アモイ(その他表記)Amoy
Xià mén

改訂新版 世界大百科事典 「アモイ」の意味・わかりやすい解説

アモイ (厦門)
Amoy
Xià mén

中国福建省南東部沿海,鷹厦(ようか)鉄道の終点にある港湾商工業都市。鷺門ともいう。人口205万(2000)。九竜江河口の同安県を含む地域と厦門島,鼓浪嶼(ころうしよ)からなる。市街は厦門島の西岸部にあり,1956年海堤建設後,大陸とつながった。宋代より外国貿易港として繁栄した漳州門戸にあたり,かつ付近には小島が多く,海賊,密貿易者の淵叢をなしていた。明代に同安県嘉禾嶼かかしよ)(今の厦門島)に城壁を築き厦門城と称した。鄭成功がこの地を占拠したとき,明の再興の意をこめて思明州と改称した。鄭氏の滅亡後,清は厦門庁をここに置き泉州府の管轄とした。1913年思明県と改められ,33年厦門市が設けられた。17世紀ころより東インド会社の商船がしばしば通商におとずれていたが,1842年(道光22)南京条約により五港の一つとして開港され,貿易量は急増した。しかし台湾が日本へ割譲された後,砂糖,茶はすべて台湾から輸出され,通商は衰えた。厦門港は華僑の出入りの門戸で,その多くは東南アジアに移住していった。この結果,華僑資本による投資が厦門におこなわれ,教育機関などの公共事業が運営された。とりわけ陳嘉庚によって設立された厦門大学は有名である。解放後,鷹厦鉄道により江西省の鷹潭に通じ,浙贛(せつかん)鉄道(杭州株洲)とも連絡した。厦門港は福州港に並ぶ省の重要港湾で,省内の内陸部より農産物,工業製品を集め,さらに各地より陸揚げされる生産物もあり,輸出入の中心地となっている。1979年に経済特別区に指定されてからは台湾資本の投資が活発になり,工業化が進んだ。特区の面積は当初2.5km2だったが,89年には厦門島124km2に拡大され,海滄・杏林に台湾商人投資区が設置された。電子,機械,食品,化学が主要工業部門で,紡績や建材工業も発達している。
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百科事典マイペディア 「アモイ」の意味・わかりやすい解説

アモイ(厦門)【アモイ】

中国,福建省南東部の港湾都市。英語ではAmoy。1933年に市制。もとは島であったが,1956年海上堤防の完成で陸地と一体化した。別名を嘉禾嶼,鷺嶼という。明朝以来,海辺防備の要所で,清朝初期には鄭成功がここを拠点とした。付近の鼓浪嶼(コロンス)には,もと諸外国の共同租界が設けられていた。厦門港は島の南西部にある商業港,漁港で,1842年南京条約により開港。華商の東南アジア方面への送出港としても有名。1980年経済特区に指定され,その範囲は当初は湖里地域の2.5km2にすぎなかったが,その後市全体に拡大された。1987年に台湾との交流が自由化され,台湾からの投資が急増した。1994年の工業生産総額241億元のうち7割近くは外資企業によるもの。鷹厦(ようか)鉄路により江西省の鷹潭に通じる。191万人(2014)。
→関連項目三都澳中華人民共和国

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アモイ」の意味・わかりやすい解説

アモイ

「シヤメン(厦門)特別市」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のアモイの言及

【福建[省]】より

…南朝以後,今日の泉州市は対外海上交通の一中心となり,とくに宋・元時代には最盛期を迎え,アラブの旅行家から世界最大の貿易港とさえいわれた。しかし,近代では晋江の流出する土砂のために海底が浅くなり,大船舶の出入りに適しなくなって,その地位を福州,厦門(アモイ)の両港にゆずった。省内では内河航運も盛んで,閩江上流の南平市は建渓,沙渓,富屯渓の合流点に当たり,ここから下流には100トン以上の汽船を通じ,上流には木造船が往来している。…

※「アモイ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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