エスキモー(英語表記)Eskimo

翻訳|Eskimo

デジタル大辞泉 「エスキモー」の意味・読み・例文・類語

エスキモー(Eskimo)

シベリア東端から、アラスカカナダグリーンランドに至る極北ないし亜極北地帯に住む、モンゴロイド系の民族。漁労や狩猟で生活するため、移動することが多い。
[補説]自称の民族名として「人間」の意のイヌイットがエスキモー全体をさすように使われるが、これはカナダでの自称で、他にイヌピアック(北アラスカ)、ユピック(西南アラスカ)などの称がある。

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精選版 日本国語大辞典 「エスキモー」の意味・読み・例文・類語

エスキモー

  1. 〘 名詞 〙
  2. ( Eskimo 元来北米先住民族のアルゴンキン族のことばで「生肉を食べる人」の意 ) 主としてグリーンランドからアラスカの極寒地方に居住し、狩猟・漁撈生活を営んでいる民族。人種的には黄色人種(モンゴロイド)に属する。自称としては、「人間」を意味する、イヌイット(カナダ)、イヌピアック(北アラスカ)などの語が用いられている。→イヌイット
    1. [初出の実例]「若エスキモス(北方の人種の名)此諸物を擾らずんば、一たび此地に致らん人は、必ず是を視ことあらん」(出典:玉石志林(1861‐64)一)
  3. エスキモーけん(━犬)

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改訂新版 世界大百科事典 「エスキモー」の意味・わかりやすい解説

エスキモー
Eskimo

ベーリング海峡地域から,アラスカ,カナダの北極海沿岸,ラブラドル,グリーンランドにいたる極北地方に居住する採集狩猟民。エスキモーという名称はアルゴンキン系インディアンのアブナキ語やオジブワ語などの〈生肉を食べる人〉を意味する語に由来するとされたため,カナダのエスキモーはその使用を避けて〈人間〉という意味の〈イヌイットInuit〉と自称し,現在では公的にもこれが用いられている。しかし,最近では,エスキモーという言葉は〈かんじき〉を意味する語に関係があり,侮蔑的なニュアンスはないとする解釈が一般的である。また,アラスカではエスキモーが,グリーンランドではカラーリットKalaallit が一般的呼称とされている。エスキモーは,文化や言語から,西部のユピックYupikと東部のイヌイットに別けられ,カラーリットはイヌイットに属する。2009年のエスキモー全体の人口は,シベリア最東端に居住するシベリア・エスキモーを含めて約15万5000人で,人口増加率は他の集団に比較してかなり高い。エスキモーは近縁のアレウト族とともに,その寒冷適応型の文化や身体的特徴がアメリカ・インディアンとは異なる点が多いことから,アメリカ・インディアンの祖先より後で移住してきたアジア人を祖先にもつと考えられている。
アメリカ大陸先住民
執筆者: エスキモーの居住地域は,アラスカを除いて森林限界以北のツンドラ地帯で,ほぼ永久凍土帯に相当する。河川沿いのヤナギ類の灌木のほかは樹木は少ない。気候は長く厳しい冬と,短く冷涼な夏に特徴づけられ,南アラスカ以外では冬季には海岸は海氷におおわれる。南アラスカは海洋性気候のため比較的温暖で,冬季の海氷はほとんど見られない。

 ヨーロッパ人が最初(10世紀ごろ)に接触したのは,グリーンランドやラブラドルのエスキモーであった。その後,北西航路(ヨーロッパから北西に航海して,アメリカ大陸の北を経由し,太平洋,アジアに達する航路)の探索や科学的探検隊の派遣により,しだいにエスキモー文化が明らかにされた。一連の探検隊のなかで最も著名なのは,1920年代に派遣された第5次チューレ探検隊で,その中心になったのはグリーンランド出身のラスムッセンKnud Johan Victor Rasmussen(1879-1933)であった。彼はカナダのバレン・グラウンズのカリブー・エスキモーなどの調査をした後,北極海沿いに犬ぞりでアラスカのシューワード半島まで行き,東エスキモー語が広い地域で通用することを実証する結果となった。一方,アラスカ・エスキモーの調査は19世紀半ばごろから始まったが,東部のエスキモーに比べ調査の歴史は浅い。

