サド(その他表記)Donatien Alphonse François de Sade

デジタル大辞泉 「サド」の意味・読み・例文・類語

サド(Donatien Alphonse François de Sade)

[1740~1814]フランス小説家通称サド侯爵(マルキ=ド=サド、Marquis de Sade)。性的倒錯を題材としたその作品により、サディズムの名が起こった。作「美徳の不幸」「悪徳の栄え」など。

サド

サディズム」「サディスト」の略。⇔マゾ

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精選版 日本国語大辞典 「サド」の意味・読み・例文・類語

サド

  1. [ 1 ] ( Donatien Alphonse François de Sade ドナティアン=アルフォンス=フランソワ=ド━ ) フランスの小説家。プロバンスの貴族の出身。変質的な性行による事件によりたびたび投獄され、のち精神病院に監禁されて死んだ。背徳的作家とされてきたが、人間解放の先駆者として、二〇世紀に入り評価を得、小説「ジュスティーヌ、あるいは美徳の不幸」「ジュリエット、あるいは悪徳栄え」などは、性倒錯研究の貴重な資料ともなり、「サディズム」という語を生んだ。サド侯爵(マルキ=ド=サド)と通称。(一七四〇‐一八一四
  2. [ 2 ] 〘 名詞 〙サディズム」「サディスト」の俗称。⇔マゾ
    1. [初出の実例]「しかも先生の趣味はサドの方やねん、がんじがらめにしばり上げてまうから」(出典:初稿・エロ事師たち(1963)〈野坂昭如〉二)

さど

  1. 〘 名詞 〙 植物「いたどり(虎杖)」の異名。〔重訂本草綱目啓蒙(1847)〕

さど

  1. 〘 名詞 〙 秋田県で灌漑(かんがい)用の溝をいう。

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改訂新版 世界大百科事典 「サド」の意味・わかりやすい解説

サド
Donatien Alphonse François de Sade
生没年:1740-1814

フランスの小説家。通称マルキ・ド・サドMarquis de Sade(サド侯爵)。ペトラルカの愛人ラウラ家系にもつサド家はプロバンス地方の名家だった。七年戦争に参加したのち,司法官の娘と結婚したが,アルクイユの乞食女鞭打事件(1768),マルセイユのボンボン事件(1772)などのスキャンダルを引き起こし,ために生涯の3分の1以上を獄中で過ごすことになる。バンセンヌおよびバスティーユの獄中で精力的に執筆活動をした。大革命とともに釈放され(1790),一時は政治運動に挺身するが,恐怖時代に反革命の嫌疑でふたたび下獄。さらにナポレオン体制下に筆禍招き,死ぬまでシャラントン精神病院に監禁された。遺言状には,〈自分の名を永遠に世人の記憶から抹殺せよ〉とあった。作品には,2人の姉妹の運命を対照的に描いた一種の逆転された教養小説ともいうべき《ジュスティーヌあるいは美徳の不幸》(1791)と《ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え》(1797)のほか,同じテーマの《新ジュスティーヌ》(1797),書簡体小説《アリーヌとバルクール》(1795),しんらつな対話体の《閨房哲学》(1795),短編集《恋の罪》(1800)などがある。また20世紀になって初めて発見された,性倒錯の総目録ともいうべき《ソドム百二十日》(1904。1785執筆),作者の無神論宣言《司祭と臨終の男との対話》(1926。1782執筆)がある。長く黙殺されていたサドの思想的文学的価値は,19世紀末のドイツの医学者や,20世紀のアポリネールをはじめとする詩人たちの努力によって復権され,現在では古典の扱いを受けている。ごく最近まで禁書とされていた著作も,いまでは比較的自由に読めるようになった。サドをロマン主義の先駆者とみなす文学史家もいれば,性本能の鋭い観察家として,フロイト思想の祖と考える哲学者もいる。ブルトン,カミュ,G.バタイユ,クロソウスキー,R.バルトなどが注目すべきサド論を発表している。
サディズム
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「サド」の意味・わかりやすい解説

サド
さど
Donatien-Alphonse-François, Marquis de Sade
(1740―1814)

フランスの作家、思想家。通称マルキ・ド・サド(サド侯爵)。詩聖ペトラルカにたたえられた美女ラウラ・デ・ノベスLaura de Noves(1310―1348)の血を引く由緒ある貴族の家に生まれる。10歳でイエズス会の名門校であるパリのルイ・ル・グランに入学、4年後には選良貴族の子弟を教育するシュボ・レジェ校に進み、1755年には国王付き歩兵連隊の士官に任命されている。しかしその後、物ごいをしていた女を監禁したうえに拷問にかけたという「アルクイユ事件」(1768)、また娼婦(しょうふ)たちを集めて乱行に及んだという「マルセイユ事件」(1772)で醜聞を引き起こす。毒殺未遂と男色のかどで官憲に追われる身となったサドは、入獄と脱獄を繰り返したのち、1784年からバスチーユの「自由の塔」に拘留される。このころすでに囚人作家として出発していたが、当局から危険視され、シャラントン精神科病院に移され、ここで大革命を迎える。大革命によって自由の身となるが、反革命の嫌疑で逮捕(1793)、出獄後に『新ジュスチーヌ』(1797)が良俗を乱すという理由でまたもや捕らえられ、シャラントンで没。

