フランスの空想的社会主義者。パリ生まれだが、家系はピカルディー地方の貴族(伯爵)の出。啓蒙(けいもう)思想家ダランベールの教育を受ける。アメリカ独立戦争に、ワシントン指揮下のフランス遠征軍の一員として参加。フランス革命が勃発(ぼっぱつ)すると1791年から1793年にかけ地方のジャコバン派や民衆の結社に参加し、バブーフに会ったらしいという説(マチエ)もある。他方、国有財産の売却にまつわる投機に手を出し、1793年に逮捕、1年間投獄さる。最初の著作『一ジュネーブ住民の同時代人への手紙』(1802)を刊行。以後1814年までは19世紀にふさわしい総合的な科学をつくることに努め、1814年に『ヨーロッパ社会の再組織について』を刊行。以後、関心は社会問題に集中する。1819年以前は自由主義者であったとする説もあるが、本来の自由主義とはいいがたい。非生産者(貴族・地主・金利生活者・軍人)の支配に対する反対、生産者の団結とすべての権力を生産者へという主張、怠け者と働く者との対置、法の前の平等だけを説く法律家批判がみられるからである。その基礎には「産業主義」があり、それは「すべては産業によって、そしてすべては産業のために」という標語に集約される。そこから有閑階級批判と自由主義批判も出てくる。「すべては産業のために」組織されなければならぬからである。『産業体制について』(1821)において構想される未来の産業体制は、能力に基づく階層制組織をもつが、旧支配者は消滅し、能力により指導機能を発揮する管理者が登場する。この階層制はいかなる特権・支配権とも結び付いていない。「人間の支配」にかわって「事物の管理」が実現する。つまり国家の消滅であり、これが彼の構想する生産者の「協同社会」である。
だが、彼のいう生産者、産業者には労働者と同時に資本家も含まれており、そこに当時のフランス資本主義の未熟さが反映しているが、『産業体制について』では産業階級内部の雇主と労働者との対立への注目がみられ、「労働者諸氏へ」あて、「私の提案する主要な目的は、あなたたちの境遇をできるだけ改善すること」だとしたが、以後「もっとも数が多くもっとも貧しい階級の境遇の改善」を訴え、かつ「プロレタリアートは財産をうまく管理する能力を有する」と主張した。最後の著作『新キリスト教』(1825)は、「宗教は、社会を、もっとも貧しい階級の運命のできる限り急速な改善という大目的に導くべきだ」とした。『産業体制について』が産業者に無視されたこともあって絶望し、1823年ピストル自殺を図り失敗。その後2年間生き延びるが、斬新(ざんしん)で多面的な思想を体系化できなかった。死期に際して彼は、「私の全生涯はすべての人間にその人の自然的素質のもっとも自由な発展を保証するという一つの思想に要約される」と語ったといわれる。
[古賀英三郎]
『森博編訳『サン・シモン著作集』全5巻(1987~1988・恒星社厚生閣)』
フランスの作家、政治家。封建大貴族として誇り高く、大きな政治的役割を演じようとの野望を抱いていたが、ブルゴーニュ公の死によって望みを断たれ(1712)、友人であった摂政(せっしょう)オルレアン公フィリップの死後、「素町人の長い治世」を憎んでラ・フェルテ城に隠棲(いんせい)し、著述に没頭した。なかんずく有名な『回想録』は1694年から1752年にかけて書き続けられたもので(ただし公刊は死後)、ルイ14世の治世の末年と摂政時代(1694~1723)とについての貴重な証言である。その情報的価値の高さもさることながら、無数の廷臣たちの人間像を愛憎の赴くままに活写した筆力のたくましさは、彼をしてフランス文学史上最大の散文作家の一人たらしめている。1983年、この『回想録』の新版(全8巻)がプレイアード叢書(そうしょ)に入って彼の名声はいっそう高まった。
[大塚幸男]
フランスの社会改革思想家。C.フーリエ,R.オーエンと並んで三大空想的社会主義者に数えられるが,むしろ実証主義と産業主義の提唱者とみるのが適切である。フランスの自由主義的名門貴族の長男に生まれ,軍職についてアメリカ独立戦争に参加して功を立て,フランス革命中には国有地売買で巨万の富を築いたが投獄され,危うくギロチンを免れる。テルミドール反動後の総裁政期に文筆の道に入り,《ジュネーブ住人の手紙Lettres d'un habitant de Genève à ses contemporains》(1802)から《人間科学覚書Mémoire sur la science de l'homme》(1813)にかけて実証主義を唱え,社会の科学的研究としての〈社会生理学〉の樹立を企てた。王政復古になると現実的・実践的問題に没頭し,《ヨーロッパ社会再組織論Réorganisation de la société européenne》(1814)で今日的な国際連合の設立を説いた。彼の監修による共著《産業L'industrie,ou discussions politiques,morales et philosophiques》(1816-18)では〈すべては産業によって,すべては産業のために〉という標語を掲げて,働く人びとの連合としての搾取なき産業体制社会の実現を力説した。