ツェムリンスキー(英語表記)Zemlinsky, Alexander

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ツェムリンスキー」の意味・わかりやすい解説

ツェムリンスキー
Zemlinsky, Alexander

[生]1871.10.14. オーストリアウィーン
[没]1942.3.15. アメリカ合衆国ニューヨーク,ラーチモント
オーストリアの作曲家,指揮者。作曲と指揮の両分野で卓越した技能を発揮し,いまなお高く評価されている。1887~92年,ウィーン音楽院に学んだ。1893年に作曲した数曲の室内楽作品がヨハネス・ブラームスなどに注目された。1895年にアルノルト・シェーンベルクに出会って生涯の友人となり,のちに義理の兄弟となった。1904年からウィーン市民歌劇場(フォルクスオーパー・ウィーン)でオペラの指揮をするようになり,1906~11年には同歌劇場の楽団長(カペルマイスター)を務めた(ウィーン宮廷歌劇場で指揮をした 1907~08年度を除く)。また 1904年,シェーンベルクとともにウィーンの新音楽(新ウィーン楽派)を紹介し,創造的音楽家協会を設立した。1911~27年チェコのプラハ・ドイツ国立劇場のオペラ指揮者,1927~30年ベルリンのクロール歌劇場(クロール・オペラ)の楽長。1933年までベルリン高等音楽院で教鞭をとった。1933年ウィーンに戻り,1938年アメリカ合衆国へ移住。オペラ作品 10作のうち,知名度が高い『フィレンツェ悲劇』Eine florentinische Tragödie(1915~16)と『こびと』Der Zwerg(1920~21,別名『王女の誕生日』Der Geburtstag de Infantin)はいずれもオスカー・ワイルドの著作の脚色作品。代表的な交響曲ソプラノバリトン管弦楽のための『抒情交響曲』Lyrische Symphonie(1923)。歌曲作品のなかではモーリス・メーテルランクの詩による歌曲集(1910~13)がよく知られる。合唱曲,管弦楽曲,ピアノ曲,室内楽曲も有名。

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百科事典マイペディア 「ツェムリンスキー」の意味・わかりやすい解説

ツェムリンスキー

ポーランド系のオーストリアの作曲家,指揮者。ウィーンに生まれる。1884年−1890年ウィーン音楽院に学び,ブラームスなどの影響下に成熟した筆致を示す《弦楽四重奏曲第1番》やオペラ第1作を発表。ウィーンのフォルクス・オーパー,宮廷歌劇場(現ウィーン国立歌劇場),ベルリンのクロル歌劇場などの楽長を歴任し,マーラーシェーンベルククレンペラー親交を結ぶ。1938年,戦火を避けて米国へ移住するが,不遇のまま心臓発作によりニューヨークで死去。作曲家としては久しく忘れられた存在だったが,後期ロマン派と20世紀音楽を結ぶ存在として近年再評価が著しい。主要作に,ともにオスカー・ワイルド戯曲による《フィレンツェの悲劇》(1915年−1916年,初演1917年)と《こびと(スペイン王女の誕生日)》(1920年−1921年,初演1922年)ほか全8曲のオペラ,交響詩《人魚姫》(1902年−1903年),タゴールの詩による声楽と管弦楽のための《抒情交響曲》(1922年−1923年),4つの弦楽四重奏曲(1896年,1913年−1915年,1924年,1936年)などがある。妹はシェーンベルクの妻。→大地の歌

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改訂新版 世界大百科事典 「ツェムリンスキー」の意味・わかりやすい解説

ツェムリンスキー
Alexander von Zemlinsky
生没年:1871-1942

オーストリアの指揮者,作曲家。1890年ウィーン音楽院を卒業。ウィーンのフォルクス・オーパー(1904-11)ほか各地で,おもにオペラ指揮者として活躍するかたわら,ベルリン高等音楽学校の作曲教授も務める。シェーンベルクの作曲の師であり,義兄にあたる。主要作品に《抒情交響曲》(1923),8曲のオペラ,4曲の弦楽四重奏曲などがあり,その作風は,R.G.シュトラウス,マーラーを発展させたものといえる。
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