エクアドル(読み)えくあどる(英語表記)Ecuador

翻訳|Ecuador

精選版 日本国語大辞典 「エクアドル」の意味・読み・例文・類語

エクアドル

(Ecuador スペイン語で「赤道」の意) 南アメリカ大陸北西部、太平洋に面する共和国。中央部をアンデス山脈が南北に走る農業国。キト王国、インカ帝国の支配の後、スペインの植民地となり、一八三〇年に、コロンビア連邦から独立した。首都キト。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「エクアドル」の意味・わかりやすい解説

エクアドル
えくあどる
Ecuador

南アメリカ大陸北西部の国。正式名称はエクアドル共和国República del Ecuador。国名はスペイン語で「赤道」を意味し、国土の北部を赤道が通っている。豊かな農産物と鉱産資源に恵まれながらも、南アメリカで国土開発がもっとも遅れた国の一つである。面積28万3560平方キロメートル、人口1215万6608(2001年センサス)、1336万3600(2005年推定)、人口密度は1平方キロメートル当り47人(2005年推定)。首都はキト。

[山本正三]

自然

南アメリカ大陸の西海岸に位置し、北はコロンビアに、南と東はペルーに挟まれ、太平洋に面する。国の中央をアンデス山脈が南北に走り、自然環境上は太平洋岸の低地帯と、アンデス高原およびアンデス山脈東麓(とうろく)のシフの地域に区分され、それぞれコスタ(海岸地帯)、シエラ(中央山地とその間に連なる高原盆地群)、オリエンテ(東部のアマゾン川上流の低地帯)とよばれる。

 海岸部のコスタは平坦地(へいたんち)で、アンデス山脈から北に流れるエスメラルダス川、南に流れるグアヤス川があり、とくに後者は肥沃(ひよく)な沖積平野を形成し、エクアドル最大の都市グアヤキルもその河口にある。海岸平野は太平洋岸に沿って680キロメートルほど続き、この海岸平野と肥沃なグアヤス川流域との間には結晶質の岩石からなる低い丘陵地がある。また南部のペルー国境、グアヤス川の北には砂漠に近い乾燥地帯が発達している。シエラは標高4000メートルを超える東部・西部両山系からなる。東部山系には世界最高の活火山コトパクシ火山(5896メートル)、カヤンベ火山(5790メートル)、西部山系には同国最高峰のチンボラソ火山(6310メートル)など、5000メートル級の火山が8峰もある。これらの高峰は赤道直下にありながら氷河を頂いている。両山系の間には2000~3000メートルの高さの山間盆地が並び、首都キトをはじめ多くの都市がこの地帯に発達している。地震が頻繁におこり、ときには激烈なものもあり、1949年の大地震はアンバトの町を壊滅させた。オリエンテには、多数の長流が東流しアマゾン川に注いでいる。熱帯雨林に覆われ、道路も未整備で、開発はほとんど行われていない。かつてはイキトスにまで及ぶアマゾン川流域がエクアドル領とされていたが、国境紛争で国土の半分に近い領土がペルー領となった。それでもオリエンテはエクアドル領土の約半分を占める。エクアドル海岸から西へ1000キロメートルの東太平洋上にあるガラパゴス諸島(コロン島ともよばれる)もエクアドル領である。同諸島は海流の関係で動植物の宝庫となっており、ダーウィンの進化論に重要な材料を提供した。

 低緯度でしかも地形が複雑なので、気候の地域的な差は大きい。しかし、気温の変化は緯度の関係上非常に小さく、昼夜あるいは日なたと日陰の気温の差のほうがずっと大きい。標高2812メートルの高所にあるキトでも、月平均気温の年較差はわずかに0.4℃しかない。海岸の低地では、雨の多い北部から乾燥した南部へと気候の漸移地帯が存在する。内陸のオリエンテは暑く湿潤で、赤道直下のアマゾン低地の典型的な気候である。このような気候の多様性は動植物の宝庫を提供している。エクアドルの森林中にはとくに有用植物の種類が非常に多いが、交通や輸送が不便なために開発に至っていない。

[山本正三]

歴史

古くは八つのインディオ国家が分立していたが、15世紀前半にキト王国の支配が確立、同国は1460年にインカ帝国に征服されるまで続いた。インカ帝国も1532年にスペインに征服されて滅亡し、翌年正式にスペイン領植民地となった。当初ペルー副王領に属し、1717年以降はヌエバ・グラナダ副王領の管轄下に入ったが、習俗の相違や地理的隔絶のために1563年以来独自のアウディエンシア(上位の司法立法行政機関)を形成しており、その管轄区が今日の領土の基盤となった。

