富山県を流れる神通川流域で発生した。上流にある岐阜県飛騨市の三井金属の神岡鉱山から、重金属カドミウムが流出。汚染された水を飲んだり、コメを食べたりして、腎臓障害や骨軟化症を起こした。重症になるとくしゃみで骨折するほど骨がもろくなり、患者が「痛い、痛い」と叫んだのが病名の由来。1967年に富山県による患者認定が始まり、2013年12月17日、三井金属と被害者団体が「全面解決」に合意した。
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大正年代の初期から昭和40年代にかけて、富山県中央部を流れる神通(じんづう)川の中・下流域、東は熊野川、西は井田川に囲まれた扇状地に限局された地域で、カドミウムの慢性中毒により全身が激しく痛む病気。おもに中高年の女性に多発した。腰痛、背部痛、四肢痛など全身の骨が痛み、しだいに激しく痛むようになり、やがては骨が折れ、衰弱して死に至る悲惨な病気であった。あまりの痛さに耐えきれず、「痛い、痛い」と訴えたことから、「イタイイタイ病」とよばれるようになった。
[中川秀昭 2025年10月21日]
初めは原因不明の奇病と考えられたため、この病気が世間に知れると、この土地に嫁がこなくなる、農作物が売れなくなるなどの懸念から長期間公にはされてこなかった。同地域の開業医萩野昇(はぎののぼる)(1915―1990)と協力者であった東京の整形外科医河野稔(こうのみのる)(1916―2007)が1955年(昭和30)に日本臨床外科医会で「イタイイタイ病(富山県風土病)」を報告し、初めて広く知られるようになった。初期には、「イタイイタイ病」の原因は「過労」や「栄養失調」とする説が主流であったが、萩野や岡山理科大学の吉岡金市(よしおかきんいち)(1902―1986)、岡山大学の小林純(こばやしじゅん)(1909―2001)の共同研究によって、同地域の河川水、井戸水、土壌、白米、死亡した患者の骨や臓器に多量の亜鉛、銅などの重金属、とりわけカドミウムが含まれていることが明らかにされ、上流の岐阜県吉城(よしき)郡神岡(かみおか)町(現、飛騨(ひだ)市)にある三井金属鉱業神岡鉱業所(現、神岡鉱業)から排出されていた廃滓(はいさい)に含まれていたカドミウムに原因があるとする「鉱毒説」が1961年に発表された。同年に富山県の「地方特殊病対策委員会」が発足していたが、1963年には厚生省(現、厚生労働省)、文部省(現、文部科学省)、それぞれからの研究費・助成金により合同研究班が組織され、イタイイタイ病の本格的疫学調査が始まった。イタイイタイ病患者を対象とした症例分析で、以下の事実が明らかになった。①神通川流域の特定地域に限局される、②40歳以上の経産婦に多発、③神通川の水を飲用水として多用、④地元産米の喫食、⑤尿検査から糖やタンパク陽性者が多い、⑥患者臓器や鉱滓および神通川の水にカドミウムが大量に含まれている、など。また、同地域の住民健康調査で、神通川流域住民は他地域住民と比較して、尿タンパクや尿糖の有所見率は50歳以上では有意に高く、70歳以上では5~6倍であった。このことから研究班は原因物質として重金属、とくにカドミウムの疑いが濃いと結論づけた。これら一連の研究結果を受けて、厚生省は1968年に公害行政の立場から、「イタイイタイ病の本態はカドミウムの慢性中毒によりまず腎臓(じんぞう)障害を生じ、次いで骨軟化症をきたし、これに妊娠、授乳、内分泌の変調、老化及び栄養としてのカルシウム等の不足などが誘因となって、イタイイタイ病という疾患を形成したものである」との見解を発表した。
イタイイタイ病の特徴はカドミウムによる多発性近位尿細管機能異常症と骨軟化症である。腎臓は身体に必要でなくなった老廃物を尿にする器官で、腎臓の糸球体で血液が濾過(ろか)され、尿のもと(原尿)ができる。原尿は尿細管を通り、身体に必要な物質は再吸収される。長年、カドミウムに汚染された水や農作物を摂取していると、近位尿細管に障害を受け、ミネラル(カルシウム、リンなど)やβ(ベータ)2-ミクログロブリンなどの低分子量タンパクは再吸収されず、尿中に排泄(はいせつ)される。このため血液中のミネラルが不足するようになり、濃度を維持するため、骨からカルシウムやリンが補給されることにより骨軟化症に発展すると考えられている。骨軟化症では、カルシウムやリンが不足するために骨を硬くする仕組みに異常が生じ、正常な骨がつくられなくなる。骨の強度が極度に低下し、少し身体を動かすだけで骨折するようになる。
[中川秀昭 2025年10月21日]
