クラレンドン法典
クラレンドンほうてん
Clarendon Code
王政復古直後のイギリスで定められた4つの法の総称。長老派を中心とする非国教徒を抑圧し,国教体制を固める意図のもので,時の指導者クラレンドン (伯)にちなんでこの名で呼ばれるが,実際の推進者は騎士議会であった。 (1) 自治体法 (1661) 自治体 (都市) 職員に忠誠の誓いと国教会礼式による聖餐拝受を義務づけた。 (2) 礼拝統一法 (62) 非国教徒聖職者の権利を剥奪し,学校教師も主教の認可を要することにした。この法により,約 2000人の非国教徒聖職者が追放された。 (3) 秘密集会法 (64) 5人以上の者が集って国教会以外の礼式で祈祷することを禁止。この法は,(2) により追放された聖職者がひそかに布教活動を続けることを防止する目的で定められた。 (4) 5マイル法 (65) 非国教徒聖職者は,王への無抵抗の誓いを立てないかぎり,いかなる都市からも旧任地からも5マイル以内に近づくことを禁じ,また非国教徒が学校教師になることも禁じた。 (3) の法にもかかわらず,依然として都市 (特にロンドン) での非国教徒聖職者の活動があとを絶たないために定められた。以上の諸法は,一部は名誉革命後の寛容法により廃止されたが,一部は 19世紀初めまで存続。
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クラレンドン法典 (クラレンドンほうてん)
Clarendon Code
イギリス王政復古期の非国教徒弾圧立法の総称。(1)自治体法(1661),(2)礼拝統一法(1662),(3)集会法(1664),(4)5マイル法(1665)の四つからなり,非国教徒の公職・聖職就任と集会の禁止を通じて国教会体制の強化を意図したが,逆に国教会と国王に対する反発と疑惑を強め,のちの名誉革命と寛容法制定の一因となった。本人は必ずしも賛成しなかったが,王政復古体制の中心人物クラレンドン伯の名に由来。
→王政復古[イギリス]
執筆者:今井 宏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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「クラレンドン法典」の意味・わかりやすい解説
クラレンドン法典【クラレンドンほうてん】
英国,王政復古期に英国国教会制度(アングリカン・チャーチ)の確立をねらって制定された一連の非国教徒弾圧法の総称。1661年の自治体法,1662年の礼拝統一法,1664年の集会法,1665年の5マイル法からなるが,いずれも非国教徒の公職就任と集会の禁止を規定した。本人は必ずしも賛成ではなかったにもかかわらず,王政復古体制の中心であったクラレンドン伯の名をとってよばれた。
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クラレンドン法典(クラレンドンほうてん)
Clarendon Code
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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クラレンドン法典
クラレンドンほうてん
Clarendon Code
イギリスの王政復古時代に制定された非国教徒排斥法
クラレンドン伯(1609〜74)が中心になって1661〜65年に制定。自治体役員・僧侶・教師などに国教を強制する法をはじめ,数種の法令の総称で,ピューリタンとカトリック教徒の圧迫を意図したが,かえって国王に対する反発をまねき,名誉革命の一因となった。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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