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アラゴン連合王国 アラゴンれんごうおうこく

世界大百科事典 第2版の解説

アラゴンれんごうおうこく【アラゴン連合王国 Corona de Aragón】

イベリア半島東部の中世アラゴン,カタルニャ,バレンシア3国とバレアレス諸島から成る連合国家で,1137年から18世紀初頭まで続いた。連合を構成する各国の独自性を尊重するその政治伝統は,カスティリャの中央集権的傾向に対する拮抗要素として,イベリア半島の政治史の中できわめて重要な働きをした。 アルフォンソ1世の死(1134)によってアラゴンは重大な危機に立たされた。王位継承者はなく,ナバラは離反し,カスティリャはイスラム期の旧サラゴサ王国領に対する野心をいっそう露骨に打ち出してきた。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内のアラゴン連合王国の言及

【スペイン】より

…フランスの中央集権国家体制をスペインに移植することを意図したカスティリャ王国は,フランス王ルイ14世(王妃はカルロス2世の姉マリア・テレサ)の孫アンジュー公フィリップを擁立した。他方,歴史体験に基づくナショナルな感情に依拠して,カスティリャ王国の意図に反対するアラゴン連合王国(アラゴン王国,バレンシア王国,バルセロナ伯国,マリョルカ王国からなる)は,神聖ローマ帝国皇帝の次男カールを次期王位継承者として支持した。国内の戦いでは,緒戦に,アラゴン王国とバレンシア王国がフランス・カスティリャ連合軍の軍門に下り,反逆したかどでカルロス2世の時代まで保持していた特権を剝奪された(1707年6月29日)。…

【スペイン帝国】より

…さらに自国領以外の土地およびその住民に対する統治行為の意味に〈帝国〉を解するならば,〈スペイン帝国〉は1898年まで続いた。
[スペインの誕生]
 15世紀後半,イベリア半島はカスティリャ,アラゴン連合王国(以下アラゴンと略記),ポルトガル,ナバラおよびイスラム教徒のグラナダ王国(ナスル朝)の5ヵ国に分かれ,そこにはまだスペインという国はなかった。しかし,カスティリャにイサベル1世が立ち(1474),次いでアラゴンの王位にフェルナンド2世が就くと(1479),その後40年足らずの間にポルトガルを除く4ヵ国はカトリック両王のもとに一つの王権を共有するという形で新しい政治単位を形成,周辺諸国はこれをスペインと呼び始めた。…

【トラスタマラ朝】より

…中世後半イベリア半島のカスティリャとアラゴン連合王国の2国を統治した王朝。1369年初頭,カスティリャ王アルフォンソ11世の庶子でトラスタマラ伯エンリケは,父王を継いだ嫡子ペドロ1世をその手で刺殺,エンリケ2世Enrique IIとして王位に就き,新たにトラスタマラ朝を開いた。…

【副王制】より

…構成各国が独自の体制を維持しつつ,ひとつの王権を共有するという特異な連邦国家を形成したアラゴン連合王国の統治制度。16世紀以降インディアスでも施行された。…

【ラモン・ベレンゲール[4世]】より

…在位1131‐62年。1137年,隣国アラゴンのペトロニーラ王女との結婚によって同国と自国カタルニャを連邦の形で結びつけ,いわゆるアラゴン連合王国を発足させた。さらに44年以降はプロバンス侯国の支配権も握って先代以来のカタルニャとのきずなを一段と固めた。…

※「アラゴン連合王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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