神通川上流にある神岡鉱山は明治年代の初期に近代的な鉱山事業を開始し、以降2001年(平成13)に採掘を中止するまで、約130年間にわたり、亜鉛・鉛資源の供給を行ってきた。この間の総採掘量は7500万トンに達し、一時は東洋一の鉱山として栄えた。亜鉛鉱石の主要鉱物である閃(せん)亜鉛鉱に含まれるカドミウムを廃滓として神通川に流したことがイタイイタイ病の原因となった。その規模の大きさからイタイイタイ病は日本の四大公害の一つとして知られるようになった。
1968年に患者・遺族らが三井金属鉱業を相手に訴訟を起こした。当時、鉱業法以外に無過失賠償責任を法認する特別立法はなく、この鉱業法をめぐって裁判は争われた。ほかの多くの公害訴訟では、民法709条の過失責任による損害賠償の追及でしか企業責任を問えず、患者側からの立証は困難であった。大気汚染や水質汚濁による健康被害では、企業の過失やその因果関係を原告(被害者)側が立証しなければならないとする過失責任の原則は、その立証が医学的にも、法的にも困難な作業で、企業の責任が問えなかった。その後、被害者救済の立場から、過失、および因果関係に厳格な立証は不要という理論によって、実質的に過失責任主義が緩和された(四日市公害訴訟)。四日市公害訴訟の判決は、公害救済に大きく道を開く画期的なものとなった。一方、原因が鉱業によるものであったイタイイタイ病裁判での争点は、原告側は健康被害の存在、健康被害の疫学的因果関係(カドミウムによる健康被害、カドミウムの神岡鉱業所からの由来)を訴え、被告側はカドミウムによる被害発生の曝露(ばくろ)レベルや腎障害、骨折の発生の科学的経路が不明確なこと、ほかに発生要因がありうることを主張した。
1971年に原告勝訴の判決が下された。その内容は、①水田土壌・河川のカドミウムなどの重金属類による汚染は神岡鉱業所からの廃水が神通川上流の高原(たかはら)川に長期間放流されたためであること、②主因はカドミウムであること、③被告側は損害賠償を行うことであった。三井金属鉱業は判決を不服として即日控訴し、翌1972年の第二審での判決は被告側の控訴を棄却するとともに、原告側の附帯控訴を認め、慰謝料額の倍増を命じるものであった。判決の翌日、患者団体と三井金属鉱業との間で、①イタイイタイ病の賠償に関する誓約書(被害者救済)、②公害防止協定(住民・関係者の立入調査)、③土壌汚染問題に関する誓約書(農地復元)が取り交わされた。
土壌汚染については、1979年から2012年(平成24)の間に土壌復元事業が行われ、土壌中のカドミウムが封じ込められ、稲作が可能となった。さらに発生源対策として、公害防止協定に基づく立入調査が毎年1回行われている。1972年には河川水のカドミウム濃度が9μg/L(1リットル当り9マイクログラム)だったが、1975年以降は1μg/L台にまで減少した。一方、農地復元工事前後で、玄米中のカドミウム濃度は0.99mg/㎏から0.08mg/㎏に、土壌中の濃度は1.12mg/㎏から0.13mg/㎏に減少した。また、最近の研究では住民の健康も土壌復元以後はカドミウムの影響はみられないことが報告されている。
イタイイタイ病ではこれまでに201人が患者認定され、認定までに至らない要観察者は345人である。しかし、2024年(令和6)8月に認定患者は1人もいなくなり、翌2025年3月には要観察者もいなくなった。これでイタイイタイ病はもう終わると思われがちであるが、この地域には患者認定にまで至らないが将来イタイイタイ病になる可能性がある人も含めて、尿タンパク・尿糖がみられる腎障害者が2025年9月時点でも多くいる。これら腎障害がみられる人たちの予後は悪いと報告されており、生存している認定患者・要観察者はゼロになったとはいえ、まだイタイイタイ病は終わってはいないのである。
[中川秀昭 2025年10月21日]
『松波淳一著『定本カドミウム被害百年――回顧と展望』(2015・桂書房)』▽『畑明郎著『イタイイタイ病発生源対策50年史』(2021・本の泉社)』▽『神通川流域カドミウム被害団体連絡協議会制作『甦った豊かな水と大地――イタイイタイ病に学ぶ』(2022・富山県)』
富山県神通川流域の農村地区で,第2次世界大戦後の数年間を中心に,主として更年期以降の経産婦がかかったといわれる骨軟化症様の病気。全身の激痛を訴えることから,この病名が通称として用いられるようになった。1955年に河野稔らがこの病気を初めて学会に報告し,68年にはこの病気を神通川上流の三井金属鉱業神岡鉱業所より排出されたカドミウムCdに起因する公害病と認めた厚生省見解が発表された。
腰痛,下肢筋肉痛などで始まり,股(こ)関節の開排制限,アヒル様歩行などを示す。これらの症状は徐々に進行し,数年後にはねんざなどを契機に歩行障害を起こす。臥床(がしよう)によって症状は急速に進展し,わずかの体動や咳だけでも多発性の病的骨折を起こしてイタイイタイを連発,全身衰弱により死亡する。ただし,1960年ごろ以降はこのような激しい症状の患者は見られない。
