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ザルツマン ザルツマンSalzmann, Christian Gotthilf

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ザルツマン
ザルツマン
Salzmann, Christian Gotthilf

[生]1744.6.1. ゾメルダ
[没]1811.10.31. シュネップフェンタル
ドイツプロテスタント神学者,牧師,教育家。デッサウのフィランとロピヌム学園の教師。のち邸内にキリスト教信仰に基づく理想の学校を創設。知育とともに徳育および公共のための勤労を重んじた。

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デジタル大辞泉の解説

ザルツマン(Christian Gotthilf Salzmann)

[1744~1811]ドイツの教育家。1784年、シュネッペンタールに学校を創立。子供の自発性、作業、体育などを重視する全人陶冶を目ざした。著「蟹の小本」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

ザルツマン【Christian Gotthilf Salzmann】

1744‐1811
ドイツ汎愛派の教育家。イェーナで神学を修める。十数年間にわたる牧師生活を経て,1781年J.B.バゼドーの創設になるデッサウの汎愛学校Philanthropinumに招かれ,2年間宗教教師を務めた。84年ゴータエルンスト2世の援助のもとにシュネッフェンタールSchnepfenthalに独自の汎愛学校を設立し,終生その指導に心血を注いだ。この学校は1934年まで存続。彼の教育思想は汎愛派を特色づける啓蒙的合理主義に貫かれており,子どもの潜在的諸能力の調和的育成による個人的幸福の実現を第一義としている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ザルツマン
ざるつまん
Christian Gotthilf Salzmann
(1744―1811)

ドイツの汎愛(はんあい)派教育者。牧師であったがバゼドウに招かれてデッサウの汎愛学院で宗教を教え(1781~1783)、ゴータ侯の援助でシュネッペンタールに学校を開設(1784)。ザルツマン学校とよばれ、教育目標に「思考、忍耐、行動」を置き、作業と体育を重視した全人陶冶(とうや)を目ざし、教育方法の心理化と共同生活の訓練による道徳の涵養(かんよう)を強調。家庭的雰囲気を重んじ個性伸長の少人数教育を実践しながら『カニの小本』(1780)、『アリの小本』(1806)を著す。ルソーの影響を受けて自然主義の立場を推進し、進歩的思想を発展させたが、一方、封建勢力と結び付いてその代弁者となり(1801)、反ヒューマニズム的と非難もされた。[増渕幸男]

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世界大百科事典内のザルツマンの言及

【修学旅行】より

…共同宿泊をともなう点で遠足と,また学習目的が複合的であり複数の目的地を周遊する点で臨海学校林間学校,合宿などと区別される。C.G.ザルツマン,シュトイKarl Volkmar Stoy,ラインWilhelm Reinらドイツの教育者により,18世紀後半から19世紀にかけて自然学習および身体訓練の目的をもって唱道され組織された徒歩旅行Wanderungen,教育旅行pädagogischer Reisenなどの影響を受けつつも,日本独特の性格をもつ学校行事として展開された。初代文相森有礼による兵式体操重視方策の一環として,1886年2月高等師範学校男子部が千葉県銚子へ実施した行軍旅行が端緒とされる。…

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