 彼の作品には3種の『ジュスチーヌ』のほか、『ソドムの百二十日』(1785年執筆、1904年刊)、無神論の宣言ともいうべき『司祭と瀕死(ひんし)の病人の対話』(1782年執筆、1926年刊)、『閨房(けいぼう)の哲学』(1795)、書簡体長編小説『アリーヌとバルクール』(1795)、最晩年の傑作『ガンジュ侯爵夫人』(1813)などがある。中短編小説集『恋の罪』(1800)に付された「小説論」は、サドのロマン派志向をよく示している。

[植田祐次 2015年5月19日]

『澁澤龍彦訳『新・サド選集』全8巻(1965~1966・桃源社)』『澁澤龍彦訳『閨房哲学』(角川文庫)』

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百科事典マイペディア 「サド」の意味・わかりやすい解説

サド

フランスの作家。通称マルキ・ド・サドMarquis de Sade(サド侯爵)。名門の侯爵で,父は伯爵。1768年の女性虐待事件以後,スキャンダルや筆禍事件で監獄暮しを繰り返し,大革命とともに1790年釈放。革命派として政治活動に挺身するが,恐怖時代に反革命とみなされ再び下獄,1803年にはシャラントンの精神病院に入れられて一生を終えた。多く獄中で書かれた作品は,無神論の立場から既成の権威・道徳を超越した独特のエロティシズム哲学に貫かれているが,ようやく20世紀になってアポリネールブルトンバタイユブランショクロソウスキーらによって高く評価されるようになった。代表作に《ジュスティーヌあるいは美徳の不幸》《ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え》《新ジュスティーヌ》《閨房哲学》などがあり,《ソドム百二十日》は20世紀の発見。→サディズム
→関連項目渋沢竜彦ポルノグラフィー

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サド」の意味・わかりやすい解説

サド
Sade, Donatien Alphonse François, Comte de

[生]1740.6.2. パリ
[没]1814.12.2. セーヌ,シャラントン
フランスの小説家。通称マルキ・ド・サド Marquis de Sade。伯爵であったが侯爵と呼ばれる。軍人になったが,スキャンダルを起し投獄され,以後生涯の3分の1以上を獄につながれ,精神病院で死んだ。その作品に倒錯性欲を描いたため (サディズムという言葉は彼に由来する) ,わいせつと不道徳を理由にあらゆる検閲を受けたが,20世紀に入ってから,人間の根源的自由を求めて大胆な挑戦を試みた者として高く評価されるにいたった。主著『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』 Justine,ou les Malheurs de la vertu (1791) ,『新ジュスティーヌ』 La Nouvelle Justine (97) ,『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』 Histoire de Juliette,ou les Prospérités du vice (97) ,『ソドム 120日』 Les 120 Journées de Sodome (85執筆,1904刊) など。

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世界大百科事典(旧版)内のサドの言及

【エロティシズム】より

…西欧のエロティシズムの歴史は18世紀の自由思想とともに,根本的な変化を生ずる。あえて宗教的束縛に挑戦したスペイン説話の主人公ドン・フアン,性の全面的自由と個人主義を主張したサド侯爵や,カザノーバのような文学者があらわれるからだ。とりわけサドはエロティシズムの歴史の分水嶺に立っており,その影響は現代のバタイユにまで直接に及んでいる。…

【スカトロジー】より

…それは作者が自己の深い挫折感,ペシミズム,人間憎悪などの感情のはけ口を糞尿のイメージに求めているからだと解釈できる。この型に属するもうひとりの作家としてサドを挙げることができる。彼もまた当時の社会に対するラディカルな反逆児であり,それゆえ深い疎外感を抱いていた。…

【ポルノグラフィー】より

…この世紀は〈ポルノグラフィーの黄金時代〉ともいわれている。たしかに快楽主義が流行し,サドやカサノーバが性のユートピアを追い求めた。J.クレランドの《ファニー・ヒル》(1749),サドの《ジュスティーヌ》に対抗して書かれたレティフ・ド・ラ・ブルトンヌの《アンティ・ジュスティーヌ》(1798)などのポルノグラフィーの傑作がこの時代に書かれている。…

※「サド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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