 独立運動は1809年および1810年の反乱に始まるが、スペインの支配を完全に脱したのは1822年である。それに伴い、エクアドルは大コロンビア共和国に編入されたが、1830年には分離独立し、初代大統領にはホセ・フロレスJuan Jose Flores(1800―1864)が就任した。独立後は、商工業主中心のグアヤキル市と半封建地主を中心とするキト市との地域的対立、それを基盤とする自由・保守両党の紛争および内乱、ペルー、コロンビアとの国境紛争などが続き、独立直後のフロレス、19世紀後半のモレノGabriel Garcia Moreno(1821―1875)、20世紀初頭のアルファロEloy Alfaro Delgado(1842―1912)の三大独裁時代における若干の発展を除けば、1940年代後半に至るまで近代国家の発展は阻まれてきた。

 1944年5月、左派の民主連盟による反乱でアロヨ・デル・リオCarlos Alberto Arroyo del Rio(1893―1969)独裁政権が倒れ、同年7月の大統領選挙では同連盟の推すベラスコ・イバラが当選した。彼は1960年選挙にも土地改革などの進歩的政策を掲げて当選したが、就任後は独裁的傾向を強め、増税、平価切下げ、反政府運動弾圧などを進めたため、1961年11月、学生、軍の反乱が起こり、亡命を余儀なくされた。副大統領から昇格したフリオ・アロセメナCarlos Julio Arosemena Monroy(1919―2004)大統領は累進所得税、農地改革など進歩的政策を実行し、外交的には対米協調を基本としながらも自主路線を目ざした。しかし国内右翼勢力とアメリカの圧力に屈して、1962年3月対キューバ断交に踏み切ると、国内の政府批判が高まった。そうしたなかで1963年7月、容共的傾向を不満とする軍部がクーデターを断行し、憲法の停止、議会の解散、共産党の非合法化を行うとともに、ラモン・カストロ・ヒホンRamon Castro Jijon(1915―1984)大佐を首班とする軍部政治委員会を組織した。同軍事政権は経済社会発展十か年計画などの経済開発政策を立案、推進したが、軍部の独裁に対する政治家や学生の反感に加えて、経済情勢が悪化したため、民政移行を決意、1966年3月、イエロビ・インダブロClemente Yerovi Indaburu(1904―1981)上院議員に政権を委譲した。

 立憲制早期復帰を目ざす同臨時政権は、1966年、制憲議会選挙を施行、与党社会キリスト教運動党(CID)のアロセメナ・ゴメスOtto Arosemena Gomez(1925―1984)が臨時大統領に選出された。しかし政情不安と経済危機は去らず、1968年3月の選挙でベラスコ・イバラが大統領に復帰した。山地のインディオ農民の土地要求運動や、学生、労働者の反政府運動が頻発するなかで、ベラスコ政権は軍部の協力を得て左派に対抗、エクアドルを「協同組合」国家に再編する構想を発表し、議会の解散と憲法の停止を断行した。これが左派の反発を強める結果となり、1971年には10万人の労働者が参加する大ストライキが起きた。1972年2月、軍部はついにベラスコ大統領を見限り、無血クーデターで彼をアルゼンチンに追放し、ロドリゲス・ララGuillermo Rodriguez Lara(1923― )統合参謀長自身が大統領に就任した。1976年1月には同大統領も退陣し、かわって陸海空三軍最高司令官よりなる執政評議会が成立、アルフレッド・ポベダ・ブルバーノAlfredo Poveda Burbano(1926―1990)海軍中将がその議長となった。ポベダ政権はその後民政移管の準備を進め、1978年1月15日に憲法採択のための国民投票を実施した。その結果、1945年憲法の改正案は退けられ、国会の一院制、非識字国民への選挙権付与、大統領の再選禁止などの新規定を盛った新憲法案が採択された。

[山本正三]

