ウィーヒェルト(その他表記)Ernst Wiechert

改訂新版 世界大百科事典 「ウィーヒェルト」の意味・わかりやすい解説

ウィーヒェルト
Ernst Wiechert
生没年:1887-1950

ドイツの作家。本名Barany Bjell。高校教師を務めてのち第1次大戦に従軍。負傷して復員後教職に戻ったが,33年退職してオーバーバイエルンに移住。以後ニーメラー牧師らとともに講演や文筆によってナチス批判の活動をしたため,38年ブーヒェンワルトの強制収容所に投ぜられた。《死者の森》(1945)はその体験に基づく貴重な記録である。釈放後もゲシュタポの監視下におかれ,第2次大戦中は執筆禁止処分を受けた。戦後はドイツ国民の内面的革新を期待したが現実の状況に失望,48年スイスに移住して没した。作品は故郷東プロイセンの大自然の素朴で力強い秩序への瞑想的な憧憬に満たされ,時代のあらゆる病的傾向に背を向けて,内面に宗教的に沈潜する素朴な人間性を描いている。自伝的な《森と人々》(1936),《単純な生活》(1939),絶筆となった《無名ミサ》(1950)のほか詩や童話などの作品にも,いずれもモラリスト的志向が濃厚に見られる。
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ウィーヒェルト
Johann Emil Wiechert
生没年:1861-1928

ドイツの地震学者。ティルジットに生まれる。1889年ケーニヒスベルク大学の物理学科卒業。90年同大学の物理学の講師。97年ゲッティンゲン大学へ移り,地球物理学を研究,1905年同大学教授。彼の業績は,地震計の数学的理論を確立し新しい地震計(ウィーヒェルト地震計)を製作したり,地震波伝播の数学的研究を行い地球内部構造研究の基礎を築き,自らも核の存在を予言するなど,理論と観測両面にわたって現代地震学の基礎を築いた。ゲッティンゲン大学は世界の地震学研究の中心地となった。
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百科事典マイペディア 「ウィーヒェルト」の意味・わかりやすい解説

ウィーヒェルト

ドイツの地震学者。1905年ゲッティンゲン大学教授。地震計の理論を発展させ,ウィーヒェルト地震計を発明,地震波の走時曲線より地球内部地震波の速度を知る方法を考案,地球内部構造研究の開拓者となった。
→関連項目グーテンベルク=ウィーヒェルト不連続面

ウィーヒェルト

ドイツの小説家。出身地東プロイセンの自然への畏敬(いけい)が作品の基調をなし,2ヵ月の強制収容所生活体験の記録《死者の森》や《単純な生活》(1939年),《イエローミンの子ら》などの長編のほか,多くの童話や随筆を残している。

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世界大百科事典(旧版)内のウィーヒェルトの言及

【児童文学】より

…オーストリアのザルテンF.Saltenの《バンビ》(1923)とE.ケストナーの《エミールと探偵たち》(1928)が出ると,新生面がひらけるかにみえたが,第2次大戦でとざされてしまった。しかし,わずかではあるが,ウォルフF.Wolf,ウィーヘルトE.Wiechertらのすぐれた作品がある。 現在ドイツは2分しているが,ケストナー以下ミューレンウェークF.MühlenwegやヘルトK.Held,シュポンゼルH.SponselやバウマンH.Baumannと歴史もの・冒険もののうまい作家がつづき,リュートゲンK.Lütgenも前代の大衆作家K.マイを顔色なからしめている。…

※「ウィーヒェルト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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