アケメネス朝美術(読み)アケメネスちょうびじゅつ

改訂新版 世界大百科事典 「アケメネス朝美術」の意味・わかりやすい解説

アケメネス朝美術 (アケメネスちょうびじゅつ)

アケメネス朝は,西アジア(メソポタミア),小アジアから中央アジアに及ぶ広大で多様な領域を支配下に収めた。そのため同朝は,帝国内の各地域にすでに存在していた多くの美術から諸要素を摂取し,それらを一定の趣向ないし理念に従って折衷・融合して,これ以上発展の余地がないほど完成された宮廷様式を確立し,それを全土に広めた。同朝の美術は原則として帝王や貴族の趣向に合致した世俗的なものであり,宗教美術や民衆芸術と呼ぶものは実在しなかった。また,美術は宮殿を中心に発展し,その中でも建築が主導的地位を占め,彫刻や絵画はそれに従属していた。

ウラルトゥ王国や小アジアのギリシア系王国の切石積みの石造建築・木造建築の技法・原理が採用され,西アジアの伝統的煉瓦建築と併用されている。すなわち,建物の壁面を日乾煉瓦で構築し,粘土で覆った水平の屋根を横梁と列柱で支えている。宮殿は大きな基壇(テラス)の上に造営し,その基壇は切石ないし天然の岩を用いて堅固に築かれた。このような建築原理は,北西イラン(メディア王国時代)やカフカス地方の木造建築に由来し,アケメネス朝は木柱に代えてギリシアやエジプトの石柱の技法を導入したわけである。柱に関するアケメネス朝の独創性は,柱頭の形式にある。すなわち,屋根を支える横梁をのせる柱頭に,背中合せの2頭の動物座像(例,牡牛,馬)を用いている。これはルリスタン青銅器をはじめとする北西イランの動物意匠を建築に初めて応用したものである。アッシリアの宮殿建築(アッシリア美術)の影響としては,宮殿や城門の入口などに石製彫刻を施す点が挙げられる。人面有翼牡牛像丸彫などを僻邪獣として門の左右に1対配している。煉瓦壁の表面は,アッシリアの宮殿では石製浅浮彫で飾っていたが,アケメネス朝では新バビロニアの彩釉煉瓦の技法と図像を用いて,グリフィン,牡牛像などの浮彫煉瓦で宮殿壁を華麗に飾っている(例,スーサ)。このような建築はパサルガダエスーサペルセポリス遺構(前6~前5世紀),さらにナクシュ・イ・ルスタム等の磨崖王墓(前6~前5世紀)にみられるが,キュロス大王(2世)墓(パサルガダエ,前6世紀)のような独得の切妻型屋根の建物もある。

独立した彫刻(例,スーサ出土のダレイオス1世立像,前6世紀)は例外的で,壁面を飾る浮彫や柱頭の丸彫が圧倒的に多い。これらの彫刻にも建築と同じく,既存の諸美術の影響が顕著である。浮彫や丸彫については,アッシリアの浅浮彫や丸彫の様式や図像に影響され,人物,動物,神像(アフラ・マズダ)は外観が克明に描写されている。その描写は様式化されているが,基本的には写実性がある。しかし,アッシリア美術のように迫真性はなく,より装飾的で典雅になり,また動物の脚を5本表現するような非合理的表現も排除されている。特に浮彫は比較的厚くなり優美な立体性を有しているが,これはギリシア彫刻の影響と考えられる。特に古代オリエントの美術に全く欠けていた襞の表現がみられるのは,ギリシアの衣襞法を部分的に採用した結果といえる。しかし,基本的には古代オリエントの伝統的描写に即し,例えば,人体表現については,頭部は側面観,胸部は正面観,下半身は側面観と視点をかえて表現している。さらに,人物や動物の描写は画一的で変化に乏しく,ギリシア彫刻のような自由さ,個性表現は全く欠如している。民族・階級の差は衣服,装身具,武器,あるいは属国の特産品(例,バクトリア地方のフタコブラクダ)などで区別している。また,帝王と朝貢者などの身分の区別は,帝王を大きく朝貢者を小さく表現することによって暗示している。このほか,遠いものを上方に近いものを下方に描く,古代オリエント伝来の上下遠近法を用いている。人物にせよ動物にせよ,その外観は克明微細に描写しているが,これも古代オリエント伝来の,対象の外観を忠実に再現しようとする真実主義に由来する。彫刻の主題は,宗教的,民衆的あるいは個人的なものはなく,原則としてアケメネス朝の帝王観(例,宇宙の支配者,神の子孫)に関係するもので占められている。例えば,古代イラン民族の伝統的テーマ〈王権神授〉(王権神授説)は,帝王がゾロアスター教の最高神アフラ・マズダから王権の象徴の環(ディアデム)を授与される光景によって表現されている。これはメソポタミアの円筒印章の王権神授,アッシリアの太陽神と帝王の図像の系譜を引いているが,ゾロアスター教の聖火を加えている点が新しい。さらにアケメネス朝の帝王は,帝王は地球(宇宙)の支配者,という観念を古代オリエントの先進民族から受けついだが,それを表現するのに,属国の民が帝王の座す玉座を両手で支える図像を創出した(玉座かつぎ)。また,帝王は神官,戦士,農耕・牧畜民よりなるイラン民族の3階級の代表者,保護者と見なされていたが,これは帝王と怪獣の闘争文で象徴的に表現されている。また,アケメネス朝の最大の行事は毎年,春分の日に行われる朝貢拝賀の儀式であり,その式次第はペルセポリスの建物に克明に浮彫され,その日は,獅子と牡牛の闘争文で示されている。このようにアケメネス朝の彫刻は,帝王の超人性,神聖さを表現するための図像が,帝王の栄光にふさわしく洗練され均一化された様式で構成されていた。この宮廷様式は,浮彫や絵画(遺例なし)に限らず,王侯貴族の日常生活を彩った奢侈品にも共通する。工芸品としては,金・銀のコイン,円筒・スタンプ印章,金・銀の容器,装身具,ガラス器が知られているが,いずれも,アケメネス朝の宮廷様式と高度の技法を示している。
イラン美術
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アケメネス朝美術」の意味・わかりやすい解説

アケメネス朝美術
アケメネスちょうびじゅつ
Achaemenid art

アケメネス朝治下の古代イラン美術。代表的なものとして,壮大なペルセポリスの遺跡がある。大基壇と列柱からなり,壁面には神獣や人物などの写実的で力強い石の浮彫装飾がみられる。工芸では金銀器に優れた製品があり,主題には伝統的な動物意匠が用いられている。現存する主要な遺構として,パサルガダエ遺跡スーサ遺跡,キュロス2世王墓,ナクシェ・ロスタム遺跡ビーシトゥーン (ベヒストゥーン) のダレイオス1世の戦勝記念碑などがある。

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世界大百科事典(旧版)内のアケメネス朝美術の言及

【ササン朝美術】より

…ササン朝美術は,宗教と一体となった帝王の権威を誇示することを目的としたもの,ないしは帝王を中心とする宮廷貴族文化に関係したものが大半を占める。ササン朝美術の形成にあたりアケメネス朝美術の伝統をふまえ,前代のパルティア美術,同時代のローマ,ビザンティン美術の摂取総合がなされた。そこにはイラン民族のすぐれた装飾感覚とササン朝独特の写実主義との調和がみられ,高い完成度に達して,イランの古典美術となった。…

※「アケメネス朝美術」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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