政治

1979年4月、選挙で人民勢力集中党(CFP)のハイメ・ロルドス・アギレーラJaime Roldos Aguilera(1940―1981)候補が大統領に当選、文民政治が回復した。彼は社会公正の拡大を目ざした国家開発五か年計画を策定する一方、外交では自由陣営との協調とともに社会主義諸国との関係強化に努め、キューバ、中国と国交を回復した。1981年5月の大統領事故死のあと、人民民主党(DP)のウルタード・ラレアOsvaldo Hurtado Larrea(1939― )が大統領に昇格した。その後は政党の離合集散が激しく、1984年の選挙ではキリスト教社会党(PSC)のレオン・フェブレスLeon Febres Cordero(1931―2008)が、1988年には民主左翼党(ID)のボルハRodrigo Borja Cevallos(1935― )が当選した。1990年に中南米主要国のリオ・グループに加盟。1992年共和連合党(PUR)のドゥラン・バジェンSixto Duran Ballen Cordovez(1921―2016)が当選し政権についたが、以後も不安定な政局が続き、1995年1月にはペルーとの間で国境紛争が起こった。1996年の大統領選挙で当選したエクアドル・ロルドス党(PRE)のブカランAbdala Bucaram Ortiz(1952― )は、1997年1月初めてペルーを公式訪問し両国の関係修復のための協定に調印した。しかし国内では大統領を含む官僚の汚職問題や緊縮政策断行に対する批判が高まり、国会は同年2月大統領弾劾を決議、ブカランにかわって上院議長のアラルコンFabian Ernesto Alarcon Rivera(1949― 、所属はアルファロ急進戦線党:FRA)が暫定大統領となった。同年4月アラルコンはペルーとの国境画定交渉を開始した。その後1998年8月大統領に選出された人民民主党(DP)のマワJamil Mahuad Witt(1949― )は、同年10月ペルーとの和平包括協定に調印し、12月より国境画定作業に入った(1999年5月国境線最終画定)。マワ政権は財政再建に取り組んだが、1999年1月ブラジル通貨切下げの影響により通貨スクレが暴落、通貨危機が発生し、政府は緊縮政策を行った。しかし政府の政策に国民は反発、各地で抗議デモが行われた。その後も通貨スクレは下落し、2000年1月政府は非常事態を宣言、通貨ドル化政策を発表したが、スクレを廃止し通貨をドル化することは国内資産しかもたない先住民や一般市民には大打撃となるため、抗議デモが激化しクーデターに発展した。結局マワは失脚し、同年1月22日副大統領のノボアGustavo Noboa Bejarano(1937―2021、所属は人民民主党)が大統領に指名された。ノボア政権はドル化経済変革基本法、投資促進・市民参加法などを成立させ、国際通貨基金(IMF)からの融資合意を取り付け、経済改革を推進し財政再建を図った。4月1日よりドルが公式通貨となり、9月9日スクレは廃止された(スクレからドルへの両替の最終期限は2001年3月)。2002年の大統領選挙では愛国的社会1・21党(PSP)のグティレスLucio Edwin Gutierrez Borbua(1957― )が当選、2003年1月15日大統領に就任、先住民族同盟の政党パチャクティクとの連立内閣が発足した。グティレス政権は、財政改革に着手したが、IMFとの協調緊縮財政政策にパチャクティクは反発、同年8月パチャクティクは連立内閣から離脱した。グティレスの緊縮財政政策に対して先住民をはじめとする国民、労働組合、社会団体の反発は強く、各地で反政府抗議行動が活発化、主要支持基盤の貧困層の支持は低下していった。2004年12月、国会で野党寄りの最高裁判所判事が更迭されたことでさらに批判が高まり、大統領辞任を求めるデモはしだいに拡大、非常事態が宣言された。2005年4月20日グティレスは罷免され、副大統領のパラシオAlfredo Palacio Gonzalez(1939― )が大統領に就任した。パラシオ政権は司法権の独立確保・小選挙区制の導入などの政治改革、インフラ整備、保健・教育部門の強化、法制度強化・治安の改善などに取り組んでいるが、官僚の汚職や対立などにより大臣の交替が相次ぎ不安定な政治運営が続いている。

 国会は一院制で定員100、議員の任期4年となっている。司法権は最高裁判所、高等裁判所および下級裁判所がつかさどり、死刑はない。地方行政は州、県、区に分かれる。州は21州である。州知事は大統領が任命する。政党は、愛国的社会1・21党(PSP、中道左派)、キリスト教社会党(PSC、右派)、民主左翼党(ID、中道左派)、エクアドル・ロルドス党(PRE、中道左派)、パチャクティク(PNP、左派)、制度的革新国民行動党(PRIAN、右派)、人民民主党(DP、右派)などがある。軍隊は陸軍(国防予算の3分の2を占める)、海軍、空軍からなり、最高司令官は大統領である。18~50歳までの男子には1年間の兵役義務がある。

[山本正三]

経済・産業

南アメリカで経済がもっとも遅れた国の一つであり、農林・漁業就業者比率は24.5%である(2002)。半封建的大土地所有制とアメリカ資本の支配が、経済的後進性の主要因である。

 農業地帯は、高原盆地における零細経営・低生産性の穀物地帯と、海岸部における大農式経営の熱帯性および温帯性農産物地帯に大別される。後者はとくに肥沃(ひよく)な地味や変化に富んだ気候を利用してバナナ、コーヒー、カカオ、綿花などの輸出用農産物の栽培が盛んである。中央高地の牧草地では大規模経営の牧牛が行われている。また、輸出向けの花の栽培が急速に発展してきた。農産物の最有力品目であるバナナは、1980年代前半は海外需要の停滞により生産が頭打ち傾向であったが、その後回復し、2004年の生産は603万8000トン(世界第4位)、輸出は469万9000トン(世界第1位)となっている。コーヒーは1970年代後半に国際価格の値上りによってバナナの輸出額を上回った時期もあったが、近年は国際価格が低迷しているうえ生産量が微減傾向にあるためコーヒーの輸出額は減少している。カカオの生産量は12万3000トン(2005)で微増傾向にある。鉱産資源はその豊富さが指摘されながら開発が遅れているが、石油は東部地方を中心に1971年以降急速に開発が進み、現在同国の輸出額で第1位(2003)を占める。産出された石油は、1972年に完成したアンデス山脈越えのパイプラインでラゴ・アグリオから太平洋岸のエスメラルダスまで約500キロメートルを輸送する。林産資源はアマゾン低地や海岸部に豊富で、バルサ材やアイボリー・ナットが特産品として知られるが、輸送上のネックのため未開発の部分が多い。工業は政府の保護政策にもかかわらず低迷しており、依然として食品、繊維、セメントなど基礎的消費材の比重が大きい。

