アングリカン・チャーチ(英語表記)Anglican Church

翻訳|Anglican Church

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アングリカン・チャーチ
Anglican Church

イギリス教会,またはイギリス国教会の一般的呼称。 16世紀に教皇クレメンス7世がヘンリー8世の離婚の承認を拒んで以来,アングリカン・チャーチ Ecclesia Anglicanaの名は新しい教会分裂の標語となった。この教皇の支配からの離脱の背後にはウィクリフ以来の反ローマ的な動きがあり,さらにはエラスムスやコレットらによるスコラ学の批判などがそれを促進した。ヘンリー8世は教会の首長となり,次のエドワード6世および大主教クランマーのもとで『第1,第2祈祷書』 Book of Common Prayer (1549,52) がつくられ,さらに信仰大綱『四十二個条』がつくられて改革は進んだ。のちメアリー1世の反動が起ったが,エリザベス1世と大主教パーカーによって再度『祈祷書』と『三十九信仰個条』が制定され,イギリス教会は教義上の立場を明確にした国家教会として出発した。

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百科事典マイペディアの解説

アングリカン・チャーチ

英国国教会〉〈聖公会〉ともいい,アングリカン・コミュニオンAnglican Communionと同義。ローマ・カトリック教会,プロテスタント諸教会,東方正教会などと並ぶ,キリスト教世界の有力な宗派。1534年,離婚問題を機に,英国王ヘンリー8世が国王至上法をもってローマと絶縁したのが始まりで,以来カトリックへの復帰,ピューリタンの離脱など紆余曲折を経ながらも,組織の整備と旺盛な海外伝道を行って今日に至っている。カンタベリー大主教座(カンタベリー大聖堂)のもと,世界中に38の管区と約4500万の信徒をもつ。日本へは1859年初の伝道,1887年日本聖公会が発足した。教義上はプロテスタント,儀礼・礼拝はカトリックという独自の立場から特に教会合同運動に寄与している。
→関連項目イギリスオックスフォード運動カトリック解放法キリスト教クラレンドン法典国王至上法

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