骨のX線像では,高度の骨萎縮と脱灰像(頭蓋(とうがい)骨を除く),骨の湾曲,病的骨折による骨格変形,骨改変層などが認められる。尿所見も特徴的で,比較的多尿であり,タンパク(とくに低分子量のタンパク)と糖はほとんど全例に検出されるが,その量は多くない。尿中アミノ酸,カルシウムおよびカドミウムの排出は増加する。血液では,血清カルシウムは正常であるが,血清無機リンの低下とアルカリフォスファターゼの上昇が見られる。空腹時血糖,糖負荷試験は正常。腎機能は,濃縮試験,腎クリアランス試験,レノグラムなどから見て低下しているが,血中残余窒素が上昇しないことから,糸球体のろ過機能はあまり侵されておらず,尿細管機能障害が主と考えられる。最大血圧は低値を示す。
骨は軟化と萎縮が著明で,組織学的には骨の多孔化のほかに類骨の増生が認められ,骨軟化症あるいはこれに類似の所見を示している。腎臓は糸球体に著明な変化がなく,尿細管の萎縮性変化が著しい。また,間質のびまん性繊維化,巣状の円形細胞浸潤が認められる。
ビタミンDの大量投与療法や高タンパク食療法などによって症状が改善される。
この病気について,本格的な疫学調査が開始された63年以前の患者数は不明であるが,100名(女子のみ)近い死亡者があったともいわれている。1982年3月末時点での把握患者数(後述の〈公害健康被害補償法〉による認定患者数)は107名(うち70名は死亡),要観察者数(富山県の指定による)は383名(うち319名は死亡または指定解除)で,発病時期はいずれも20~30年以前,神通川流域のカドミウム汚染地区とほぼ一致して発生しており,大部分の者の現地居住期間は30年以上である。また,患者の多くは頻回の経産婦で,遺伝関係は認められていない。患者発生地区では,一般住民の男女とも尿のタンパクと糖が高率に証明されている。なお,富山県では明治の終りから大正の初めにかけて骨軟化症が全県的に多発していたことは有名で,このときの患者の年齢ピークは10歳台,そのほとんどが女子であった。イタイイタイ病はこれより約40年後に,年齢も約40歳遅れた50歳台をピークとしてやはり女子を中心に発生したわけで,本病の骨所見については,昔,潜在的にあった骨軟化症がこの地区独特の要因の働きで再発したと考えることもできる。
この病気の発生は神通川流域の一定地区に限られており,患者の多発地区ほどそこの産米中カドミウム濃度が高いこと,患者の尿中重金属濃度が,鉛,亜鉛では対照とした健康者との間に差が見られないのに,カドミウムでは高濃度となっていること,また剖検例では臓器中のカドミウムが高濃度で,かなりの量のカドミウムが体内に蓄積していると考えられること,カドミウム経口投与の動物実験ではこの病気の再現に成功していないが,特定の条件下(例えば低カルシウム,低タンパクの餌で飼育)では腎尿細管の病変と骨の脱灰像が認められ,これは雄よりも雌に強いことなどから,この病気の発生にはカドミウムの過剰摂取が関係していると考えられた。ただし,病理発生学的に見た発病機序には,なお不明の点が多く,とくに腎臓変化と骨変化の関係については今後解明を必要とする点が少なくない。神通川を汚染したカドミウムの由来としては,上流の三井金属鉱業神岡鉱業所の事業活動に伴って排出されたものが大部分と結論されている。
なお,その後の調査でカドミウム汚染地は全国の各地で発見されており,神通川流域と同程度に汚染されているところもあるが,骨軟化症の多発はいずれの汚染地でも認められていない。ただし,腎所見は共通しており,したがってイタイイタイ病の骨変化については,前述した昔の潜在性骨軟化症がカドミウムにより顕在化したとすれば,この病気が神通川流域のみに多発した理由が説明しやすくなるが,動物実験などによってもこの点はまだ確認されていない。
68年から富山県は国の補助を得て患者の医療救済措置を講じてきたが,69年12月に制定された〈公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法〉に基づいて,70年2月以降医療費,医療手当,介護手当が支給された。本法は,73年より〈公害健康被害補償法〉に引き継がれた。
一方,本病患者はカドミウムの汚染源とされた三井金属鉱業に対して被害の補償を求める民事訴訟を1968年に提起した。結果は原告(患者側)の勝訴に終わり,73年に患者側と会社側との間で妥結し補償協定によって,73年度以降の医療費などは会社側から支払われることになった。また,1972年度までに前記の特別措置法によって支給された医療費などについても,会社側から返還された。
執筆者:重松 逸造