 貿易は、輸出98億ドル、輸入86億ドル(2005)で、約12億ドルの出超である。主要輸出品目は石油、バナナ、生花、エビ、カカオ、コーヒーなどで、輸入は機械類、自動車、電気機械が多い。貿易相手国はアメリカが30~40%を占める。

[山本正三]

社会・文化

住民は先住民(インディオ)、および先住民とスペイン人を主とする南ヨーロッパ系白人との混血であるメスティソが、全人口の約4分の3を占め、南アメリカ諸国のなかでもっともインディオ的色彩が濃い国の一つである。スペイン人を主とする白人(クレオール)が約10%、先住民が約7%、黒人および黒人と白人との混血であるムラートが約5%を占める。白人は高原諸都市に住み大地主や商工業主など上層階級を、メスティソは都市中間層を、黒人はおもにプランテーションの労働者層を形成する。インディオは主として半封建的大土地で農奴そのままの生活を送っている。1人当りの国民総生産は2502ドル(2005)であるが、他の南アメリカ諸国と同様貧富の差はきわめて大きい。都市は多くの貧民を抱え、貧民問題は年々深刻化している。したがって労働運動は活発で、今日でも解雇、賃金不払い、物価上昇などに反対するデモ、ストライキなどが頻発している。農村では土地改革要求闘争、土地占拠運動が活発である。5~15歳までの初等・中等教育は無償(公立のみ)の義務制であるが、国民のおよそ9%は非識字者である。スペイン語が国語で公用語であるが、多くのインディオはケチュア語を用いる。オリエンテ地方には、ヒバロ語、サパロ語、トゥカノ語など土着の言語も残っている。文化的にはスペインの影響が強く、カトリックが広く普及している。政教分離をたてまえとしながらもカトリック教会は大地主で、政治面でも一大勢力である。

[山本正三]

日本との関係

第二次世界大戦中、一時外交関係は中断したが、1954年(昭和29)の平和条約の批准以降、両国は友好的な関係を維持している。エクアドルにおける在留邦人数は408人(2004)で、多くがキト市北部のエル・ボスケ地区、カロリーナ公園周辺の地域、ゴンサレス・スアレス地区などに居住している。両国間の貿易は、対日輸出額306億円、対日輸入額183億円(2004)で、約123億円の日本の出超である。主要品目は対日輸出がバナナ、石油、エビなどで、対日輸入は自動車、一般機械、自動車部品、電気機器などである。経済協力では、2004年度までにキト火力発電所・グアヤキル火力発電所設置計画、電気通信網拡充計画などへの有償資金協力(円借款)813億円、食料増産援助、災害緊急援助、地下水開発などへの無償資金協力221億円、技術協力168億円を供与している。また140人のエクアドル技術研修員を受け入れたほか、235人の専門家派遣、1083人の調査団派遣、321人の協力隊派遣を行っている。

[山本正三]

『ラテン・アメリカ協会編・刊『ラテン・アメリカ事典』(1996)』『星野妙子編『ラテンアメリカの企業と産業発展』(1996・アジア経済研究所、アジア経済出版会発売)』『田辺裕監修『世界の地理5 南アメリカ』(1997・朝倉書店)』『田辺裕監修『世界地理大百科事典3 南北アメリカ』(1999・朝倉書店)』『鴇田祐美著『エクアドルの空』(1999・東洋出版)』『鈴木孝壽著『ラテンアメリカ探訪10カ国――豊穣と貧困の世界』(1999・新評論)』『増田義郎編『ラテン・アメリカ史2 南アメリカ』(2000・山川出版社)』『寿里順平著『エクアドル――ガラパゴス・ノグチ・パナマ帽の国』(2005・東洋書店)』


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改訂新版 世界大百科事典 「エクアドル」の意味・わかりやすい解説

エクアドル
Ecuador

基本情報
正式名称=エクアドル共和国República del Ecuador 
面積=25万6369km2 
人口(2010)=1421万人 
首都=キトQuito(日本との時差=-14時間) 
主要言語=スペイン語 
通貨=スクレSucre(米ドルも使用)

南アメリカ大陸北部の太平洋岸に面した共和国で,赤道直下にあるため,国名も〈赤道〉にちなんでつけられた。北をコロンビア,南と東をペルーにはさまれた小国で,太平洋上のガラパゴス諸島を領有している。

