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オット Ott, Heinrich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

オット
Ott, Heinrich

[生]1929.9.1. バーゼル
スイスの神学者。 K.バルトおよび R.ブルトマンのもとに学び,前者のもとで学位論文『ルドルフ・ブルトマンの神学における歴史と救済史』 Geschichte und Heilsgeschichte in der Theologie Rudolf Bultmanns (1955) を完成。バーゼル大学の組織神学の講師をしながら,バーゼル市郊外のアリスドルフの牧師を兼ね,1962年バルトの後継者として同大学組織神学正教授となる。思想的にはバルトとブルトマンの間に立つが,『思考と存在-マルティン・ハイデガーの道と神学の道』 Denken und Sein. Der Weg Martin Heidegger und der Weg der Theologie (59) は,師バルトとの距離を一層大きいものにした反面,ハイデガーからは高く評価された。 66,78年に来日。エキュメニカル (→エキュメニズム ) な関心も強い。このほか著書には『終末論』 Eschatologie (58) ,『教義学と宣教』 Dogmatik und Verkündigung (61) ,『現実と信仰』 Wirklichkeit und Glaube (I.66,II.69) ,『信仰の応答』 Die Antwort des Glaubens (72) などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

オット Ott, Eugen

1889-1976 ドイツの外交官。
1889年4月8日生まれ。ドイツ国防省国防軍局長をへて,昭和9年駐日ドイツ大使館付武官として来日。13年駐日大使となり,日独伊三国同盟の締結を推進。ゾルゲ事件の責任をとわれ,17年に解任された。享年87歳。ロッテンブルク出身。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

オット
おっと
Eugen Ott
(1889―1976)

ドイツの軍人、外交官。第一次世界大戦後ドイツ国防軍政治部に所属。ナチス政権成立後の1934年(昭和9)、駐日ドイツ大使館付き武官となり、ディルクセン大使とともに日独防共協定の締結(1936)に奔走した。1938年駐日大使に昇進、日独伊三国同盟成立(1940)の推進者となった。しかし1941年のゾルゲ事件の発覚で、主犯リヒャルト・ゾルゲと親しくしていた責任を問われ、1942年11月駐日大使を解任され、北京(ペキン)大使館付きとなり終戦を迎えた。第二次世界大戦後は、軍人時代の上官シュライヒャー将軍の回想記を執筆した。[藤村瞬一]

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