 伝統的なエスキモー文化の特徴は,東部のエスキモーの調査に基づいて,冬の海への適応にあるとされる。海氷上に開けた呼吸孔にくるアザラシを独特な回転離頭銛を使用して捕獲する海獣狩猟と,春と秋に移動するカリブーを河川,湖沼,囲いなどに追い込んで捕獲する狩猟が生業の基盤であった。海岸地方や河川の中・下流ではサケ・マスなどの漁労活動が,北西アラスカでは捕鯨も行われた。例外は内陸に居住するカリブー・エスキモー(カナダ)とヌナミウト・エスキモー(アラスカ)で,主として内陸のカリブー狩猟に依存していたが,海の産物も交易により入手していた。アザラシやカリブーは食料や衣服,道具の原材料に用いられた。カリブー,アザラシの肉はナイフで細かく切って生食されたが,石ランプ上の土鍋で煮沸もされた。サケ・マスなどの魚は乾燥・薫製にして保存され,アザラシの脂肪とともに食に供された。植物性の食料は野イチゴなどに限られていた。伝統的な衣服はすべて毛皮製であった。カリブーやアザラシのなめした毛皮を裁ち,腱の糸で縫い合わせた。とくに上着はフード付きのコート様のものであった。手袋は毛を内側にしたミトンであった。靴はアザラシの毛皮で作られ,靴下に相当する中ばきが用いられた。いずれも体の周辺に何枚かの空気の層を作り,毛皮と空気のもつ断熱性,保温性を最大限に利用した優れた衣服であった。冬の住居は地域により変異があった。アラスカやグリーンランドでは石,流木,鯨骨を使った半地下式の芝土でおおった住居で,中央に炉のある部屋と寒気よけの地下道式の入口をもつ構造であった。カナダのハドソン湾周辺は例外で,雪のブロックを積んだ家(イグルー)が用いられた。夏の漁労・狩猟には海岸,河岸の乾燥地で毛皮製のテントが使用された。石ランプが暖房,照明,調理のための道具であった。冬の交通手段はカンジキ(スノーシュー)と犬ぞりであった。犬ぞり用の犬の編制法は東部では扇形,西部では縦形の差がある。無氷期の交通にはウミヤックとともにカヤックも用いられていた。両者とも海上における狩猟と捕鯨にも使用された。交易などのためにかなりの人口が一定の場所に季節的に集まることはあったが,エスキモーの基本的な社会集団の単位は小さく,数家族からなる季節的に遊動する小バンドであった。しかし,北西アラスカでは,ウミアリクとよばれる捕鯨の指導者を中心に,かなりの数の労働集団が構成されていた。

 伝統的な冬の海への適応と内陸のカリブー猟がどのくらい古くから成立していたかを求めて,F.レーニー,H.B.コリンズ,J.L.ギディングス,D.デュモンらにより考古学的調査が行われてきた。その結果,前3千年紀に始まり,現在のエスキモーの居住域とほぼ分布が一致する極北小型石器文化をエスキモー文化の最古のものとみる説と,海への適応がアラスカではそれよりも古いオーシャン・ベイ文化期(前4千年紀)から始まっており,しかも極北小型石器文化の起源が必ずしも明らかでないことを根拠に,エスキモー文化の最古層を前1000年ごろに始まるノートン文化に求める説とがある。ベーリング海地域でノートン文化の基盤の上に発展した後のチューレ文化(1000B.P. 以降)は,比較的短期間にエスキモー全地域に伝播し現在のエスキモー文化の基礎となった。