地形は国土を南北に走るアンデス山脈によって3区分され,それぞれコスタCosta(海岸地方),シエラSierra(山地)およびオリエンテOriente(東部斜面)と名づけられている。国土の1/4を占める海岸地方は幅約30kmから150kmの肥沃な平野で,あちこちに標高700mほどの丘陵地がある。アンデス山脈から太平洋側に流れる河川は北部のエスメラルダス川と南部のグアヤス川で,後者は肥沃なデルタをもち,河口付近に同国最大の商業都市のグアヤキルがある。国土の中央部をアンデス山脈のオリエンタル,オクシデンタル両山脈が走り,それらは各所で結びつき,約10ヵ所の山間盆地を形成する。キト,クエンカなどの都市はこれらの盆地に発達している。オリエンタル,オクシデンタル両山脈は北部から中央部にかけて盛り上がり,太平洋側を走るオクシデンタル山脈には同国最高峰のチンボラソ山(6267m)が,またオリエンタル山脈には世界最高の活火山コトパクシ(5897m)がそびえる。オリエンタル山脈の東側斜面は熱帯樹林におおわれ,直接アマゾン低地に接続している。アンデス盆地から流出する河川の一部はこの斜面を下り,ナポ川やクラライ川などのアマゾン源流をなしている。アマゾン側の気候は高温多湿だが,太平洋岸の平野はフンボルト海流の影響を受けてしのぎやすく,一部に半乾燥地帯をつくっている。また高地の気候は高度によって左右され,3000m以上の冷涼な荒地パラモを除けば,快適な熱帯高地の気候を享受している。1987年に国の北東部を襲った地震により,首都キトの歴史的建造物が破損し,その復旧が続けられている。

人口の60%は海岸地方に分布し,残りが山地の各盆地に住みついている。1780年には海岸地方の住民は全人口の20%に達しなかったが,1962年には48%を超えた。海岸地方における農業の発達が人口分布の様相を著しく変えた。特にグアヤス,マナビ両州の未開拓地が開発されるに伴って,山地からの労働人口が大量にこの地域へ流入した。海岸地方の人種構成には,スペイン系の白人と黒人との混血ムラート,黒人とインディオとの混血モントゥビオが含まれるが,山地では白人とインディオとの混血のメスティソが主体であり,この点からも山地と海岸地方の住民の顔かたちにわずかな相違が認められる。メスティソと呼ばれる住民には通常純粋のインディオをも含み,社会・人種的にみてエクアドルはペルーおよびボリビアと同様,〈インディオの国〉と言われる。伝統工芸で知られるオタバロ族や特異な身体装飾をほどこすコロラド族,首狩り族の別名をもつヒバロ族など,種族の多様性に富み,使用言語も公用語スペイン語のほかに,山地農村部ではケチュア語が,アマゾン低地帯ではヒバロ語,サパロ語などの原住民語が用いられている。これらインディオ人口が社会の最下層をなし,山地人口の60%以上がインディオ零細農民よりなる。彼らの多くは土地を持たず,大土地所有者から労働の代償として家や小作地を借りるワシプンゴ制に依存しており,農村社会の近代化を妨げている。一方,メスティソはインディオの固有の習慣を捨て都市周辺に定着し,日雇労働者からしだいに商業に転じ,都市社会の下層部を構成している。この国ではいわゆる中間層に相当する階層の歴史が浅いため,一握りの白人地主や企業家で占める上流階級の支配意識が強く残る。教育面でも上流家庭の子弟の海外留学やカトリック系学校への進学が普通となっており,階級的差別が濃厚である。海岸地方では山地とは異なり,メスティソが中流および上流階級に進出するなど,きわめて流動的な社会を形成しており,ここにこの国の社会の新しい傾向を見ることができる。

1978年,エクアドル軍事政権は翌年の民政移管を前に1967年の修正憲法を大幅に手直しした。新憲法によると,4年任期の大統領選出に関しては,文民政権を義務づけた大統領候補の政党出身者制が採用され,しかも再選を禁止している。また国会が二院制から一院制に改められ,投票の簡素化に留意して文字を読めない人の投票資格を認めるなどの国情に合った規定を設けた。大統領の被選挙資格は35歳以上の男女,国民の国会議員投票資格は18歳以上の男女で,男子は投票を義務づけられる一方,女子には任意制がとられている。人口の3分の2が農業に従事しており,しかも男子の30%が文字を読めなかったため,大多数の下層階級は実質的に政治から除外されてきた。1946年に制定された憲法は,聖職者に選挙権を認めながら軍人,警察官には選挙権がないなどの点で,大土地所有者を中心とする白人上流階級による寡頭政治を反映している。山地の保守的な政党は教会勢力と手を結び同国の政治を支配してきた。大衆はカリスマ性の強い弁舌の巧みな独裁政治家を支持した。彼らは〈近代化〉で理論武装した保守主義者で,多くは法律家出身であるため政策に現実性を欠き,同時に政党の発達を妨げる要因となった。一方海岸地方では,銀行家および商業資本家が中心となって,山地には少ない都市労働者や新興中間層の支持を結集した政党が勢力を伸ばしている。海岸地方独自の反教会主義をかかげた自由党の伝統はしだいにうすれ,現在では政策上の相違よりも,経済面の利害に関する地域的対立色を強めている。この中間を社会党および共産党が労働総同盟などの全国組織を通じて進出しているが,この国の政治は基本的に地域主義に左右される。海岸地方の自由党と山地の保守党という構図は,マスコミの発達で大衆が政治を意識しだした70年代から変化していき,現存する政党の大半がこの時期に創設されたものと見てよい。

