ドイツの作家。17世紀ドイツのいわゆるバロック小説を代表する《ジンプリチシムスの冒険》(1669)の作者であるが,綴字遊びによる変名を重ねたため長く不詳のままであり,その生涯についても不明の点が多い。ヘッセンに生まれ,古くは貴族の家系であったというが,祖父はパン屋であった。13~14歳のころ三十年戦争の渦中に巻き込まれ,軍隊に拉致されてあちこちで馬丁や兵卒や連隊書記などを務めたのち,戦後バーデン地方で元の上官の領地の管理人や別の城の執事や酒亭のあるじとなり,1667年には小村の村長となっている。戦死と伝えられる死までの約10年間が彼の創作期であるが,多作であり,宮廷的・教養的であることを特徴とする当時の文学者のなかにあって民衆性を守りとおした異色の独学者であった。新教からカトリックに改宗したとされている。彼の名声はひとえに《ジンプリチシムスの冒険》の爆発的な成功によるものであり,《放浪の女クラーシェ》(1670),《変り者シュプリングインスフェルト》(1670),《ふしぎな鳥の巣》(1672-73)など一連のいわゆる悪者小説はすべてそれの〈続編〉として宣伝され,それら以前に書かれた《風刺の巡礼》(1666-67),《純潔なヨーゼフ》(1667)などの作品も〈ジンプリチシムスの作者による〉ことがあらためて強調された。グリンメルスハウゼンの文学的位置は,従来いわゆるドイツ教養小説の系譜のなかでのみ論じられるきらいがあったが,バロック時代の主流を占めていたツェーゼンPhilipp von Zesen(1619-89)ら教養派の文学者たちや,貴族的な小説タイプである英雄恋愛小説との対比による考察も欠かせない。グリンメルスハウゼンにも《ディートワルトとアメリンデ》(1670),《プロクシムスとリンピーダ》(1672)という〈理想小説〉があり,しかもそこに作者の本名が名のられているという事実は,野性味あふれる写実的な健康な笑いの世界の隠れた一面をうかがわせるものである。
執筆者:中田 美喜
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ドイツの小説家。ドイツ・バロックの小説のなかで唯一現在でも愛読されている『阿呆(あほう)物語』(1669)の作者であるが、若いころのことはよくわかっていない。後年は南ドイツの小村レンヒェンで過ごし、一時その村長を務めた。全部で約20編の著作がある。『阿呆物語』は三十年戦争を背景として、主人公が幼少のころから混乱の世の中へ投げ出され、数奇な運命にもてあそばれながら、悲惨と滑稽(こっけい)が同居する人生の諸領域をさまよい、ついには世の無常を悟り、隠者となって神との和合のなかに魂の平安をみいだす過程を描いている。しかし、一人間の体験記、成長記のたぐいではなく、有為転変の生の実相を多角的に教示するのが主眼である。ドイツにおけるピカロ小説の代表であるが、内容、構成、叙述方法ともに洗練されており、本格的長編小説の到来を告げるものである。グリンメルスハウゼンは民衆的作家で、当時主流であった宮廷文人とは異なるが、主として独学により驚異的学識を身につけており、その作品には娯楽性と同時に、深い思想性、宗教性がある。それが彼を不滅の詩人たらしめている理由であろう。
[義則孝夫]
『望月市恵訳『阿呆物語』(岩波文庫)』
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