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アンジュー家 アンジューけ Anjou

翻訳|Anjou

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アンジュー家
アンジューけ
Anjou

フランス西部のアンジュー地方を領有した伯家を第1アンジュー家とする3つの貴族家系。 (1) 第1アンジュー家は,言い伝えによればアンジェルジェ (888没) から,実際はフルク1世 (在位 888~938) から始る。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典 第2版の解説

アンジューけ【アンジュー家】

フランス西部,ロアール川沿いのアンジュー地方(中心都市アンジェ)を支配した家柄。主として二つの家系がこの名で呼ばれる。(1)10世紀からこの地を中心に勢力を拡大してカペー王家と対抗し,婚姻関係からイギリス王位を得てプランタジネット朝を開き(1154),イギリスと西フランスを合わせた〈アンジュー帝国〉を建設した家。(2)前者からこの土地を奪ったカペー王家のルイ9世(聖ルイ)が弟のシャルルをアンジュー伯に任じた(1246)ことから始まる家柄。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アンジュー家
あんじゅーけ

10世紀以降フランスの西部アンジューAnjou地方を領有した伯家。アンジュー家は、ロアール川の下流に北から注ぐマイエンヌ、サルト両川の中流からロアール川の南岸にかけて威勢を誇った。一族の根城はアンジェにあった。11世紀前半、フルク・ネルラ(黒いフルクの意)の代に、東のトゥレーヌに勢力を広げ、12世紀初頭、北のメーヌ伯領も併合された。こうして12世紀のアンジュー家は、北にノルマンディー、南にポアトゥー、東にブロア、西にブルターニュの諸侯伯と相対峙(たいじ)する大勢力であった。フランス王家のカペー家はまだ弱体で、これら諸侯伯の合従連衡(がっしょうれんこう)が歴史を動かしていた時代である。
 12世紀前半、アンジュー家の当面の敵は、ノルマンディー侯位・イングランド王位を僭称(せんしょう)するブロア家のエチエンヌ(イングランド王スティーブン)であった。アンジュー伯ジョフロアはウィリアム征服王の孫娘マティルドを妻とし、ノルマンディー侯位・イングランド王位に対する彼女の権利請求の戦いを支援した。1140年代の末に、ノルマンディーはジョフロアの統制を受け入れ、1154年、彼の息子アンリの代に、イングランド王位もアンジュー家のものとなった。ジョフロアのあだ名プランタジュネPlantagent(おそらく「エニシダを茂らせるもの」の意)をとって、プランタジネット朝アンジュー王家が誕生した。
 12世紀の後半は、フランス王家であるカペー家との確執に明け暮れた。アンリ(イングランド王ヘンリー2世)はアキテーヌ女侯アリエノールを妻としたので、アンジュー家の領土はピレネー山脈の北麓(ほくろく)からノルマンディーまで広大に展開した。この領土に対するカペー家の王権政策は、ルイ7世、フィリップ2世の2代にわたって執拗(しつよう)に続けられ、ついに1204年、アンジュー家は大陸領土をすべて失う。のち1259年のパリ条約によって、ギュイエンヌ(アキテーヌの訛音(かおん)、ボルドー周辺地域)はアンジュー家領に修復されたが、実質的にはアンジュー家は、以後イングランド王家としての個性を固める方向に向かうのである。
 なお、13世紀にはカペー家のルイ9世の弟シャルルが、14世紀にはバロア王家のジャン2世の息子ルイが、相次いで第二、第三のアンジュー家をたてている。[堀越孝一]

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世界大百科事典内のアンジュー家の言及

【アンジュー】より

…後にアンジュー伯爵領とメーヌ川左岸のウートル・メーヌ伯爵領とに分かれた。9世紀に興された初代アンジュー家の第11代にあたるジョフロア5世は,帽子にいつもエニシダgenêtの枝をさしていたためプラントジュネPlântegenêtとよばれたが,イギリス国王ヘンリー1世の娘と結婚。1154年,息子のアンリがイギリス国王ヘンリー2世として即位。…

【シチリアの晩鐘】より

…1282年シチリアで生じた島民のアンジュー家に対する反乱。シャルル・ダンジューの入国以来16年の圧制に反感を抱いていた島民が,フランス人兵士といざこざを起こしたことから3月31日聖月曜日の夕方,晩鐘の時刻にパレルモのサント・スピリト広場に群衆が集まって暴動となり,これが全島に拡大したといわれる。…

【ナポリ王国】より

…こうして成立したシチリア王国はホーエンシュタウフェン家(シュタウフェン朝。1194‐1266),アンジュー家(1266‐1435)と受け継がれた。しかし1282年の〈シチリアの晩鐘〉事件によって,シチリア島はアラゴンの手に渡った。…

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