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ガルバ ガルバGalba Maximus, Publius Sulcipius

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ガルバ
Galba Maximus, Publius Sulcipius

前3世紀末から前2世紀初めにかけてのローマの政治家。前 211年執政官 (コンスル ) 。ギリシアではプロコンスル (前 210~206) として第1次マケドニア戦争を行い,ローマ艦隊を初めてエーゲ海に進めた。第2回の執政官 (前 200) として第2次マケドニア戦争を指揮し,アイトリア人をローマ支持に向わせた。

ガルバ
Galba, Servius Sulpicius

[生]前3.12.24.
[没]後69.1.15. ローマ
ローマ皇帝 (在位 68~69) 。アウグスツス,チベリウスら歴代皇帝の信任を受け,33年執政官 (コンスル ) に就任。その後,諸州の総督を歴任。 60年ヒスパニア・タラコネンシス総督,在職中ネロ帝が没落すると,68年ローマに入り,即位。しかし人望を得ず,ルシタニア総督 M.オトーの画策した近衛軍の蜂起により殺された。

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世界大百科事典 第2版の解説

ガルバ【Servius Sulpicius Galba】

前3ころ‐後69
ローマ皇帝。在位68‐69年。高潔で有能な政治家,軍人という評判が高く,諸帝の信任を得てゲルマニアやアフリカを統治した後,60年からヒスパニア総督となる。68年ガリアの総督ウィンデクスの要請を受けてネロに反逆,彼が倒されると皇帝に推挙されたが,軍隊への報酬を拒否して兵士の不満を買い,また後継者問題で彼と同盟していたオトーと対立し,近衛軍により殺された。【島 創平】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ガルバ
がるば
Servius Sulpicius Galba
(前3ころ―後69)

ローマ皇帝(在位68~69)。ネロ没落後に乱立した4人の皇帝の1人。ヒスパニア・タラコネンシス州総督であった紀元後68年春、ガリア・ルグドゥネンシス州総督ウィンデックスの反ネロ蜂起(ほうき)に呼応して挙兵、元老院により同年6月8日皇帝と宣せられ(翌9日にネロ自害)、ルシタニア州総督オットー(オト)とともにローマ市に入城した(10月)が、賞与不払いのため近衛(このえ)軍の反感を招き、またすでにウィンデックス制圧に成功していたゲルマニアの諸軍団は指揮官ウィテリウスを擁して離反の動きをみせた。69年1月15日、オットーと結んだ近衛軍により殺害された。「即位さえしなかったならだれもが彼を皇帝に適任と考えたであろう」(タキトゥス『同時代史』)と評される。[栗田伸子]

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世界大百科事典内のガルバの言及

【オトー】より

…ネロの友人であったが,妻ポッパエア・サビナをネロに奪われた後,ルシタニア総督に転出させられた。68年ガルバがネロに対し反乱を起こすとこれに同調したが,翌年ガルバが軍隊の支持を失うと彼を倒して皇帝に就任。しかしゲルマニア諸軍団の支持を得たウィテリウスと対立,ポー河畔のベドリアクムで大敗を喫し,自殺した。…

※「ガルバ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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