第1次世界大戦後のオーストリアと連合国の間の講和条約。サン・ジェルマンは条約が調印された(1919年9月10日)パリ西郊の町サン・ジェルマン・アン・レーを指す。連合国は,かつてのオーストリア・ハンガリー帝国内の少数民族の独立に民族自決の原則を適用する一方,しばしば戦勝国,とくにフランスの戦略的利害を優先させるという矛盾した立場をとった。こうして新オーストリア共和国は旧帝国領のうち首都ウィーンと周辺の農村および山岳地帯に限定され(戦前の領土の1/4),残りはチェコスロバキア,ユーゴスラビア,イタリア,ポーランド,ルーマニアに割譲された。しかも戦略上の理由から,ドイツ系のズデーテン地方がチェコスロバキアに与えられ,同じドイツ語圏のオーストリアとドイツの合併は事実上永久に禁止された。このほかに徴兵制度の禁止,軍備縮小が規定された。また,賠償責任は規定されていたものの,一度も履行されることなくまもなく撤回され,またドイツとの合併禁止も,1938年3月,ナチス・ドイツによるアンシュルス(合邦)によって破棄された。
→ベルサイユ体制
執筆者:平井 友義
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第一次世界大戦後、連合国とオーストリアとの間に結ばれた講和条約。1919年9月10日、パリ郊外のサン・ジェルマンSaint-Germain宮殿で調印された。オーストリア・ハンガリー帝国は帝国内諸民族の離反のなかで1918年11月に無条件降伏した。チェコスロバキア、ユーゴスラビア、ハンガリー、ポーランドの独立宣言に取り残されるように、オーストリアのドイツ人地域に、新共和国オーストリアが登場していた。これらの独立国家を承認したこの条約では、旧オーストリアの戦争責任は新生オーストリア国家にのみ課せられ、南チロールのイタリアへの譲渡など周辺諸国への領土割譲、軍備制限、賠償支払いなどが規定され、ドイツとの合併が禁止された。経済条項等に譲歩もみられたが、多くのオーストリア人はこれを過酷なものと感じ、法学者は旧帝国と新共和国の法的非連続性を主張し、国境をめぐる争議は1920年代に入っても続いた。ベルサイユ体制の一環として小国家を成立させたこの条約は新たな紛争の原因となった。
[長場真砂子]
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第一次世界大戦の結果,パリ西郊サン・ジェルマンで1919年9月10日連合国と新生オーストリア共和国が調印した講和条約。オーストリアは旧オーストリア‐ハンガリー帝国からチェコスロヴァキア,セルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人王国(ユーゴスラヴィア),ポーランドの独立,ハンガリーの分離を承認し,ハンガリーとともに賠償義務を負い,兵力を3万人に削減することなどが決められた。また同民族のドイツとの合邦も禁じられ,ブレンナー峠に至るまでの南ティロル,トリエステをイタリアに,ダルマツィア,クライン・ケルンテンの一部をユーゴスラヴィアに,ガリツィアをポーランドに割譲し,オーストリア領はかつての帝国の26.6%にとどまった。
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…これに対し,09年,チロルの住民はホーファーAndreas Hofer(1767‐1810)の指揮下に反乱をおこしたが,バイエルン,フランス,イタリアの連合軍に鎮圧され,チロルは三つに分割されるところとなった。14年再びオーストリア領に統合されたが,第1次大戦後のサン・ジェルマン条約(1919)によって再び分割された。北および東チロルはオーストリア領となったが,南チロルはイタリア領とされ,現在に至っている。…
…宗派別にみれば,ウクライナ人とルーマニア人のほとんどを含む東方正教徒が全体の71%を占め,東方正教・カトリックの合同教会派3%,カトリック11%,ルター派2.5%,ユダヤ教12%であった。18年1月,ロシア革命の影響をうけブコビナ人民会議は北ブコビナのウクライナ併合を決議したが,同年11月ルーマニア軍が占領,19年サン・ジェルマン条約によって全ブコビナがルーマニアに帰属した。ルーマニア統治期にはウクライナ人学校の閉鎖のような差別政策がとられたが,40年ソ連はベッサラビアとともに北部ブコビナへの領有権を主張して取得した。…
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