 伝統的なエスキモー文化は外部からの諸影響により大きな変化を遂げた。生活の必要物資が外部からもたらされ,貨幣経済に組み込まれるにつれて,エスキモーが雇用の機会に恵まれた地点へ集中する現象がおこり,最近では遊動性を喪失して定着化する傾向が顕著になった。政府の援助により暖房設備付きの木造家屋が普及し,伝統的な石造りや流木で造った半地下式の芝土の住居はほとんど姿を消した。食料も外部から持ち込まれる小麦粉や砂糖などのデンプン食品や,缶詰,野菜などが普及した。衣服もほとんど外部から持ち込まれている。交通手段も,伝統的な犬ぞりに代わって小型の雪上車が使用され,ウミヤックやカヤックに代わって船外モーター付きの金属製のボートが普及している。各地には飛行場や学校も建設され,定期的に物資や郵便物が送り込まれている。しかし,風疹,痘瘡,性病,結核などの伝染病も新たに持ち込まれ,社会問題となっている。社会組織も大きな変化を遂げた。とくにアラスカでは原住民の土地所有権が法的に確認され,原住民は村落会社,地域会社に組織化された。そのため一地域会社は数千人の住民で構成され,伝統的な小バンド社会とは異次元の問題に直面している。また,現金収入を求めて,工芸品や美術品の制作も行われている。例えば,カナダ・イヌイットの石彫品,版画などは原始美術としても収集の対象にされているが,彼らの世界観の表現としても注目されている。
執筆者: 近年先住民族が自らの直面する諸問題を解決するために連帯する活動がさかんであるが,アラスカ,カナダ,グリーンランドのイヌイット(エスキモー)の代表者は,1977年6月,アラスカのバローで〈イヌイット周極会議Inuit Circumpolar Conference〉(略称ICC)を設立し,89年からはシベリア・エスキモーも参加している。環北極圏の環境問題,捕鯨の権利の擁護など共通の課題をめぐって活動している。また,カナダのノースウェスト・テリトリーズでは,その東部・中部を分離して1999年にイヌイットの準州ヌナブトNunavtが設置された。
執筆者:

儀礼を行うための特別の冬の家(カシム)で,太鼓の伴奏で歌い踊る情景がエスキモーの伝統的芸能を象徴している。シャマニズムと採集狩猟の生活を映し出しているこの〈太鼓踊歌〉は,比較的明瞭にその地域的特徴を示している。例えばアラスカでは,歌い手(太鼓の打ち手でもある)と踊り手が別々であるが,カナダやグリーンランドでは1人で太鼓をたたき,歌い,踊るのが普通である。歌の旋律は5音音階を基に,音域の狭い短い動機的音型を繰り返すものが多い。拍子は2拍子を主としているが,拍に長・短があったり,5拍子や7拍子といった変拍子のものがあったりして変化に富んでいる。この〈太鼓踊歌〉は,作った人の名前が長く記憶され,その人に一種の所有権があるのが興味深い。〈太鼓踊歌〉以外の種類としては,〈子守歌〉〈物語歌〉〈シャーマンの歌〉〈遊び歌〉等がある。なかでも〈遊び歌〉は大人の生活にとっても重要なもので,踊りくらべ,歌くらべ等の競技的なもの,物語や情景の描写を紐で綾なす〈あやとり歌〉,アイヌにもあって(レクッカラ)注目されている〈のど鳴し〉等がある。踊りは,一定のパターンを左右シンメトリカルに繰り返す踊りと,物語をもつパントマイム風な動作の自由な踊りとに大別される。いずれも腰を低く落とし,もっぱら,手,腕,腰と上半身を使い,足は床に固定してほとんど動かさない。楽器はアザラシやカリブーの胃袋を使った一面太鼓が唯一のものである。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「エスキモー」の意味・わかりやすい解説

エスキモー

アジア大陸北東端のチュコトカ半島,グリーンランド,カナダ,アラスカの北極海沿岸,その内陸等に住む人びとの総称。名称はアルゴンキン系インディアンの言葉で〈生肉を食べる者〉に由来する。カナダではイヌイット,アラスカではエスキモー,グリーンランドではカラーリットと呼ばれる。約10万人で,エスキモー語を話す。従来は,おもに北極海沿岸部ではアザラシやクジラなどをとり,内陸部ではトナカイを飼って生活。近年エスキモー文化や先住民としての権利を認める運動が進んでいる。
→関連項目アメリカ・インディアンアメリカ合衆国アレウトイグルー犬ぞり(橇)レース祖父江孝男フラハティ北極地方

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デジタル大辞泉プラス 「エスキモー」の解説

エスキモー

1933年製作のアメリカ映画。原題《Eskimo》。監督:W・S・バン・ダイク。第7回米国アカデミー賞編集賞受賞。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「エスキモー」の解説