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三井金属鉱業神岡(かみおか)鉱業所(岐阜県飛騨市神岡町)の廃水中のカドミウムが原因で,富山県の神通川流域住民に発生した腎臓障害や多発性の骨軟化症などの病気。大正初期から奇病とされていたが,1957年(昭和32)地元の萩野昇医師がカドミウム原因説を発表。68年3月患者は鉱業法により三井金属に損害賠償を求めて提訴。同年5月厚生省は公害病と認定。71年6月富山地裁で原告勝訴の判決が下された。2011年(平成23)末までの認定患者は196人(生存者4人),要観察者336人。
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…作業者の健康障害を予防するため,作業場内の空気についてカドミウムの許容濃度は0.05mg/m3と定められている。一方,鉱滓や製錬所から排出されたカドミウムが周辺地域の環境を汚染する事例も多く,岐阜県神岡鉱業所から流出したカドミウムが主要な原因となって,神通川流域の住民にイタイイタイ病が多発したことはよく知られている。このことが契機となって,カドミウムによる環境汚染を防止するための規制措置がとられるようになり,工場および事業場から大気中に放出されるカドミウムの排出基準は1mg/m3,人の健康を保護するための水質汚濁に係るカドミウムの環境基準は0.01mg/l以下と定められている。…
…足尾,別子,日立,小坂の鉱山・製錬所の公害事件や,硫酸工場の煙害に対して農民が訴訟を起こした大阪アルカリ公害裁判が有名である。足尾鉱山の足尾鉱毒事件は,銅製錬後の鉱滓が洪水のたびに大量に流出し,下流の農民の健康や農作物に被害を与えた事件で,のちのイタイイタイ病事件と同じ性格のものである。古河財閥と政府は,被害農民の反対運動を権力によって弾圧した。…
…石炭鉱業による鉱害のほか,戦時体制下では,36年11月20日の尾去沢鉱山での廃滓ダムの決壊や,43年9月10日の岩美鉱山における同様の事件など大規模な災害も発生している。
[第2次大戦後の鉱害問題]
第2次大戦の後に鉱害問題を大きくクローズアップさせたのは,イタイイタイ病である。この病気は神通川下流域の富山県婦中町を中心に1945年以降に多発し,63年以前は不詳であるが,イタイイタイ病による死者は200名以上にのぼるともみられている。…
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[〈公害健康被害補償法〉の制定]
1959年に石油コンビナートが操業を始めた四日市で,その直後から健康被害の苦情が多発しはじめ,64年度の厚生省によるばい(煤)煙影響調査の結果,四日市の喘息(ぜんそく)様の呼吸器疾患の多発は大気汚染によるものであるという発表がなされ,これを受けて四日市市が公害病としての独自の医療扶助制度を開始したことが一つの契機となって,公害病という用語が社会的に広がり,定着してきたものである。ひきつづき1960年代の後半には,四大公害裁判といわれる四日市公害,熊本および新潟水俣病,富山イタイイタイ病の裁判が始められ,71年新潟水俣病,72年四日市およびイタイイタイ病,73年熊本水俣病と,すべて健康被害を受けた原告側の勝訴の結果となり,ここに公害病の概念の原型が社会的通念として広がってきた。1969年には公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法が成立して,医療費,医療手当,介護手当の支給を内容とする制度が動き出し,74年には〈公害健康被害補償法〉が施行されて,医療費のみならず,障害の程度,年齢に応じての障害補償費,遺族補償,療養手当などの支給の制度ができた。…
…日本における土壌汚染の歴史は古く,明治初期に足尾銅山の銅などを含有する排水が渡良瀬川流域の農地を汚染し,農作物などの被害が発生していた(足尾鉱毒事件)。しかし,土壌汚染が公害の一種であると法律で規定されるようになったのは,1968年に,厚生省が〈富山県の神通川流域に発生しているイタイイタイ病は,同河川の上流にある三井金属鉱業の神岡鉱山から排出されたカドミウムが水田土壌を汚染し,そこで生産された米を長期間にわたり摂取したことが主原因である〉との見解を発表した後である。すなわち,70年に開催されたいわゆる公害国会で公害対策基本法が改正された際に,典型公害の一種として土壌汚染が追加され,同時にその実施法として〈農用地の土壌の汚染防止等に関する法律〉(以下〈土壌汚染防止法〉と記す)が制定された。…
※「イタイイタイ病」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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