翻訳|elite
エリートということばは一般的には選ばれた者(選良とも表記される)、優れた者、指導的な立場にある者等々、多義的に用いられている。イデオロギー的な意味合いをもって語られるときもあれば、ただ単に優れているという意味合いをもって語られるときもある。教育社会学者で『エリート形成と教育』の著者である麻生誠(あそうまこと)(1932―2017)によれば、エリートということばが最初に使われたのは17世紀ごろのことで、とくに良質な商品をさして用いられていたが、その後、軍隊の精鋭部隊、上級貴族のような優越的な社会集団を意味するようになったという。エリートということばにイデオロギー的なにおいを感じとったり、道徳論的、規範論的、価値論的な意味合いを感じとったり、感情的に反感をもったり、さまざまな受け止め方がなされてきた。ことに日本においては、第二次世界大戦後、エリートといえば反民主主義、反平等主義のように受け取られ、語るのもはばかられるような傾向さえあった。
イギリスの社会学者であるボットモアThomas B. Bottomore(1920―1992)が指摘するように「あらゆるエリート論は、何らかの現実的意味における民衆による政府なるものの存在を否定する」という考え方も根強く残っているわけで、いわば冷静に、客観的に論じる対象ではなかったのである。さらに、国家主義的な優生学や英才教育論と結び付ける形で論じ、その危険性を指摘する論稿も後を絶たない。1980年代なかば以降、ようやくエリートないしエリート教育に関する研究や言及が多くみられるようになってきた。
[山内乾史 2018年5月21日]
エリートの研究は歴史が古く、かなりの蓄積をもっている。V・パレートが1900年に執筆した『イタリア社会学評論』のなかの「社会学理論の一つの応用」という論文がもっとも古いものの一つと考えられる。この論文は日本では『エリートの周流』という題で邦訳刊行された。パレートはイタリアの貴族出身の社会学者であり、経済学や心理学の業績もある多才な人で、体制の形態にかかわらず、すべての社会は少数エリートによって支配されると考えた。そして、ときには総体としてあるエリートが既成のエリートにとってかわることもあると指摘した。パレートにとっては、人間はけっして平等につくられたものではなく、身体的能力においてと同様、知的能力においても不平等につくられたものなのである。そこから社会の階層化が不可避的に生じる。パレートのエリート論は、イデオロギー的であるという批判はあるものの、価値論的、道徳論的な議論から可能な限りエリート論を切り離し、その社会的機能を中心に論じようという姿勢が一貫している。また、エリートの周流の必然性と生起の条件を解明したことは後のエリート論に大きな影響を与えた。
[山内乾史 2018年5月21日]
ついで重要なエリート研究はC・W・ミルズによるものである。彼は代表作『パワー・エリート』において、政治・経済・軍事の3領域のエリートにコマンド・ポスト(支配地位)が集中的に配分され、権力が集中すると述べた。しかも、彼によればこの層は何ものにも拘束されず、責任をとることもないのである。彼の生きた1950年代のアメリカ合衆国に対する悲観的な社会観に基づくエリート論といえる。彼のエリート論では制度が人をつくり、エリートをつくるということになる。ミルズ以前の個人のキャリア分析を中心にしたエリート論は制度的側面を見過ごしがちであったことを考慮すれば、ミルズの業績も大きいといえる。
[山内乾史 2018年5月21日]
さらに、ボットモアのエリート研究がある。彼は著書『エリートと社会』において、民主主義とエリートの存在の関係、支配階級とエリートとの関係について過去の研究者の論稿を整理しているが、とくに意識しているのはマルクス主義陣営のエリート論、民主主義社会論である。なかでも独特と思われるのは、エリートの多元性が民主主義社会の健全性を保証しうるのか、民主主義は諸エリート間の競争によって保証されるのかという議論である。この問題を考察していくうえで、エリートの存在と民主主義との相克の問題と並んで、エリートの存在と社会の平等性との相克の問題が現れる。この問題に対して、ボットモアは「階級なき社会が知的領域における独裁と政治的独裁とをもたらす危険がある」という形での階級なき平等社会の理想に対する批判を整理する一方、「諸エリート論者は平等の精神に譲歩をしながらも、他方では種々の方法によって過去の不平等社会からの遺産を擁護しようとする。エリート論者らは、支配者と被支配者との絶対的分裂を強く主張し、それを一種の科学的法則であるかのごとく提示する。しかし、他方では民主主義を諸エリート間の競争と定義することにより、民主主義とかかる支配者と被支配者への分裂という事態とを調和させる。エリート論者は、社会の階級分化を承認し正当化する」と述べ、エリート論者にも鋭い批判の矢を向ける。その一例として、ボットモアはエリート論者がしばしば主張する「機会の平等」という概念を批判し、「機会の平等」という概念そのものが不平等を前提としていると述べている。たとえば、教育ひとつをとってみても、社会階級の影響力が強固であり、教育を受ける機会の均等などは階級なき社会か、エリートなき社会でないと実現しえないのである。ボットモアはエリートを巡るマルクス主義陣営の空疎な平等社会論を批判するのと同時に、保守主義陣営の空疎な機会均等論をも痛烈に批判したわけである。