さらに《組織者》(1819),《産業体制論Du système industriel》(1821-22)で現代を〈逆立ちした世界〉と規定し,その大転換として産業社会の青写真を描いた。挫折して自殺を試みたが一命をとりとめ,A.コントとの共著《産業者の教理問答Catéchisme des industriels》(1823-24)でプロレタリアの解放を目的とした産業体制の組織を論じ,その精神的・道徳的再武装を遺著《新キリスト教Nouveau christianisme》(1925)で説いた。彼の思想は統一に欠けているが天才的洞察に満ち,後世に広範な影響を与え,とくにコントの実証哲学とB.P.アンファンタン,A.バザール,ロドリーグBenjamin Olinde Rodriguesによって展開されたサン・シモン主義による産業主義の変形としての社会主義,今日の管理社会論,テクノクラシー論などの源泉として注目に値する。
→空想的社会主義 →実証主義
執筆者:森 博
フランスの回想録作者。貴族院議員公爵を父にパリで生まれ,生涯大貴族たる矜持を貫き通した。軍人として武名をはせたが,昇進問題でルイ14世の不興を買い,王の反対派のオルレアン公と結ぶ。王の死後は,摂政となったオルレアン公を補佐して摂政時代の黒幕的存在となり,スペイン大使を務めたりする。摂政が死ぬと宮廷から身をひき,パリと領地のラ・フェルテ・ビダムを往復しながら《回想録Mémoires》(1830)の執筆に励んだ。《回想録》はルイ14世の晩年から摂政時代にわたる長大な作品で,強烈な個性と貴族的偏見の持主であったサン・シモンの独自な視点から,宮廷生活の諸相が念入りに描かれている。とりわけ,宮中での式典や逸話の詳述,国王をはじめとする人物の肖像に筆が冴え,モラリスト文学として不朽の価値をもつといわれている。
執筆者:鷲見 洋一
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1760~1825
フランスの空想的社会主義者。いっさいの科学を統一する普遍的法則の発見に努力し,それにもとづきつつ,各人の能力の自由な発展をめざす,産業を中心とした未来社会を構想した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…社会の不平等状態を表示するために,全体社会あるいは部分社会をなんらかの指標によって相互に不平等な二つあるいはそれ以上の人口部分に区分する場合,それぞれの区分された人口部分を階級という。その具体的な表現形態は,区分の指標として何を用いるかによって異なり,そのことがまたいくつもの異なる階級学説をつくりだしているが,支配階級と被支配階級,有産階級と無産階級,富裕階級と貧困階級というような概念化は,比較的一般的である。…
…社会や社会現象の変化をあらわす言葉は多いが,端的にいって,社会変動とは社会構造の変動を意味している。要するに構造変動である。その場合,社会組織や社会制度といった巨視的な構造のレベルで生ずる変動が重要である。たとえば,技術革新の普及により企業組織の人員配置に大きな異動がおこり,専門職への需要が増大して,教育制度や雇用制度が変動していき,さらに階級構造の変動へ波及していくというのは,社会変動の具体的な過程の一例である。…
…生物有機体になぞらえて社会の構造・機能・変動を説明する理論。社会機械説に対する。社会を生物に見たてて解釈する考えは古代ギリシアからあったが,理論化されたのは19世紀になってからである。サン・シモンは社会を諸個人の単なる集合でなく一つの統合された生きた全体とみ,これを実証的に研究する社会生理学を提唱。その弟子コントは社会有機体l’organisme socialの語を創始し,生物と構成要素の細胞との類比によって社会を超個人的実在であると説き,社会の解剖学的・生理学的研究として社会静学,社会の成長の研究として社会動学を設けた。…
…人間にかかわる諸事象を探求する諸科学の総称。人文科学とほぼ同義で用いられることもあるが,とくに1960年代以降,言語学,人類学,精神医学,精神分析,心理学,社会学をはじめ,脳神経生理学や動物行動学などを含む人間の諸活動の科学的探求が,旧来の人間理解を根底的に揺るがすほどに発達したのにともない,人文科学に代わってこの語が用いられるようになった。 人間的諸事象の探求は,もちろん古くから行われたが,西欧近世になって自然科学が発展するとともに,とくに18世紀のイギリスやフランスで,自然科学の方法を人間的諸事象にも適用して探求することが試みられるようになった。…
…現実には存在しない,理想的な世界をいい,理想郷,無可有郷(むかうのさと)などと訳される。ギリシア語を手がかりとして〈どこにもないou場所topos〉と〈良いeu場所topos〉とを結びつけたT.モアの造語。ユートピアの観念は,人間の自然な感情として普遍的にいだかれうるものであるが,同時に特定の内実をもった思想的表明,もしくは運動をもうみだす。
[ユートピアの系譜]
ヨーロッパでは古代以来,ユートピア思想と運動の伝統が形成されている。…
※「サンシモン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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