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ケーリー Cayley, Arthur

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ケーリー
Cayley, Arthur

[生]1821.8.16. リッチモンド
[没]1895.1.26. ケンブリッジ
イギリスの数学者。ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに学ぶ (1839~42) 。卒業後3年契約でトリニティ・カレッジに勤めたが,その後,職がなかったので,ロンドンのリンカーン法学院に学んで弁護士となる (49) 。 1850年に,彼と同じく数学者にして弁護士の J.J.シルベスターと知合い,共同で数学を研究する。彼の最も有名な業績は,行列の代数を展開したことである。これを彼は n 次元幾何学と結びつけて考えた。特に射影幾何学がすべての幾何学を包含するという考えは,F.クラインエルランゲン目録への道を開いた。そのほか代数不変式論の分野でも重要な業績を残している。彼の数学の論文は 900編以上に及び,全集 14巻にまとめられている。

ケーリー
Cayley, Sir George

[生]1773.12.27. ヨークシャー
[没]1857.12.15. ヨークシャー
イギリスの航空科学者,技術者。固定翼による飛行の原理を解明し,翼の形や推進装置など飛行に必要な諸要素について広範な研究を行ない,飛行技術の基礎理論に関して先駆的な研究を行なった。このことで「航空科学の父」と呼ばれる。 1853年には初めて人の乗るグライダーを飛ばし,これに関連して可動尾翼や上反角などの効果について理論づけを行ない,また,抵抗を減らすために飛行機の各部の形状を流線形にすることの重要性を説いた。教育にも献身し,1839年ロンドンにリージェント・ストリート工科大学を設立。ほかに無限軌道トラクタの発明,干拓事業,鉄道関係の仕事にも活躍した。

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百科事典マイペディアの解説

ケーリー

英国の科学者,技術者。19世紀初めから航空機の理論的・実験的研究を行い,翼断面,上反角,プロペラなど航空力学の諸原理を明らかにし,模型グライダーを飛行させるのに成功。
→関連項目群論飛行機

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世界大百科事典 第2版の解説

ケーリー【Arthur Caylay】

1821‐95
イギリスの数学者。貿易商の家に生まれ,8歳までロシアで過ごした。ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに学び,1842年に数学の学位試験を首席で合格,その後3年間は同カレッジの助手として数学の研究に専念したが,その後,法律を学んで49年には弁護士となった。この仕事を63年のケンブリッジ大学教授就任まで続けたが,この間も数学の研究を行った。彼は生涯に約1000編の論文を書いたが,約300編はこの期間中になされたものである。

ケーリー【George Cayley】

1773‐1857
イギリスの科学者,技術者。レオナルド・ダ・ビンチ以後飛行を科学的に考察した最初の人物といわれる。彼はまずたこに作用する空気力を揚力と抗力に分解し,これらがたこ糸による張力とたこの重量とつり合うことを正しく理解していた。彼はさらに進んでグライダーおよび飛行機を考え,その安定原則として,尾翼をつけ,主翼に上反角をもたせる必要があることにも気づいており,模型を作っての実験も行った。【佐貫 亦男】

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大辞林 第三版の解説

ケーリー【Arthur Cayley】

1821~1895) イギリスの数学者。楕円関数論、不変式論、射影幾何学、 n 次元空間の幾何学など広範な業績を残す。なかでも行列の理論は著名。群の抽象的な扱いにも先鞭せんべんをつけたほか、四色問題も彼がその困難さを指摘して脚光を浴びた。

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世界大百科事典内のケーリーの言及

【四色問題】より

…こういう経験的事実から上の予想が生まれたのである。A.F.メービウスは1840年にこの予想を数学化して証明するという問題を提出したといわれているが,有名になったのは79年にA.ケーリーがロンドン地理学協会でその困難さを指摘してからである。それ以来,四色問題は問題そのものが簡単でだれにでもわかりやすいところから多くの人びとの関心を呼び,証明のための努力がなされた。…

【数学】より

…ユークリッド幾何学,非ユークリッド幾何学がともに成り立つというのは,(A,E),(A,Ē)とも無矛盾であるという意味であった。(A,Ē)の無矛盾性が確認されたのは,そのモデルが(A,E)の中につくられることがA.ケーリー,F.クライン,H.ポアンカレらによって示されたからである。ヒルベルトはさらに実数を用いて(A,E)の諸命題が成り立つモデルをつくり,(A,E)の無矛盾性を示した。…

【線形代数学】より

…また,このころ,線形微分方程式の解の線形性が意識されるようになり,それに関連して一次独立という概念が意識された。このようないろいろな具体的対象から出発して,多くの人々,とくにA.ケーリーとH.G.グラスマンによって,高次元の場合を含めて明確化され,かつ抽象化された線形代数学が成長したのであり,これは19世紀中ごろのことである。ケーリーが座標に基礎を置いて扱ったのに対し,グラスマンは座標にこだわらずに理論構成をして,発展に大きく寄与した点に大きな特徴がある。…

【グライダー】より

…ある高度から,どこまで滑空できるかは,したがって揚抗比に左右され,例えばこの値が30であれば,1kmの高度から滑空に入ると,無風時でも30kmの距離まで滑空することが可能である(図)。
[歴史]
 グライダーは模型機では早くから研究されていたようであるが,その中で有名なのはG.ケーリーによるもので,1804年,主翼のほかに,安定のための水平,垂直の両尾翼がついた模型グライダーによる滑空実験を行ったといわれている。有人機での実験に成功し,今でも高い評価を得ているのはオットーとグスタフのリリエンタール兄弟である。…

【飛行機】より

…科学技術の分野でも天才といわれ,ヘリコプターや羽ばたき機の研究にも取り組んだダ・ビンチでさえ,人間の飛行の実現に対しては,何の貢献もしていない。 鳥の羽ばたき飛行を模倣するという長い間の迷いから覚めて,人間の飛行の可能性へ向かって第一歩を踏み出したのは,イギリスのG.ケーリーであると考えられる。彼は揚力・推力分離説を提唱し,1799年,揚力を発生する固定翼と推力を発生する手動のフラッパー(板をばたばたさせるもの)からなる飛行機の設計を発表し,1809年には,翼面積19m2の固定翼と尾翼をもったグライダーを製作,無人滑空試験に成功した。…

※「ケーリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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