エクアドルは伝統的に農業国であるが,国土面積のうち5%の耕地しかなく,これに約5%の人工的牧草地が加わる。耕地面積は山地と海岸平野にほぼ等しく分布しているが,山地では地味が疲弊しており,灌漑施設も未発達である。山地の農業では土地を所有していない零細農民が安い労働力を提供してくれるが,海岸地方では労働力が不足するといった矛盾が生じている。また山地では伝統的にトウモロコシ,ジャガイモ,麦などの国内消費用の作物が栽培されているが,海岸地方ではバナナ,カカオ,コーヒー,米などの輸出用熱帯作物が中心となっている。山地農業の後進性は残存する大土地所有制度に起因するところが大きい。耕地の40%が現在も1%の大土地所有者の手にゆだねられ,農地改革は停滞し,農村社会は植民地時代のまま自給自足の体制を維持している。農民の生活条件も立ち遅れており,大土地所有に特有の農奴的な制度も温存され,土地改良を怠った収奪農法を続けたために,生産性は著しく低下している。

 20世紀に入って海岸地方の農業は民族資本家の手によって着手され,特に第2次世界大戦後にユナイテッド・フルーツ社(現,チキータ・ブランズ・インターナショナル社)の進出により,バナナを主とする熱帯作物の大規模栽培が開始された。エクアドルはごく短い期間に世界の主要なバナナ生産国に加わったが,1970年代に入るとアマゾン地帯に大量の石油鉱脈が発見され,同国の経済を大きく転換させた。石油の探査は古くからイギリス系資本が行ってきたが,1960年代にアメリカ系資本が優位に立ち,太平洋岸への送油システムの完成によって一挙に石油輸入国から輸出国へと転じた。73年には輸出総額の1位にあったバナナが原油にその地位を譲ったが,同時に深刻な国内インフレを招いた。90年代に噴出したアマゾン領域の自然を保存する運動は,関係6ヵ国による〈アマゾン協定〉を生み,91年には環境保護団体の反対でコノコ石油会社が操業を停止するなど,それまでの輸出構造における石油依存への見直しを迫られている。

スペイン人の征服によってエクアドル地方のインカ支配は崩壊したが,スペインはキトにアウディエンシアを設けて,植民地行政上ペルーから独立させた。18世紀末にはエクアドル生れのスペイン人たち(クリオーリョ)が〈愛国党〉を結成し独立運動が始まった。1822年南米の解放者シモン・ボリーバル将軍の副官スクレが南米各地から兵を集めてピチンチャ山麓でスペイン軍と戦い,これを敗走させた。同年5月24日に独立を宣言したが,ペルーを解放したサン・マルティン将軍とシモン・ボリーバル将軍とのグアヤキルにおける会見によって,政治的に南のペルーから離れ,コロンビアおよびベネズエラと合体してグラン・コロンビアの一部を形成する方向が定まった。その後絶えまない内紛の末,1830年5月グラン・コロンビアを離脱し,独立国として再発足した。

 初代大統領になるべきスクレ将軍が暗殺されたため,ベネズエラの軍人フロレスJuan José Flores(在任1830-35,1839-45)が大統領に就任し,軍事独裁を行った。彼は教会を弾圧しイエズス会士の追放を進めた。1861年に始まる15年間は,その反動というべき宗教立国を政治原理とするガルシア・モレノ大統領が政権を握った。彼はイエズス会士を呼び戻し,軍国主義者に対抗して教会と地主の支持を求めた。この期間に農業生産は増大し,鉄道や学校も数多く建設されたが,宗教色の濃い独裁政治は国内に盛り上がってきた自由主義と衝突するところとなった。海岸地方ではカカオの輸出で活気づき,銀行制度が発達した。海外との経済関係を背景にアルファロEloy Alfaro(在任1895-1901,1906-11)がグアヤキル自由党を強化し,彼の指揮する人民軍が山地の政府軍を倒し,1895年大統領に選ばれた。アルファロは政教分離と教会財産の没収を断行したが,国家統一の決め手となる土地改革は等閑視された。アルファロに続く大統領プラサLeonidas Plaza(在任1901-05,1912-16)も海岸地方の経済を優先させる政策をとった。ここにカカオ輸出のためのグアヤキル商業・農業銀行が政治を牛耳る時代が出現して,山地と海岸地方の対立意識をいっそう強めた。

