ウィーン国立歌劇場(読み)ウィーンこくりつかげきじょう(英語表記)Wiener Staatsoper

  • Vienna State Opera英語
  • Wiener Staatsoperドイツ語
  • ウィーンこくりつかげきじょう ‥コクリツカゲキヂャウ
  • ウィーンこくりつかげきじょう〔コクリツカゲキヂヤウ〕

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

オーストリアのウィーンを拠点とする世界で最も著名なオペラ劇場の一つ。1869年ウィーン宮廷歌劇場として開場。初代総監督(支配人)はフランツ・フォンディンゲルシュテット。その後 1880~96年にハンス・リヒター,1897~1907年にグスタフ・マーラーが務めた。第1次世界大戦後,オーストリア=ハンガリー帝国解体に伴い,現名称に変更。1938年のドイツによる合邦(→アンシュルス)までの間,1919~24年リヒアルト・シュトラウス,1929~34年クレメンス・クラウス,1935~36年フェリックス・フォン・ワインガルトナーらが総監督を歴任した。第2次世界大戦時の 1945年に爆撃を受けて損壊したが,マーシャル・プランなどの支援を得て 1955年に再開。1955~56年カール・ベーム,1956~64年ヘルベルト・フォン・カラヤンが総監督を務めた。1986年新たに音楽監督のポストが設けられ,初代音楽監督は 1991年までクラウディオ・アバドが務めた。その後長い空席期間を経て 2002年には小澤征爾が就任,2010年まで務めた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディアの解説

ウィーンにあるヨーロッパ屈指の歌劇場。シュターツオーパーの名でも知られる。1869年宮廷歌劇場として開場,1918年から現称となる。第2次世界大戦で破壊されたが10年がかりで再建された。所属オーケストラのウィーン国立歌劇場管弦楽団は,コンサート活動の際にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を名乗る。R.シュトラウスのオペラ《ナクソス島のアリアドネ》などがこの劇場で初演されている。
→関連項目アバドウィーンオペラ座カラヤンクナッパーツブッシュシュワルツコップツェムリンスキーニコライベームマーラーリヒターレーマンワインガルトナーワルター

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

大辞林 第三版の解説

ウィーンにあるオーストリアの国立歌劇場。1869年宮廷歌劇場として開設。第二次大戦で壊滅、1955年再建。専属の管弦楽団はウィーンフィルハーモニーとして有名。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ウィーンのオペラ・ハウス。世界でもっとも重要な歌劇場の一つで、ウィーン市のリング(環状道路)の横に建てられ、専属のオーケストラ、合唱団、バレエ団、スタッフを有している。現在地に最初に歌劇場が建てられたのは1861~69年で、69年5月29日に開場。当初はウィーン宮廷歌劇場Wiener Hofoperと称し、ヨーハン・ヘルベックJohann von Herbeck(1831―77)、グスタフ・マーラーらが音楽監督を務めた。第一次世界大戦後はリヒャルト・シュトラウスとフランツ・シャルクが共同で音楽監督を務めたのち、クレメンス・クラウスが監督に就任した。第二次世界大戦末期の1945年3月12日、爆撃により建物は完全に破壊されたため、戦後はアン・デア・ウィーン劇場Theater an der wienなどで公演を続け、55年11月5日、再建された歌劇場における初公演がカール・ベームの指揮で行われた。ベームはのちに音楽監督に就任、後任はカラヤン、マゼールらが務めた。
 歌劇場は1999年に民営化され、同年、総監督イオアン・ホレンダーIoan Holender(1935― )のもと、2002年秋から小沢征爾が音楽監督に就任することが決定。2001年9月には直属のオペラ学校が開校している。なお、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーは当歌劇場の楽団員より構成されている。[美山良夫]
『高崎保男・山崎睦著『ウィーン国立歌劇場』(1985・音楽之友社) ▽岩下真好著『ウィーン国立歌劇場』(1994・音楽之友社) ▽音楽之友社編・刊『グランドオペラ25号 ウィーン国立歌劇場と音楽の聖地ウィーン』(2000)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典の解説

ウィーンにある国立歌劇場。一八六九年、宮廷歌劇場として開設。管弦楽団はウィーン‐フィルハーモニーとして有名。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

ウィーン国立歌劇場の関連情報