[山内乾史 2018年5月21日]
しかし1980年代以降、教育の現場において子供の個性・能力・発達段階に応じた教育、いわゆるスペシャル・ニーズに応じた教育を施すべきだという議論が大きな流れを形成している。これはイギリス、アメリカの新保守主義的な議論、日本の臨時教育審議会(1984~1987)の議論に典型的にみられた。従来の画一的な教育、「悪平等」のもたらす弊害が大きくなってきたとされ、教育の現場においてもエリート教育、あるいは才能ある者の教育を見直そうという動向がある。こういった流れはその後、教育改革国民会議、教育再生会議(首相の私的諮問機関)等に引き継がれている。いわば第二次世界大戦後の過度な平等主義がもたらした、あるいは積み残してきた課題の一つがエリート教育であるといえる。
[山内乾史 2018年5月21日]
エリート教育機関としてアメリカ合衆国のプレップ・スクール、イギリスのパブリック・スクール、フランスのリセ付設のグランゼコール準備級、ドイツのギムナジウムがあげられ、日本については第二次世界大戦前は旧制高等学校、戦後は私立中高6年一貫校がよくあげられる。しかし、かつてのような高学歴者の少ない時代とは異なる現代において、大衆教育とエリート教育がどういう関係にあるのがよいのか、議論は絶えない。たとえば、正規の学校教育体系内でやるのか体系外でやるのか、国が関与するのがいいのか悪いのか、一部の教育機関で集中的に行うのか、多くの機関に分散させるのか、高学歴社会ではまったくのレッセ・フェール(自由放任)状態から質・量とも十分なエリートが登場するため、とくにエリート教育はいらないのか、論点も多岐にわたる。エリート教育あるいは才能ある者に対する教育はスペシャル・ニーズの一つとして位置づけられる傾向にあるともいえるが、平等主義者の根強い反論もある。ことに日本では時代の混迷を反映して強力なリーダーシップをもった優れたエリートの登場を待望する声もあれば、それへの反論もある。エリートおよびその教育を巡る議論はもっとも熱い議論の一つであるといえよう。
なお、1990年代以降、日本でみられる際だった特徴は、エリート教育と才能教育との分化である。才能教育は「飛び入学」制度の導入以降、さまざまな形で教育現場において制度化されている。現在では公立高校においてすら特進コースが設置されているほどである。しかし、これらの才能教育は、先述のスペシャル・ニーズに応じる教育であるとして導入されており、ほとんどの場合、「エリート教育ではない」ことをうたっている。能力に応じた教育が実現する陰でエリート教育がますます忌避されるようになっているゆえんである。
[山内乾史 2018年5月21日]
『T・B・ボットモア著、綿貫譲治訳『エリートと社会』(1965・岩波書店)』▽『C・W・ミルズ著、鵜飼信成・綿貫譲治訳『パワー・エリート』上下(1969・東京大学出版会)』▽『V・パレート著、川崎嘉元訳『エリートの周流――社会学の理論と応用』(1975・垣内出版)』▽『麻生誠著『エリート形成と教育』(1978・福村出版)』▽『麻生誠著『日本の学歴エリート』(1991・玉川大学出版部)』▽『山内乾史著『文芸エリートの研究――その社会的構成と高等教育』(1995・有精堂出版)』▽『橋本伸也他著『近代ヨーロッパの探求4 エリート教育』(2001・ミネルヴァ書房)』▽『日本比較教育学会編『比較教育学研究45号 特集「各国の才能教育事情」』(2012・東信堂)』▽『柏倉康夫著『エリートのつくり方――グランド・ゼコールの社会学』(ちくま新書)』
〈選良〉〈精鋭〉などと訳されているエリートという語は,いまだに定訳をもたず,むしろ〈エリート〉という言葉自体が日本語として定着しているといえる。フランス語のエリートéliteという語は17世紀にすでに用いられていたが,それが政治的概念として英語圏でも用いられるようになったのは1930年代以降のことである。エリート理論はマルクス主義理論に対する批判として生まれた。つまり,マルクス主義が政治を上部構造としてとらえ,下部構造である経済によって究極的に規定されるとしたのに対して,エリート理論は政治の自律性を説き,政治エリートはけっして経済的エリートと同一視しえないことを指摘した。
