろこの時から始まった。…

【ボニファシオ】より

…1880年代に入ってスペイン支配の改革を求めるプロパガンダ運動が始まると,率先してこれに参加したが,知識人中心の言論活動の不毛さに失望して,92年7月同志とともに武装革命をめざす秘密結社カティプーナンを結成,95年にその第3代総裁となり,96年8月フィリピン革命を開始した。しかし闘争の過程でアギナルドの率いるカビテ州のプリンシパリーア階層との間に指導権争いを生じ,これに敗れて,97年5月10日アギナルド革命政府の手で処刑された。【池端 雪浦】。…

※「アギナルド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

アギナルドの関連キーワードボニファシオ(Andres Bonifacio)デューイ(George Dewey)東南アジア史(年表)ジョージ デューイフィリピン近代美術アギナルド記念館植民地独立運動ファンストンM. ポンセ宮崎 滔天エストラダ山田 美妙3月23日宮崎滔天黒龍会植民地マビニ

今日のキーワード

天網恢恢疎にして漏らさず

《「老子」73章から》天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということ。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

アギナルドの関連情報