カラ・キタイ

百科事典マイペディアの解説

カラ・キタイ

中央アジアに建てられた契丹の王朝。名称は黒契丹の意。中国では西遼と呼んだ。が滅んだ後耶律(やりつ)大石は西走して中央アジアに入り,ウイグル人の国家を征服して1132年ベラサグンに新王朝を開き,東西文化交流に大きな役割を果たしたが,3代80余年で,モンゴル高原からのがれたナイマン部の残党のため1211年に滅ぼされた。
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

カラ・キタイ
からきたい
Kara Khitai

12~13世紀に契丹(きったん)人が中央アジアに建てた国家。西遼(せいりょう)ともいう。イスラムの歴史家はカラ・キタイという。遼が金に滅ぼされたとき(1124)、外モンゴリアに脱出した遼の王族の耶律大石(やりつたいせき)はやがてアルタイを越えて中央アジアに進み、ウイグル人などの援助を得て、1132年カラ・ハン朝を滅ぼし、ベラサグンで帝位につき、グル・ハンGur Khanと称した。中国では徳宗という。37年西トルキスタンに侵入、41年にはサマルカンド付近でセルジューク諸侯の大軍と戦って決定的な勝利を得た。ここに至って東西トルキスタンの全域がカラ・キタイの領土となった。その王朝は3代、80余年続いたが、チンギス・ハンに追われたナイマン部の王子クチュルクのために、1211年に国を奪われた。カラ・キタイが仏教を信じ、中国式の制度を用いるなど、中国文化の西伝をみたことは名高いが、それは首都付近の契丹人、中国人の移住者の社会に限られ、イスラム教徒トルコ人の人民にそれらを押し付けることはしなかった。[羽田 明]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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