エスキモー

イヌイット

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世界大百科事典(旧版)内のエスキモーの言及

【エスキモー語】より

エスキモー・アレウト語族に属し,シベリアのチュコート半島,南西および北アラスカ,カナダ極北(ラブラドルを含む),グリーンランドで約8万(1982推定)のエスキモーが話す5ないし6の言語の総称。話者の数でいえば,チュコート半島には少なく,北アメリカ大陸北辺とグリーンランドが語域の中心である。18世紀以来,白人との接触の結果,ヨーロッパ系言語に蚕食されてきてはいるが,全体としてはいまも大きな活力をもつ。…

【アメリカ・インディアン】より

…南・北両アメリカの原住民。人類学上はエスキモーとアレウト族を除く諸民族のことをいうが,一般には含める場合もある。そのなかで,北アメリカの原住民をアメリカ・インディアン,中南米の原住民をインディオと呼ぶのが日本では普通である。…

【入墨∥刺青】より

…刃状のものと針状のものとに大別できる。エスキモーをはじめとする極北やシベリアの諸民族には非常に独特な技法が見られる。糸に色料を塗り付け,針で皮膚を縫い,色素を皮下に定着させるのである。…

【毛皮】より

…しかし現在もなおロシアは世界有数の毛皮産出国であり,幾種類かの高級毛皮を国際市場に送りだしつづけている。【松木 栄三】
[エスキモー]
 エスキモーをはじめ北方民族で最も愛用されているのは,優れた保温力をもつカリブー(トナカイ)の毛皮であろう。次いでアザラシの皮が多用されている。…

【氏族制度】より

…後者の場合は,結婚した幾人かの息子がその父親のキャンプに屋根だけを別にしてとどまるところから生じた,一種の父系的大家族であって,その大きさは10人ないし20人余りくらいを常とする。極北の環境にかなり高度の技術をもって異常な適応をしめしたエスキモーの単位的社会集団もせいぜい20戸から30戸くらいの小部落の範囲をこえず,氏族にあたる組織をもたない。 以上のような採取狩猟民にあっては,一定面積内で可能な食糧獲得の制約が,人間の単位的結合の限界を規定しているもののごとく,言語や生活様式の共同にもとづいて第三者が部族とよぶようなカテゴリーも,彼ら自身にあっては,なんら社会構成上の意義はもちえないのである。…

【住居】より


[地域の自然と建築材料]
 その土地に長く生き続けてきた住居を見ると,その材料はまちがいなくそこに豊かに存在してきた物を利用している。その典型には,有名なエスキモーのイグルー(カナダのキング・ウィリアム島,メルビル半島を中心とした地域の人々が主としてつくる)がある。無尽蔵にある雪を用いて,5,6人用の雪の家が,一人の力で2時間たらずでつくられる。…

【狩猟】より

…【永田 雄三】
【狩猟民】
 およそ1万年前に農耕や牧畜の生産手段が出現するまでの,人類300万年の歴史の99.7%を支えてきた採集狩猟の生活様式は,現在ほとんど姿を消し,ごく少数のグループのみが砂漠や熱帯降雨林,極北の氷原など,農耕にも牧畜にも不適な生活条件の厳しい辺境の地にのみ残存している。 エスキモーは極地の狩猟民として有名である。犬ぞりやカヤック(皮張りのボート)といった移動運搬手段,独特な住居と衣服,海獣の脂肪を燃やしての暖房,離頭式の銛(もり)などの精巧で複雑な狩猟具等,狩猟民としては最高度の物質文化と技術を保有し,寒冷気候への徹底した適応を遂げている。…

【デンビー・フリント文化】より

…極北小型石器伝統は南西アラスカやアラスカ半島から,北極海沿いに,北アラスカ,カナダの北極海諸島,グリーンランドまで広く分布する。この分布域が歴史時代のエスキモーの分布地域とほぼ重なるため,エスキモー文化の最古層を表すものと解釈され,エスキモー文化の起源を示すものとされてきた。極北小型石器伝統は,前1000年ころ,つぎのノートン伝統へと発展してゆく。…

【モンゴロイド大人種】より

…ミクロネシアではメラネシア人種と混血したと考えられる。エスキモーは北モンゴロイドと類似するが,極端な狭鼻で,B型が少ない。アメリカ・インディアンはすべて氷河時代末期にアジアから移住した人々の子孫で,1人種にまとめられているが,北アメリカでは比較的背が高く,南アメリカでは低く,西は短頭,東は長頭傾向という違いがある。…

※「エスキモー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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