イタリアのV.パレートはその著《社会主義体系》(1902)のなかで,マルクスの理論を批判して,資本家と労働者の間の闘争が終結しても,それによって階級闘争が消滅するというのは幻想であると主張した。闘争は〈知識人と非知識人の間に,諸種の政治家の間に,政治家と彼らによって統治される者たちとの間に,革新派と保守派の間に〉依然として生ずるであろうとされた。彼はその後の著書《一般社会学大綱》(1916)で〈統治エリート〉と〈非統治エリート〉の区別を強調した。すなわち,〈政府の中で直接的にせよ間接的にせよ相当重要な役割を果たしている人々から成る統治エリートと,そうでない残りの人々から成る非統治エリート〉の区別であり,しかも,個人がエリート層と非エリート層との間を往復し,また,エリート層内部で異なったタイプのエリートが交替することを重視した。パレートはこのエリートの往復・交替は人間のもっている〈結合の本能〉と〈集合体維持の本能〉によって支えられているという。結合の本能からは政治的連合や権謀術数が生まれ,知にたけ,狡猾で,説得の術に長じたエリートがここに属し,集合体維持の本能からは連帯,規律,秩序などが生まれ,力と堅実さと高潔さを備えた,強制力の行使にたけたエリートがここに属するとした。
パレートが心理的要素を重視するのに対して,イタリアの政治学者G.モスカは組織的要素を重視した。モスカは,少数者は少数者であるがゆえに有効に組織されうるが,逆に多数者は多数者であるがゆえに組織されることが困難であり,その結果,少数者の支配を受けざるをえないとして,少数エリートによる多数者の支配を説いた(《支配階級》1896,英訳版1939)。また,ドイツの政治社会学者R.ミヘルスもモスカの影響下に,寡頭制の鉄則を説明する。ミヘルスはドイツの社会民主党を分析し,いかなる組織も少数の幹部に権力を集中することなしに,その規模を拡大することはできないとし,規模が拡大すれば必ず寡頭制的支配者を生みだすと主張した(《現代民主主義における政党社会学》1911)。組織が寡頭制化する理由には組織自体の性質と人間性によるものとがある。組織の拡大は直接参加による決定を困難にし,少数者による官僚組織を生みだす。この少数者は組織の運営を通して,より多くの情報や技術を獲得してその支配的地位をいっそう強めるのである。また,一度権力を握った者は権力を維持することに専念し,その結果,組織目的の実現よりも組織自体の維持が重要になる。他方,大衆の無力感は,指導者を求める欲求や指導者に対する尊敬を強め,指導者の地位を強化する。このようにして,人間性そのものが組織内での少数支配者に優越した地位を与えるというのである。
C.W.ミルズは1950年代のアメリカの権力構造を明らかにするために,制度論的要素を重視した。ミルズは〈重大な結果を伴うような決定を下しうる地位〉を占めている人々をパワー・エリートと呼び,政治・経済・軍事のおのおのの頂点にいるパワー・エリートが,相互に密接な関連をもってアメリカを支配していると指摘した(《パワー・エリート》1956)。それは〈権力の分散〉〈自由競争〉〈多様な民兵制度〉を特徴としてきた,かつてのアメリカ社会が変貌して,今や連邦政府が圧倒的に州に優越し,連邦政府内部でも行政部に権力集中がなされていることの指摘でもあった。
このように,エリート理論はマルクス主義の経済一元論に対して,政治独自のダイナミックスを提示した。マルクス主義者のレーニンがまた熱烈なエリート主義者でもあったという事実はエリート理論の重要性を裏書きしているといえる。また,エリート理論は自由民主主義の素朴な平等性の仮定に対して,政治的影響力の不平等な配分を指摘した。組織の時代と呼ばれる今日,政治や経済に決定的影響を与える巨大組織が存在し,その組織内には重要な影響力を行使しうるエリートが存在するという事実は,無視しえない意味をもっている。しかし,エリート理論は,現実にエリートが存在するという事実の確認にとどまり,なぜ特定の人間がエリートたりうるのか,なぜエリートが一個の緊密な集団をなすと考えられるのか,といった疑問に十分に答えていない。とくに,エリートが全体として支配層と呼ぶに足る凝集性をもっているのか否かという疑問は,政治的多元主義者から絶えず提起されている。
執筆者:阿部 斉
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…社会や集団のメンバーのうち,指導者やエリートを除いた残りの多数の人びと。したがって,いつの時代のどんな社会,どんな集団にも大衆はいる。…
※「エリート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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