 1925年7月,山地のメスティソからなる軍隊がグアヤキルの銀行家たちの国家支配を排して軍政を敷いた。病害によるカカオの生産減少に世界不況がつづき,山地,海岸地方の地域的対立がさらに激化していく中で,41年にペルー軍のエクアドル領侵攻が勃発した。エクアドルはアマゾン地方の2/3を喪失したが,領土奪回をめぐって国内世論が初めて地域的対立を超越した。自由党の支配は終わり,山地の保守勢力が再び台頭した。

 44年に始まったベラスコ・イバラ大統領による28年間に及ぶ長期政権時代には,労働組合,学生などを中心とする左派の反政府運動が強まり,61年国外亡命を余儀なくされた。この間に制定された新憲法下の大統領選挙でベラスコは勝利し,いっそう独裁色を強めた。軍部は72年にベラスコを追放し左翼的な軍事政権を樹立させた。軍政は同国史上最も民族主義的な政策を打ち出したが対米関係を悪化させ,国内では農地改革が保守・穏健派の反発を買い行き詰まった。柔軟な民主化路線を打ち出した三軍執政評議会は76年,2年後の民政移管を公約した。78年に国民投票を経た新々憲法が採択され,同国の政治は転換期を迎えた。漸進派のロルドスが軍政移管後初の大統領に選出されたが,間もなく81年に国境地帯におけるペルーとの軍事衝突が発生し,さらにロルドスが飛行機事故で死亡し,副大統領のウルタードが民主政治の基盤強化と経済開発を基本とする路線を継承して社会の鎮静化に努めた。

 それ以後の政治政策は中道右派の保守的なキリスト教社会党(PSC)を率いるフェブレス・コルデロ(1984-89)から左派民主党(ID)のボルハに政権が移った。前政権で進められた経済自由化を改め,92年には国内の148共同体に対する農地の所有権の委譲を実行するなど,農地改革を一歩前進させた。同年に選出されたドゥラン・バジェン大統領をもって同国の政治安定期は中断したとみてよい。ドゥランは国営石油公社の解体と民営化を進め,石油輸出国機構OPECからの脱退を宣言するなど,財政赤字とインフレの抑制策に成功をおさめた。しかし95年1月,ペルーとの関係悪化に伴う国境紛争地帯での軍事的警戒強化がすぐに軍事的衝突に発展した(99年5月,国境で標石が設置され,国境線が確定した)。武器の調達のため官民の給与遅配や停電など緊急事態に耐えるだけの団結が得られたものの,その後に噴出した副大統領,高官の汚職が国民を完全な政治不信へと走らせた。
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百科事典マイペディア 「エクアドル」の意味・わかりやすい解説

エクアドル

◎正式名称−エクアドル共和国Republic of Ecuador。◎面積−25万6369km2。◎人口−1448万人(2010)。◎首都−キトQuito(161万人,2010)。◎住民−インディオおよびメスティソ80%,ムラート,白人など。◎宗教−カトリック90%。◎言語−スペイン語(公用語)が大部分,ほかにケチュア語,ヒバロ語など。◎通貨−米ドル(2000年3月以前はスクレSucre)。◎元首−大統領,コレアRafael Vicente Correa Delgado(2007年1月就任,2013年5月3選,任期4年)。◎憲法−1979年8月発効,2008年10月改正。◎国会−一院制(定員124,任期4年)。最近の選挙は2013年2月。◎GDP−526億ドル(2008)。◎1人当りGDP−2840ドル(2006)。◎農林・漁業就業者比率−23.9%(2003)。◎平均寿命−男73.7歳,女79.4歳(2013)。◎乳児死亡率−18‰(2010)。◎識字率−84.2%(2009)。    *    *南米北西部の共和国。中央部をアンデス山脈が南北に走り,コトパクシ山をはじめ火山がある。赤道直下にあり,国名は赤道を意味するが,氷河をいただく高峰が多い。住民は標高2000〜3000mの高原地帯に集中して住む。灌漑(かんがい)による農業が行われ,バナナ,カカオ,コーヒーが輸出される。漁業も重要で,パナマ帽の特産のほか小規模の工業も行われ,銅,金,銀,鉛,亜鉛,石油などの資源があり,近年は石油が輸出額で第1位にある。 15世紀にインカ帝国の版図に入ったが,1534年インカ帝国はスペインに滅ぼされた。1822年グラン・コロンビア国の一部として独立,1830年同国から分離独立。1941年ペルーとの国境紛争で大敗し,広大な領土を譲った。以後,何度か(最近では1995年)大規模な衝突が繰り返されてきた。1944年―1968年のベラスコ・イバラによる長期政権をへて,1972年左翼的な軍事政権が成立するが,対米関係悪化などで行き詰まり,1978年民政移管された。1997年2月,政府の経済政策に抗議するゼネストが行われ,国会はブカラン大統領を職務遂行能力がないとして罷免した。1998年10月ブラジリア議定書によりペルーとの国境問題について合意が成立した。2002年の大統領選挙で,先住民組織の支援を受けた反乱軍将校グティエレスが当選したが,2005年4月に国会で罷免された。2007年1月急進的民族主義のコレアが大統領に就任。2007年4月新憲法制定に向けての国民投票を実施,賛成票が圧倒した。2008年10月新憲法発効。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エクアドル」の意味・わかりやすい解説

