デジタル大辞泉
「エグモント」の意味・読み・例文・類語
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エグモント
- ( Egmont )
- [ 一 ] 戯曲。五幕。ゲーテ作。一七八七年発表。一六世紀のオランダ独立運動の指導者エグモントの運命を描く悲劇。
- [ 二 ] ゲーテの戯曲に付帯して、ベートーベンが作曲した序曲、間奏曲など、全一〇曲の劇中音楽。
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エグモント
えぐもんと
Lamoral Graf van Egmont (Egmond)
(1522―1568)
ネーデルラント貴族。第4代エグモント伯。スペインの対フランス戦争の際、フェリペ2世軍の輝かしい名将としてサン・カンタン(1557)およびグラブリーヌ(1558)におけるスペイン軍の勝利に貢献した。1559年ブラバントおよびアルトアの州総督に任ぜられ、国家諮問委員会のメンバー、ネーデルラントにおけるスペイン軍司令官に列せられた。しかし、スペイン人総督アルバ公の圧政に苦しむネーデルラントのためにこれに抗議、フェリペ2世に直訴に及んだ。カルバン派との協力も辞さないこの抵抗運動のために同志ホールン伯とともに67年9月逮捕され、査問委員会にかけられて翌年6月5日ブリュッセルの大広場で斬罪(ざんざい)に処せられた。同市中央駅に近いプチ・サブロン公園には、ネーデルラント反乱の口火を切ったこの2人の愛国者の立像がある。エグモントのおもかげはゲーテに霊感を与え、もっとも美しい悲劇の一つ『エグモント』(1787)をつくらせ、その「序曲」がいまなお親しまれているベートーベンの作品を生んだ。
なお、エグモント家の歴代当主は、オランダ北部の村エグモントのベネディクト会修道院に埋葬されている。
[磯見辰典]
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エグモント[伯]【エグモント】
ネーデルラントの大貴族。軍人。フランス・スペイン戦争(1557年―1559年)で武名をあげた。スペイン王フェリペ2世の腹心グランベルの専制に反抗し,ウィレム1世らとともにネーデルラントの貴族を率いてグランベルを退去させた。その後は運動の主流からは外れたが,アルバ公に捕らえられて処刑された。ゲーテの戯曲《エグモント》で知られ,またベートーベン作曲のその付随音楽も有名。→八十年戦争
エグモント[山]【エグモント】
ニュージーランド北島西端近くにある休火山。美しい円錐形をしており,登山者が多い。周辺は1900年にエグモント国立公園に指定された。標高2518m。
→関連項目ニュージーランド
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エグモント
Lamoral Graf von Egmont
1522~68
ネーデルラントのフランデレンの政治家,軍人。フランスの対スペイン戦争(1557~59年)に参加して,フランスを大敗させた。スペインの圧迫が加わると,これに反抗してネーデルラントの独立を図ったが,67年捕えられて処刑された。これがオランダ独立戦争の導火線となる。ゲーテの悲劇『エグモント』の主人公。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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エグモント
Lamoral, Comte d' Egmont
1522〜68
オランダ独立運動の初期指導者
スペインの対仏戦争に従軍。のちオラニエ公ウィレムとともに反スペインの独立運動を起こし,アルバ公に捕らえられ,処刑された。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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エグモント
ドイツの作曲家L・v・ベートーヴェンの管弦楽(1809-1810)。原題《Egmont》。同名の戯曲のための劇付随音楽として作曲された。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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