キンバリー(英語表記)Kimberley

翻訳|Kimberley

精選版 日本国語大辞典 「キンバリー」の意味・読み・例文・類語

キンバリー

(Kimberley) 南アフリカ共和国中部の鉱山都市。世界最大のダイヤモンド産地

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デジタル大辞泉 「キンバリー」の意味・読み・例文・類語

キンバリー(Kimberley)

南アフリカ共和国中央部、北ケープ州の都市。同州の州都。世界的なダイヤモンド産地で、1871年の鉱山発見により建設された。ビッグホールとよばれる深さ約400メートル、直径約500メートルの巨大な露天掘りの跡がある。
オーストラリア、西オーストラリア州最北部の地域名。名称はと景観が似ていることに由来するが、のちにこの地域においてもダイヤモンド鉱山が発見された。主な町は西部のブルーム、北部のカナナラ。世界遺産(自然遺産)に登録されたパーヌルル国立公園がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「キンバリー」の意味・わかりやすい解説

キンバリー
Kimberley

南アフリカ共和国中部,北ケープ州の州都。人口20万6000(1996)。1867年ダイヤモンドが発見されて出現した鉱業都市であるが,露天掘りによるダイヤモンド鉱は1915年に終わり,ビッグ・ホール(大穴)といわれる直径約500m,平均の深さ400mの世界最大の穴が残って観光地となっている。商工業の中心として各種軽工業が生産を続けている。国内の主要都市とは鉄道,航空路で結ばれる。
執筆者:

1867年ボーア人の一農民がたまたま子どもがもてあそんでいる石を見て鑑定の結果,ダイヤモンド原石と判明した。原石の発見された西グリカランド地方は法的にはオレンジ自由国の一部であったが,グリカ族のウォーターボーア首長がその所有権を主張してイギリスに保護を求めた結果,71年イギリスが介入し,80年ケープ植民地に編入した。原石発見とともにダイヤモンドラッシュが起こり,世界各地から投機家が殺到,貸区制の鉱区で採掘した。71年末にはド・ベールス,キンバリー,デュトア・パン,バルトフォンテインの4大鉱山に約3600の貸区があり,白人投機家はアフリカ人労働者を使って採掘した。73年の経済恐慌によって企業の集中化が進み,81年末には70余の会社に統合され,その中にはのちにケープ植民地首相となったセシル・ローズとC.ラッドのド・ベールス鉱業会社,B.バルナトのキンバリー・セントラル鉱業会社があった。さらに88年以降にはド・ベールス社がその他の会社を合併し,90年にはダイヤモンド鉱業のほぼ全体を支配した。アフリカ人労働者は近隣の部族から調達され,契約期間も最初の3ヵ月から18ヵ月に延ばされ,賃金は白人に比べて著しく低く,またアフリカ人労働者を厳しく監視する悪名高い隔離宿舎制度(コンパウンド・システム)もこの鉱山で初めて導入された。
執筆者:

三畳紀のケツ岩,砂岩の互層,輝緑岩,ケイ岩,先カンブリア時代の片麻岩類や花コウ岩から成る地層中に,ダイヤモンドの母岩であるキンバーライトのパイプ状の岩脈が知られている。この地方で最初にダイヤモンドが発見されたキンバリー鉱山のキンバーライトは,すでに採掘が終わっているが,ド・ベールスなど数ヵ所の鉱床では近代的な方法で採掘が行われ,ダイヤモンドが回収されている。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「キンバリー」の意味・わかりやすい解説

キンバリー
きんばりー
Kimberley

南アフリカ共和国中部、北ケープ州北東部にあるダイヤモンド鉱山都市。同州の州都ブルームフォンテーンの西北西150キロメートル、標高1250メートルに位置する。人口16万7060(1995)、うち白人は3万4066人。2002年の推計人口は18万9500。1871年のキンバリー鉱山の発見により建設され、75年にはケープ・タウンからの鉄道が開通、同鉄道の本部が置かれた。当初バルナトBarnett Barnato(1852―97)のキンバリー・セントラル鉱業会社がダイヤモンドの採掘にあたったが、88年セシル・ローズとラッドCharles Dunell Rudd(1844―1916)のデビアース鉱業会社に買収され、以後同社が採掘を続けた。市の中心部マーケット広場に面してグリクァランド・ウェスト最高裁判所、市庁舎、中央郵便局があり、デビアース鉱業会社事務所はストックディル街にある。そのほか公共建物のほとんどは目抜き通りのデュトアパン街にある。当地で産出されたダイヤモンド原石はいったんダイヤモンド取引所のキンバリー・ハウスに集められ、そこから国内およびイギリスの研磨工場に送られる。またこの目抜き通りとレノックス街との交差点にはセシル・ローズの馬上像、メモリアル街との交差点には第一次世界大戦記念碑が立っている。市の北部には、ビッグ・ホールとよばれる直径約500メートル、深さ約400メートル、運び出された土の量2100万トンという露天掘りの跡があり、その北側に設けられた展望台から観察できる。

[林 晃史]

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百科事典マイペディア 「キンバリー」の意味・わかりやすい解説

キンバリー

南アフリカ共和国中部,北ケープ州の都市。世界屈指のダイヤモンド鉱山の中心。標高1224mの高原にあり,鉄道・自動車道路の中心。機械・セメント工業も行われる。ダイヤモンド鉱床は1871年に発見され,以後ダイヤモンド・ラッシュでできた鉱業の町だが,やがてセシル・ローズの鉱山会社が鉱山を支配した。アパルトヘイト体制下でアフリカ人労働者は劣悪な条件で働かされ,とくに労働者を厳しく管理する隔離宿舎(コンパウンド)制がこの鉱山で生まれたことが知られる。1915年まで露天掘が行われ,その跡は直径500m,深さ400mの〈ビッグ・ホール〉として残っている。最初オレンジ自由国に属したが,ダイヤモンドの発見を機に1880年ケープ植民地に編入。20万6070人(1996)。
→関連項目キンバーライトケープ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キンバリー」の意味・わかりやすい解説

キンバリー
Kimberley

南アフリカ共和国北ケープ州の州都。州北東部の自由州との州境近くに位置し,ダイヤモンドの産地,加工地として世界的に有名。かつてボーア人の独立国オレンジ自由国のグリカランドウェストに属し,ニューリュシュと呼ばれていたが,1871年ダイヤモンドが発見されると,同年 11月イギリスのケープ植民地の施政下に移され,イギリスの行政官の名にちなんでキンバリーに改名。南アフリカ戦争の初頭 1899年10月から 1900年2月までボーア人が占拠。1915年までダイヤモンドの露天掘りが行なわれ,直径約 500m,最深部約 1200mの巨大な露天採掘坑跡が残る。以後もいくつかの鉱区で操業が続き,世界の一中心をなしている。豊かな農業地帯を控え,商工業中心地としても発達。サン族の工芸品を集めた博物館がある。人口 6万2526(2001)。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「キンバリー」の解説

キンバリー
Kimberley

南アフリカ共和国北ケープ州の州都。1867年ダイヤモンド鉱石の発見ののち,一夜にして鉱山都市となった。当初オレンジ自由国の領内にあったが,80年イギリスがケープ植民地に編入。

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