エクアドル
Ecuador

正式名称 エクアドル共和国 República del Ecuador。
面積 25万6700km2
人口 1761万2000(2021推計)。
首都 キト

南アメリカ北西部にある国。国名は国土の北寄りを赤道が通ることから由来 (エクアドルはスペイン語で「赤道」の意) 。北はコロンビア,東と南はペルーと国境を接し,西は太平洋に面する。約 1000km西の太平洋上にあるガラパゴス諸島を含む。国土の中央部をアンデス山脈が南北に連なり,西の海岸地方と東のアマゾン低地を分ける。アンデス山脈には同国最高峰チンボラソ火山 (6310m) ,世界最高の活火山コトパクシ火山 (5896m) をはじめとする火山,高峰が多い。標高 2000~3000mには山間盆地が発達し,ここにキト,クエンカ,アンバト,リオバンバなどの主要都市が立地。海岸地方は沿岸の低い山地とグアヤス川流域低地からなり,同川河口近くに最大の都市グアヤキルがある。アマソナス地方と呼ばれる東部のアマゾン低地は,ほぼ全域が熱帯雨林に覆われた人口希薄な未開発地域である。アンデス山脈と冷たいペルー海流の影響で,赤道地帯に位置するわりには涼しいが,気候は地域差が大きく,高温多雨のアマソナス地方から氷河の発達する寒冷な山地高所まで含む。住民の大部分はインディオ,およびインディオとスペイン系白人の混血で,黒人系住民はおもに沿岸部に住む。公用語はスペイン語。国教は定められていないが,ローマ・カトリックが多い。 1970年代にアマソナス地方北部の油田が本格的に開発され,石油と天然ガスの産出が多く,1990年代初めには石油が輸出総額の 40%以上を占めている。ほかに銅,銀,金などを産出するが,大部分は未開発で,鉱物資源には未調査のものも多い。農業は 1960年代までは最大の産業部門であり,現在もバナナ,コーヒー,カカオなどが輸出の 20%以上を占める。その他トウモロコシ,イネ,サトウキビ,ジャガイモ,キャッサバ,果樹などが栽培される。漁業も盛んで,エビは重要な輸出品。工業は 1970年代以降急速に発展,農業と並ぶ産業部門となった。製糖を中心とした食品と石油精製が盛んで,織物,衣料,金属,醸造,セメント,医薬品などの工業がグアヤキル,キト,クエンカを中心に立地。山地および熱帯雨林のため,交通網はあまり発達していない。主要交通路はアンデスを縦断するパンアメリカン・ハイウェー,キトとグアヤキルを結ぶ鉄道。グアヤス川水系の水運も重要。 (→エクアドル史 )

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「エクアドル」の解説

エクアドル
Ecuador

南アメリカ太平洋岸の北アンデス地方にある共和国。先スペイン期に,海岸と高地に発達していた首長制社会は,15世紀後半インカの支配下に入った。スペイン人征服者のベナルカサルがインカを破って,1534年キート市を建設。植民地時代にはペルー副王領に属し,キートのアウディエンシアの統治下にあった。1822年スクレがピチンチャの戦いでスペイン軍を破ったあと大コロンビアに属したが,30年離脱して独立した。地主,教会に支持されたガルシア・モレーノの独裁政治(1861~75年)に代表される高地の保守派と,カカオ,バナナなどの国際市場向け作物の生産が中心の海岸グアヤキル地方の自由主義派との争いは,その後長期にわたって続いた。1970年代にアマゾン低地で石油ブームが起こり,国の経済に大きな影響を与えた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「エクアドル」の解説

エクアドル
Ecuador

南アメリカ大陸の北西部に位置する共和国。国名はスペイン語で「赤道」の意。首都キト
15世紀後半,インカ帝国が征服。1533年ピサロに滅ぼされてスペイン領となる。1819年,シモン=ボリバルらによって解放され,コロンビア・ベネズエラとともに大(グラン)コロンビア共和国を形成,30年に分離・独立。住民の約半分をメスティーソが占める。1925年以来,軍部のクーデタや政権交代が繰り返された。1973年石油輸出国機構(OPEC)に加盟,石油輸出ブームで国民の生活も向上したが,貧富の差はなお大きい。1979年,7年におよぶ軍政から民政に移管され,ラテンアメリカ民主化の先鞭をつけた。1980年代後半の石油価格低迷に加えて,87年の地震による石油パイプライン破壊のため財政難におちいる。1992年OPECを脱退。1995年にはペルーとの国境紛争で両国軍が衝突。外交面では1990年以来中南米主要国で構成するリオグループに加盟し,経済面では財政赤字縮小が課題となっている。

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