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キューバ史 キューバし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

キューバ史
キューバし

1492年クリストファーコロンブスキューバ島に到達し,同地は 1511年ディエゴベラスケスの征服によりスペイン植民地となった。1519年ハバナが建設され,メキシコパナマへ向かうスペイン船団の基地となり,カリブ海の最重要港として栄えた。19世紀初頭スペインからの独立運動が起こり,1868~78年の十年戦争に次いで,1895年ホセ・フリアン・マルティ,ホセ・ミゲルゴメスらの指導のもと独立戦争が勃発。1898年これにアメリカ合衆国が介入してアメリカ=スペイン戦争に発展し,キューバはアメリカに占領された。1901年に出されたキューバ憲法の修正条項「プラット修正」により事実上アメリカの被保護国とされ,1902年スペインもキューバの独立を承認。1925~33年ヘラルド・マチャド・イ・モラレスによる独裁体制がしかれた。1934年アメリカの善隣政策に基づいてプラット修正は廃止されたが,1933~44年および 1952~59年のフルヘンシオ・バティスタ・イ・サルディバル治世下でアメリカの政治的・経済的支配が強化され,国内の貧富の差が拡大。1959年フィデル・カストロ,チェ・ゲバラらが率いたキューバ革命が起こり,革命防衛委員会を中心に土地改革,アメリカ系企業の国有化,ソビエト連邦への接近などの政策が進められた。1961年4月アメリカが支援する反革命軍の侵攻を受けたが撃退(ピッグス湾事件),同 1961年5月社会主義国家を宣言。1962年ソ連により弾道ミサイルが配備されたことからアメリカとソ連が対立し,冷戦期最大の戦争の危機にいたった(→キューバ・ミサイル危機)。1976年新憲法が公布,国家評議会と人民権力全国会議が設置され,カストロが国家評議会議長(国家元首)兼閣僚評議会議長(首相)に就任。1991年のソ連崩壊以降,旧共産圏との関係が疎遠になるとともに,ソ連に強く依存していたキューバ経済は衰微した。2008年カストロが国家評議会議長兼閣僚評議会議長を辞任し,実弟ラウル・カストロが同職を後継。2015年4月ラウル・カストロ議長とアメリカのバラク・オバマ大統領が首脳会談を行ない,同 2015年7月,相互の首都に大使館が設置されて 54年ぶりにアメリカとの国交が回復した。(→キューバ

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