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カッシート カッシートKassite

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デジタル大辞泉の解説

カッシート(Kassite)

メソポタミア東方のザグロス山脈に住んでいた古代民族。前16世紀、バビロン第1王朝を倒して王朝(バビロン第3王朝)を建設し、約400年間バビロニアを支配した。カッシュ。

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百科事典マイペディアの解説

カッシート

古代オリエントの民族名。前18世紀ころから歴史に登場し,前16世紀初めバビロン第3王朝(カッシート朝)を建て,前12世紀までバビロニアを支配した。長期の勢力維持にもかかわらず,言語,社会とも不明な点が多い。

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世界大百科事典 第2版の解説

カッシート【Kassites】

古代オリエントの民族名。カッシート人が初めて記録に現れるのは前1770年ころであるが,集団として言及されるのはバビロン第1王朝サムスイルナ王の治世7年(前1743)ころのことであろう。その後カッシート人は集団として初めはシッパルのあたりに,次いでユーフラテス川中流域に定着し,古バビロニア時代末ころにはテルカを中心とした地域にかなりの勢力を形づくった。そして後述するごとく,前16世紀初め,バビロンにカッシート王朝(バビロン第3王朝)を建て,まず北バビロニアを,次いで南バビロニアを支配下に収め,前1155年まで全バビロニアを支配した。

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世界大百科事典内のカッシートの言及

【バビロニア】より

…こうしてウル第3王朝滅亡後に始まった長い古バビロニア時代も終わる。
[カッシート時代]
 バビロン第1王朝の滅亡後,その遺産を受け継ぎ,後の時代に伝えたのは東方の山岳地帯からやってきたカッシートであった。カッシートのバビロニア支配は初め北部に限られていたが,前15世紀後葉からは南部にも及び,前12世紀半ばころまで全バビロニアを支配した。…

【バビロニア美術】より

…ウル第3王朝の滅亡後,イシン・ラルサ時代,バビロン第1王朝時代を一般に〈古バビロニア時代〉(前20世紀初め~前16世紀初め)と称し,美術史的にも〈古バビロニア美術〉の呼称をこの時期に用いる。その後のいわゆる〈中期バビロニア時代〉に,この地はカッシートの支配を受け,次いでいくつかの王朝が興亡を繰り返したが,政治的混乱のあおりを受けて,美術的にはカッシート人による美術の遺品のほかはほとんど作品が伝えられていない。バビロン第1王朝の隆盛期以来,バビロンがつねにメソポタミア文化の中心地であり,当然多くの建築,彫刻,工芸等の芸術が栄えたはずであるが,その重要性のゆえにこの都市はたびたび攻撃の的とされ,破壊され,あるいは新しい都市計画のもとに大きくつくり変えられたために,多くの作品が失われてしまっている。…

【メソポタミア】より

…また当時,より南方には〈海国Sealand〉が存在した。以後王朝は北部バビロニアを基盤とするが,カッシート人(カッシート)などの圧力に苦しみ,前16世紀初頭ヒッタイトの攻撃を受けて滅亡した。 イシン・ラルサ時代からバビロン第1王朝時代にかけては各種の粘土板文書が多く残っているから,統治体制,司法制度,商業,土地制度,尼僧制などに関して,みるべき多くの研究成果がある。…

※「カッシート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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